1954年3月1日にアメリカ国会議事堂で銃撃事件が起きた.犯行に及んだのは,プエルトリコのナショナリスト4名だった.国会議事堂下院議場の「婦人傍聴席」(訪問客用のバルコニー)から,彼らはセミオート拳銃で30発を発砲した.プエルトリコを合衆国支配から独立させる自分たちの要求に注目を集めるのが,彼らののぞみだった.
犯行に及んだナショナリストたちは,プエルトリコの旗を掲げ,第83回議会で集まっていた下院議員たちに向かって発砲をはじめた.議員たちは,移民法をめぐって議論している最中だった.5名の下院議員が負傷,そのうち1名は重傷を負ったが,全員がのちに回復している.犯人たちは逮捕され,連邦裁判所で裁判にかけられ長期刑を言い渡された.長期といっても,刑期は長く実質的に終身刑だった.1978年と1979年に,大統領ジミー・カーターにより彼らは赦免され,4名全員,すなわち Lolita Lebrón, Rafael Cancel Miranda, Andres Figueroa Cordero, Irvin Flores Rodríguez がプエルトリコに帰国した.
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