サイモン・レンルイス「財務相ひいては首相も退任することに一役買った市場の役割を心配するよりも金融市場が動いた理由を理解することことが重要である理由」(2022年10月18日)

[Simon Wren-Lewis, “Why it is crucial to understand why financial markets move, rather than worry about the role of markets in aiding the downfall of a Chancellor and perhaps a Prime Minister,” Mainly Macro, October 18, 2022]

〔※サイモン・レン=ルイスの長文記事を2回に分けて掲載します.本論に続く「補論」(Appendix) はこちら.〕

はじめに

メディアはときに金融危機を利用して,昔の宗教指導者たちによる自然災害利用とだいたい同じことをやる.大勢のトレーダーたちの行動の結果として市場は動く.トレーダーたちはそれぞれに異なった考えをもって行動していて,その関心はもっぱら他のトレーダーたちを予測することにある.そのため,市場の動きについて評論家たちはほぼどんなことでも好きに言える.なにを言っても,その間違いがすぐに証明されることをさして恐れなくてすむ.「市場の信認」といった神秘的な言葉やあやふやな言葉が使われる.それに加えて,同じ理由から,「底なしのポンド安」「天井知らずの金利上昇」といったヒステリーめいた発言も後押しされる.ようするに,金融市場はときに「復讐の神」として扱われる.その神がご立腹である理由を告げる司祭どもには事欠かない.

市場の動きを解釈するのにメディアでよく使われる評論家たちは,ロンドン金融街のエコノミストたちだ.そのため,メディアでの論評には右派への偏りがかかっている.(とはいえ,偏りにすぎない:もちろん,金融街エコノミストにも右派でない非常にすぐれた人々はいる.) その最悪のあり方は,イギリスでは2009年と2010年に現れた.当時,「市場は緊縮を求めている」「緊縮なしには恐ろしい事態が起こる」などと語る金融街エコノミストがあまりにも大勢いた.ここで述べたように,『フィナンシャル・タイムズ』紙の取材を受けた金融街エコノミストのうち半数は,こんなたわごとに賛成していた――「2013年のイギリス経済の回復によって,緊縮の正しさが証明された.」

トラス/クワーテングの財政イベントに対する市場の反応は,これと異なる.その理由は2つ.第一に,市場に大きな動きが起きたのは,事実上の予算案発表の直前・直後だった.よって,馬鹿げた説明をでっちあげるのは,あのときほど簡単ではなかった.さらに,今日,予算案に論評を加えている経済記者たちの多くは,かつて緊縮を名案だと考えていた金融街エコノミストよりもずっと地に足のついた考えをもっている.第二に,9月の「財政イベント」の結果として市場に起きていたことについて直後になされていた解釈は正しかったと考えるべきまともな理由がある.

9月に起きた市場の反応

あの予算案に市場が反応して動いた理由については,まだ多少の混乱が見られるので,「補論」を書いておいた.そちらでは,あの財政イベントののちにイギリスの短期金利の予測に関わる不確実性が高まり,それゆえにポンド建て資産保有全般のリスクも高まったと考える理由について,できるかぎり平易に述べてある.だが,あの財政イベントは,イギリス政府が債務不履行を起こす確率を高めたわけではないし,また,〔金融政策の〕「財政への従属」の確率を高めたわけでもない.さらに,金利上昇の予想で話が終わるわけでもない.

そうではなく,9月の減税案で不確実性が高まったことは,基本的に次の点の問題だった.すなわち,その減税分だけ政府支出を削減するのか,削減するならどうやるのか,という点についてはっきりさせることなく減税案を発表したことが,不確実性を高めたのだ.だが,それで話は終わりでない.どのような政府支出削減を発表していたにせよ,いま支出を削減するのは,およそ信用しがたい.政権は支出削減を約束するかもしれないが,2010年の緊縮後にこれほどまで政府支出が低水準になり,さらには最近のインフレでいっそう絞られているなかで,政府支出の削減など実際にはなされないかもしれない.同じく,近年,民間部門に比べて安定して実質賃金が下がってきている公共部門の労働者たちに,政府は譲歩を余儀なくされて支出削減分が相殺されることもありうる.

こうした事情から,減税案は財政政策の〔税収と対比した〕支出側の規模とその経済的影響について大きな不確実性を生じさせることとなった.これは,イギリスの短期金利が将来たどる推移についての不確実性につながり,それが今度はイギリス政府の債務残高の将来利回りと為替レートに影響する.ある通貨建ての資産の将来価格が突如として不確実性を増すと,市場にいる人々の大半はリスク忌避の傾向があるために,そうした資産を避けたり,より高い利回りを要求するようになる.年金基金など,そうした資産を売っている側としては,突如として買い渋りに直面することになる.

もちろん,年金基金がこの種のリスクに手を出すべきだったかどうかについて問うこともできる.だが,そのリスクが出てきた理由は,9月の減税案にある.だが,イングランド銀行が「最後の値付け人」(market maker of last resort) として介入せざるを得なくなったことで,不確実性はさらに高まった.その理由は,ときに「金融の従属」(financial dominance) と呼ばれるものにある.金融の従属とは,イギリスの特定の金融機関を困難に追い込むことになるかもしれないためにイングランド銀行の金融政策行動が妥協することになることを言う.政府支出削減をめぐる不確実性に加えて,金融の従属もまた,イギリスの資産をめぐる不確実性となっている.

残念ながら,9月の減税案で高まった不確実性には,さらに3つ目の水準もあると私は考えている.これは,先の2つの不確実性よりもいっそう深い.イギリスで,一群の政治家たちがEU 離脱という自傷的な重大行為に手を染めたときには,それが一回限りの出来事でその後も政府は有能でありつづけるのかどうか,判断できる.この9月にまたしても自傷的行為に手を染めたときには,同様のことがいずれ繰り返されるのではないかという心配がはじまった.その理由は,市場が経済的な能力そのものに関心をもっているからではなく,イングランド銀行が設定する金利の将来推移にそれが影響を及ぼしうるからだ.そのために,ポンド建て資産保有に関わる不確実性が高まることとなるのだ.

「市場の力」

以前の記事で9月の財政イベントへの市場の反応について語ったとき,「レン=ルイスは右派の物語を使っている」という批判が寄せられた.この批判は,馬鹿げているというほかない:市場の反応は現に起きたことで,「なぜこういう反応が起きたのか」をみずから理解してその論議を腹に一物ある連中に委ねないことが大事だというのがこの記事の主題だ.「持続不可能な財政赤字について語るのは緊縮の物語に迎合することだ」という考えも,同じく馬鹿げている:私はつねづね緊縮に反対してきたが,だからといって財政赤字がどうでもよいという話にはならないということを明言してきた.だが,市場がときに政府の政策に対してふるっているように見える力について――政府の政策をひっくり返すことすらあるように見える力について――左派のあいだではいっそう懸念が強まっている.そうした市場の力は,民主的に勝ち取られた力に対立しているからだ.

以前,労働党のある分派の集まりに招かれて講演したときのことを思い出す.1992年に,欧州為替相場メカニズム (ERM) からイギリスが脱退を余儀なくされたあとのことだ.あの ERM 脱退も,保守党の経済面の評判に市場が痛打を与えた出来事だった.だが,「通貨投機家たちがやったことはイギリス経済にとってとてもいいことだったんですよ」と指摘すると,聴衆からは反対の声が次々と返ってきた.私は事実を語ったのだが,通貨投機家たちによってイギリスポンドがあるべきレートに収まらざるを得なくなったという指摘は,聴衆のお気に召さなかった.

だが,このエピソードや目下の状況からは,「金融市場のせいで先進国の左派指導者たちに右派の政策が強いられる」という考えが不正確であることがはっきりとわかる.金融市場が主になにをやるかといえば,将来の出来事の予測だ.マクロ経済政策がもたらす帰結やその両義性を,衆目に明らかになる前に,市場は露呈させる.さきほど見たとおり,問題点は,他でもなく政府の政策にあって,市場にはない.不確実性があるために企業が投資できないでいるときに,「企業には不当な経済的力がある」と言う人はいないだろう.だったら,金融市場についてもその発言は意味をなさないのではないだろうか? [1]

困るのは,市場を復讐の神のように扱うことだ.市場は,たんにマクロ経済の一部として理解のおよぶ行動をとっているにすぎない.市場を復讐の神のように扱うことでメディアの評論家たちは空想上の市場の反応をひっきりになしに引き合いに出しては,政策判断の方法にする.先週は,そうした言動をたっぷりと目の当たりにした.あちらには「9月の市場の反応によって財政緊縮が正当化された」という馬鹿げた主張を言う人々がいるかと思えば [2],こちらには「市場は政府支出削減を要求しているのだ」と示唆する人々がいるという具合だった.道理の分かった経済学者なら,クワーテングが9月にやったようなことを勧めはしない.市場がやったことすべてが,この事実を確証している.したがって,市場の信認を回復する最良の方法が9月に発表された減税案を撤回することなのは,明らかだ.したがって,新しい財務相がこの月曜にまさにそうしたことは,意外ではない.

次の総選挙後に労働党が政権をとったとして,9月の市場の反応からえられる教訓はあるだろうか? ズバリ言えば,ない.帳尻合わせのない減税案に対するあの市場の反応には,経済の温暖化対策に投資するべく政府が借り入れてはいけないと物語っているところはまったくない.また,増税をともなうかぎり公共サービスにもっとお金を使ってはいけないと物語っているところもない.帳尻あわせのない減税に対する市場の反応からわかるのは,マクロ経済政策を透明で信用できて持続可能なものにすべきだということであり,また,労働党の歴代財務相や「影の内閣」の財務相はその点を理解している.

将来の労働党政権がとるマクロ経済政策の枠組みの弱点をなにか一つどうしても挙げろと言われれば,次の点を挙げたい.中期的に公共債務残高の対 GDP 比を下げる目標を維持している点だ.帳尻あわせのない減税案に対する市場の反応は,この特定の目標を掲げる必要について,なんら語るものではない:あの財政イベントで,債務残高の対 GDP 比の中期的な低下を達成するつもりだとクワーテングは言っていたが,その発言があってもああいう結果になった.対 GDP 比の債務残高の低下という目標は,大規模な公共投資と相反する可能性もある.この相反じたいが,不確実性を高めてしまう.持続可能な中期的経常赤字について目標を設定し,それと整合する税制の実施や信用できる政府支出の決定を下すこと――市場の信用を維持するために財政政策が必要とすることは,それにつきる.

まとめよう.1992年に破滅的な為替レート固定の放棄にまで市場が政府を追い込んだことに人々が喜んでしかるべきだったのと同じく,公共サービスが深刻な苦境にあるさなかに帳尻あわせのない減税が理にかなうなどと考えた政府に市場が痛手を与えたこともまた,喜んでしかるべきだ.これから次第に GDP に占める医療サービス需要の割合がさまざまな要因で増加していく状況にあるなかで,保守党全体が減税に執着しているために,イギリス経済はこれまでずっと打撃を受けてきた.EU 離脱や「コロナウイルスと共に暮らす」方針によって,その打撃はいっそう厳しいものとなっていた.残念ながら,保守党がこの過ちを理解するには近年のさまざまな出来事だけではまだまだ足りないようだ.

〔※この記事の「補論」はこちら

原註 [1] 金融市場の不確実性を経済がどれほど許容する必要があるか――とくに,その不確実性がみずからの経済にほとんど関係がないかもしれないときにどれほど許容すべきか――という,まったく別の問いもある.

原註 [2] 「2010年の財政緊縮に代わる選択肢は,持続不可能な財政赤字しかなかった」という主張は,たんに馬鹿げている.まともなマクロ経済政策は,時宜を選んでなすべきことをなすものだ.2010年で優先されることは,第二次世界大戦いらいもっとも深刻な景気後退から力強い回復を果たすことだったのであって,財政の帳尻を合わせることではなかった.ひとたび力強い景気回復が果たされたなら,財政赤字は持続しがたく,増税なり支出削減なりをすればよい.おそろしいまでに時宜をえなかったことで,2010年の緊縮は景気回復をつぶし,その結果としておそらく私たちみんながより貧しくなってしまった.

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