普段は予測の話はしないのだが,先週出た IMF の世界経済予測 (World Economic Outlook) は,多くの人が言っている論点を例示している.イギリスも EU諸国も,インフレを加速しない産出水準と自分たちが信じるところまで徐々にもどしていく用意を調えている.その一方で,アメリカはオーバーシュートするアプローチをとっている.しばらく経済を少しばかり過熱させていくアプローチだ.世界経済予測から引用した下記の表は,GDP 成長の予想を示している.重要な数字は,最後の段に出てくる.これは,パンデミックが始まってから景気回復がおおよそ完了する時点までの全体的な経済成長を示している.これを見ると,2022年の成長にばかり注目するのが完全に見当外れだとわかる.だが,きっとイギリスもヨーロッパも2022年の経済成長にばかり関心をしぼることだろう.
もちろん,これは予想ではある.だが,こうした数字には,すでに起きたことも反映されている:アメリカは大規模な刺激パッケージを可決した(主に個々人を対象とした1.9兆ドルパッケージにつづいて,その後には最低でも20億ドルをインフラに投資する).他方,ヨーロッパではなんからの拡張的な施策がなされるにしても,それはもっと穏当なものになる見込みだ(7500億の回復基金).前に指摘したように,イギリスでは3月の予算後に〔インフレを加速する水準を〕下回るよう計画されている.アメリカの水準超過アプローチとイギリスのような水準下回りアプローチのちがいは,予想産出ギャップに目を向けるといっそうはっきり見てとれる.ただ,およそどんな産出ギャップの数値も,いくらか眉につばを付けて受け取るべきではある.
イギリスが〔いったん超過させてから下げるのではなく〕「通常」の水準に下からアプローチしていくよう計画していることは,予算責任局 (OBR) も認めている.予算可決後に述べておいたように,イギリスの予想インフレは相変わらず目標を下回っている.このため,短期金利が上がることはまずないだろうと予想される.スナック〔財務相〕が経済刺激策として予算で公表した主な施策は,投資を前倒しにする各種の財政的インセンティブだった.これは,アメリカの刺激策に比べてほどほどのものになっている.このイギリスの刺激策の理由と限界については,James Smith がここで述べている.
では,水準超過(オーバーシュート)で景気回復後もしばらく経済を少し過熱させるのに比べて,水準下回りアプローチにはどういう相対的な長所があるのだろうか? 金利が下限にあるなかで,答えははっきりしている.第一に,水準下回りアプローチでもっと段階的に景気後退を終わらせるのではなく,できるかぎり迅速に景気後退を終わらせるのは,理にかなっている.第二に,短期金利がゼロ近傍にあるなかで経済を運営すると,さまざまなのぞましからぬ帰結をともなう.資産価格は(住宅価格も含めて)高いままにとどまっていて,銀行その他の金融機関は収益をもとめて高いリスクに手を出すかもしれない.金利が下がる余地のない経済は,負のショックにいっそう弱くなる.なぜなら,〔中央銀行による〕金利操作に比べて,財政政策による対応はもっと緩慢になる(しかも安定しない)からだ.
第三に,各種のリスクについても考える必要がある.どちらにしても,より迅速な景気回復にともなう各種リスクは問題にならない.なぜなら,その場合には,〔実際のインフレ率が〕インフレ目標をいくぶん超過し,金利がいっそうすばやく上昇することになるからだ.目標を上回るインフレ率が(あるいは一次産品価格の上昇に起因するインフレが)イギリスやアメリカやユーロ圏で定着する確率は,ゼロだ.経済を過熱させようと運営している場合には,ダウンサイド・リスクは問題にならない.あとで経済を冷やすことになるからだ.
水準下回りアプローチを計画している場合には,ダウンサイド・リスクは深刻なものになる.なぜなら,金利が下限にあって下げる余地がないなかで,景気後退がもっと長引くことになるからだ.とりわけ,なんらかの赤字目標〔財政赤字を一定範囲内にとどめる目標〕を政府が設定している場合には,問題だ.そうした政府は予想外に緩慢な景気回復に対して,財政刺激で対応することがありそうにないからだ.これこそ,イギリスの2010年緊縮で間違っていた点だ:ユーロ圏危機のせいで景気回復が予想どおりに進まず,オズボーンはそれでも緊縮計画を継続した.
だが,根拠もない赤字懸念で2010年以後の景気回復をつぶしたイギリスとユーロ圏の教訓が得られたにもかかわらず,イギリスもユーロ圏も,パンデミック後に同じ失敗を繰り返そうとしているように見える(かつてよりは穏やかなかたちとはいえ).イギリスもユーロ圏も,バイデンの例に倣って,ひとたびワクチン接種が完了したら COVID 景気後退を終わらせるべく財政刺激を用いるべきだ.
もちろん,バイデン・プランの意義は,良好な景気回復を確実におこすマクロ経済学の射程を大きく超えている.この点は,Philip Stephens と James Meadway が論じているとおりだ(ノア・スミスは,さらに詳しく分析している〔日本語記事〕).私個人の意見を言えば,選挙前にはかなり冴えない候補と目されていた人物が政権をとって大きく様変わりしえたことに,かなり希望を感じている.だが,トランプの後に冴えないことが続けば,トランプ復帰をほぼ確実にお膳立てするレシピができあがる点は,ぜひ認識しておきたい.バイデンの計画は,ネオリベラリズムの終わりの始まりを迎えるものという面もあるにせよ,それ以上に,民主主義をもはや信じていない政党の手から合衆国を取り戻す真剣な試みだ.
2017年に他の文章で論じておいたように,その発祥地であるイギリスとアメリカの2ヶ国におけるネオリベラリズムは,すでに金権政治に変質している.かつて,私はこう書いた:
「EU離脱やトランプがネオリベラリズムの新たな展開を代表していると考えるのは間違いだろう.どちらも,貿易に強い規制をかけようとしている.だから,EU離脱はネオリベラリズム内部での分裂と見る方がより正確だろう.私から見て,それよりもっとはっきりしているのは,政治的右派の各種政策にネオリベラリズムが反映された帰結がポピュリズムなのだという点だ.」
ここで述べたように〔日本語記事〕,かつての平常に復帰してみても,この金権政治とは戦えない.なぜなら,かつての平常は,いま私たちが逃れようとしている金権政治をつくりだしたものに他ならないからだ.民主主義のために戦うには,(経済の観点で)左に転換する必要がある.そして,いまアメリカが起こっているのがそれだ.その理由は,ごく単純だ――左派の方針に急進的な経済面の変化が起こらないかぎり,合衆国でトランプが当選できるほどの票を集めた理由が,ふたたび発生するだろう.左に移行しても,そうした事態が確実に起こらなくなるわけではない.だが,左に移行することで,民主主義が戦うチャンスが生まれる.トランプを産み出したネオリベラリズムに復帰するのは,トランプ復活をみずから願うようなものだ.
原註 [1]: ネオリベラリズムの分裂について語るのは,当時こそ正しそうに思えたものの,いまとなっては見当外れに思える.トランプや EU離脱に対する右派からの反対はすべて消え去っている(もっと正確に言えば,消し去られている).右派でこれらに反対していた人々は,なにも言わなくなっているか,金権政治への反対を支持しはじめている.そこで,トランプと EU 離脱は,イギリスとアメリカにおけるネオリベラリズムからポピュリスト金権政治への進展がたどりついた最終段階にすぎないと言っておこう.
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