●Mark Thoma, “Did Keynes Support Having a “Central Plan”?”(Economist’s View, April 29, 2011)
バークリー・ロッサー(Barkley Rosser)のブログエントリーより。
“Did Keynes Support Having a “Central Plan”?” by Barkley Rosser:先ごろ公開されたばかりの「ケインズ vs ハイエク」のラップバトル第二ラウンドの動画〔日本語字幕つきの動画はこちら〕の中で、ハイエクがケインズに向かって「お前は『中央による計画』を支持してる」とディスり返している場面が出てくる。・・・(略)・・・オーストリア学派の面々を中心に、「中央による計画」を支持していたというかどでケインズを糾弾する声が高まっているが、その様子を傍(はた)から見ていると居ても立っても居られなくなってしまう。・・・(略)・・・ケインズが「中央による計画」を支持していたというのは、正しい評価と言えるのだろうか? その答えは、ほぼ確実に「ノー」というのが私の考えだ。「中央による計画」というのがソ連型の計画経済(中央指令的な計画経済)を意味するのだとすれば、答えは確実に「ノー」だ。ソ連型の計画経済は、ハイエクの『隷従への道』の中で批判の対象となっているが、ケインズは『隷従への道』を称える手紙を送っているのだ。
一見すると、ケインズが「中央による計画」を支持しているかに思える証拠もなくはない。その中でも筆頭と言えそうなのは、二つ。まず一つ目の証拠は、ケインズが1920年代に著した『自由放任の終焉』だ。このエッセイは、第二次世界大戦後にフランス、日本、インド、韓国などといった国々(イギリスやアメリカは除く)で「指示的計画」(indicative planning)の導入が図られた際に [1]訳注;比較経済体制論に焦点を当てた学術誌であるJournal of Comparative … Continue readingヒントの一つになったと言われている。
『自由放任の終焉』を紐解くと、「不確実性」が原因で格差(富の分配における不平等)や失業が生み出されかねないと指摘されているが、その流れで次のような主張が展開されている。「これらの事柄〔『リスク、不確実性、無知』から生じる諸問題〕に対処するには、中央機関による通貨および信用の慎重な管理に頼るか、ビジネスにまつわる情報を広範囲にわたって収集して公開するかするべき――必要とあらば、ビジネスにまつわる情報のうちで知るに値する事実の全面的な公開を求める法律の制定にまで踏み込むべき――というのが私なりの考えだ。私的企業内部の入り組んだ事情の多くの面が、いくつかの適任な機関による指導的な情報収集活動(directive intelligence)の対象となる――そのようなかたちで、『社会』を巻き込むことになる――だろうが、かといって、民間の自主性なり冒険心なりを妨げるわけではない」。
解きがたい矛盾が述べられているという突っ込みが入りそうだ。「いくつかの適任な機関による指導的な情報収集活動」が求められているところなんかは、ソ連型の計画経済っぽい話と言えなくもない。その一方で、「民間の自主性なり冒険心なりを妨げ」ないように歯止めがかけられるらしいので、社会主義国における徹底した計画経済とは大違いだ。
国家によるビジネス情報の収集については、今や大半の高所得国で当たり前のように行われている。さらには、国家によるビジネス情報の収集は、かつて多くの国々で試みられた「指示的計画」の根幹をなしていたという意見もある。「指示的計画」が功を奏した時代には――1950年代のフランスがその例として挙げられることがある――、国が作成した長期経済計画が需要の見通しを立てやすくして、企業家たちの(ケインズのよく知られた表現を借りると)「アニマル・スピリッツ」を奮い立たせる外からの刺激の一つになったと言われている。
次に二つ目の証拠に話題を転じるが、ケインズが「中央による計画」を支持していたとされる証拠としてたびたび持ち出されるのが、『一般理論』の最終章にある以下の記述だ。
「社会全体の投資量を最適な水準にまで持っていくには、金融政策が金利に及ぼす影響力に頼るだけでは十分ではないように思える。完全雇用に近いところまで持っていくには、やや広範囲にわたって投資を社会化する方向に向かうしかないのではなかろうかと思われるのだ。そのためには、官民協働に向けてあらゆる手を尽くす必要がある。とは言え、国家社会主義体制への移行をまで求めているわけではない。国家は社会の経済活動の隅々まで干渉せよと言いたいわけではない。」
またもや解きがたい矛盾が述べられてるじゃないかという突っ込みが入りそうだし、ハイエクに意見を求めたとしたら、「投資の社会化」に乗り出すなんていうのは「隷従への坂道」を用意するに等しいという答えが返ってきそうなところだ。とは言え、上に引用した箇所の後のところで語られている内容も踏まえると、ケインズとしては、社会全体の投資の「総量」をコントロールしようと考えていたのであって、個別の投資の中身(内容)までコントロールしようなんて考えは持ってなかったことは確かだ。
一見すると、ケインズが「中央による計画」を支持しているかに思える証拠のうちで有力そうなのが以上の二つだ。二つの証拠に照らす限りだと、国家にビジネスにまつわる情報を収集・公開したり、社会全体の投資の総量をコントロールしたりするのを求めている一方で、経済面での決定の多くについては「民間の自主性」に委ねるという立場のようだ。ケインズが「中央による計画」を支持していたとはどうも言えそうにない。「中央による計画」というのが、ハイエクが批判したソ連型の計画経済を意味しているのだとすれば、ケインズはそういう意味での「中央による計画」を決して支持していなかったと断言できよう。 ・・・(略)・・・
References
↑1 | 訳注;比較経済体制論に焦点を当てた学術誌であるJournal of Comparative Economicsの第14巻第4号(1990年12月号)で、「指示的計画」の理論と実際にまつわる特集が組まれている。ちなみに、日本における指示的計画については、佐藤和夫氏が論文を寄稿している。 |
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