ダイアン・コイル「緊縮再考の火種になるかもしれない一冊」(2019年3月3日)

[Diane Coyle, “Austerity revisited,” The Enlightened Economist, March 3, 2019]

このところ読んでいる本は,『緊縮:機能するときとしないとき』だ.著者は,Alberto Alesina, Carlo Favero & Francesco Giavazzi.きっと,ある種の人たちにはウケがよくない本だ.

財政緊縮策が総需要を減らすことは認めつつも,著者たちは強固にこう論じる――マイナスの産出コストは,増税よりも政府支出削減の方が小さく,このため,支出削減は対GDP比でみた債務を〔増税よりも〕もっと効果的に減らす.不況では財政乗数が大きくなるという主張を著者たちは一蹴する.また,選挙のさいに,有権者たちはかならずしも緊縮〔を訴える候補者〕に手ひどい仕打ちを与えるとはかぎらないという主張も著者たちは認めない.さらに,緊縮策を抑制すべしと主張でよく耳にする論拠も等閑視している.たとえば,著者たちはこう論じている――かつて欧州各国のなかには不必要なインフラに過剰に投資していた国がある,だから〔グローバル金融危機の発生した〕2008年以降の低金利は長期的プロジェクトにもっと公共のお金を投じるよい理由にはならない.高等教育の無償化または助成といった資力調査をふまえて行われる分野への公共支出を著者たちは支持している.

本書は,1970年以後の先進国16カ国のデータにもとづいていて,ある章では2008年および2012年以後の欧州をとくにとりあげている.本書で提示される発見は,オリヴィエ・ブランシャールなど他のマクロ経済学者たちによる発見と背反している.それと明言されている大きな乖離は2つある.ひとつは同時期の所得分布,もうひとつは世代間の公平性問題だ.後者は,マクロ経済総体・産出の成長・対GDP債務比率の問題だ.

結びで述べられているように,本書が取り上げている問いはお互いに絡み合っている.それはこういう問いだ――欧州諸国は金融危機以後に緊縮をやりすぎたのだろうか? 本書で展開されている論述によれば,緊縮の各種方策は,公的債務とさらなる銀行危機に対する保護手段であり,後知恵で見てもなお,こうした破滅的になりうる帰結を回避するのに緊縮の度合いが適正だったのかやりすぎだったのかは知り得ないのだという.ただ,緊縮による産出へのコストは増税よりも政府支出削減の方が低かったのは明らかなのだそうだ.

私の専門分野からは大きく外れている領域だし――これはよく言っていることだと思うけれど――歴史はいくつもの要因がからまって因果関係が入り組んでいるので,マクロ経済的な事象で提起される因果関係の問いはけっして解決できそうにない.景気循環的な理由で財政緊縮を余儀なくされるときには支出削減によってこれを行うべきという主張に本書で提示されている証拠は,GDP全体の効果でみて説得的に思える.実際に緊縮のさまざまな方策を実施したとき社会の営みや政治的事象にどのような影響が及ぶのかという問題を本書は取り上げていないし,ましてその答えはまったく見当たらない.〔だが,緊縮について〕評価するにはこうした点を考慮に入れるのが公平に思える.

その一方で,著者たちは自説を正当化するために反事実的な問いに訴えている:「いかなるかたちの緊縮にも反対する人々が,「イタリア・アイルランド・スペイン・ポルトガルといった国々で政府がもっと支出してもっと債務を抱えればなにもかも上手くいっただろう」とあれほどまでに自信をもっている様子は目を見張るものがある.」 この領域で確信を控えもっと謙虚になるのは歓迎すべきことではあるけれど――でも,ありそうにないことでもある.本書が終熄させると主張している論争は,本書でむしろ再燃するのではないだろうか.

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