独裁者が恥をかいたという知らせは一般的には喜ばれるが、それが国家の悲劇や真にグローバルな問題をも招くとしたらどうだろうか。
10月に習近平が彼個人による中国の体制の完全支配を宣言したことは、中国の歴史にとって不吉な転換となり、世界中の自由の友たちの間に悲哀をもたらすことになった。2020年以降、習近平の個人的権威を主に支えているのは、「人民至上、生命至上(人民とその生命を何よりも優先する)」を掲げる「コロナウイルスの蔓延を阻止するための全面的な人民戦争」、すなわちゼロコロナ(中:清零、英:Zero Covid)である。
習近平政権の最も誇らしい自慢は、米国が100万人以上の新型コロナウイルスによる死者を記録したのに対し、中国はわずか5000人余りであるという事実である。2020年5月15日から2022年2月15日まで、世界中で毎日何千人もの人々がコロナで亡くなっている中、中国本土での死者は1日あたりわずか2人だった。中国がプロパガンダのために数字を控えめに発表している可能性を考慮しても、習近平の中国は明らかに、西側諸国のどの国よりもウイルスの最悪の影響から国民を守ることに成功している。その結果、2021年には中国の平均寿命が米国を抜くという、まさに歴史的な瞬間が訪れたことは、あまり語られることのない事実である。
しかし、習近平が党大会で勝利を収めてからわずか数週間後の今、ゼロコロナ政策は危機に瀕している。感染症が蔓延し、中国の人々はもはや我慢の限界に達している。
閉じ込められ絶望した労働者や憤慨した学生たちが街頭に出てくる。瓶を投げつける住民たちは、機動隊と壮絶な戦いを繰り広げている。海外にいる華僑・華人のコミュニティは、大使館警備員の不気味な気配をものともせず、抗議集会を開いている。
こうした動きは明らかに習近平の権威を試すものであり、彼が権力を握って以来最も深刻な試練である。抗議者たちの勇気に深く敬服するとともに、相次ぐ気まぐれなロックダウン(封鎖)によって引き起こされた憤りと絶望に同情せざるを得ない。中国の大部分では、日常生活を維持することが難しくなっている。同時に、習近平を追い詰めて得られるシャーデンフロイデ(他人の不幸を喜ぶ気持ち)には抗しがたいものがある。習近平の「無謬の神話」が試されているのだ。
しかし、ゼロコロナ政策に反対する抗議活動に味方するのは魅力的に見えるかもしれないが、ここで疑問が出てくる。つまり、政策の代替案は何なのかということだ。ゼロコロナを放棄することが習近平にとって打撃になるという事実は、それが正しい政策であることを意味しない。北京が直面しているジレンマ(二律背反)は、習近平の正統性の問題という範疇を超えている。ゼロコロナ政策がいかに滑稽に見え、中国人の日常生活への介入がいかに抑圧的で気まぐれであるにせよ、それは膨大な数の命を救ってきたのである。もし北京がこの政策を放棄するという要求に従えば、中国共産党だけでなく中国という国にとって公衆衛生上の災厄をもたらす可能性が高い。
オミクロンはデルタより危険性は低いが、感染力は極めて高い。もしパンデミックを放置すれば、数億人が感染することになる。重症化率が低くても、中国の医療システムは、2020年のように一握りの都市だけでなく、全国的に無理な負担を強いられることになる。何十万人もの弱い立場の人々、いやそれ以上の人々が死ぬ可能性がある。
繰り返し述べておきたいのは、中国は経済的には目覚ましい成功例かもしれないが、いまだに中所得国であり、福祉のセーフティネットと医療の供給は脆弱であることだ。特に何億人もの人々が暮らす農村部はそれが顕著である。
2021年末までに、中国本土では全体で970,036の地域病院が設立され、300万人以上の医療従事者が働いている(住民1,400人につき地域病院が1つ程度)6。この数百万人の地域医療従事者は、新型コロナウイルスの全国的な流行を食い止めるための最前線の戦力となり得るが、彼らには訓練と投資が必要であり、北京はこれまでそれらを提供できていないのだ。
上海で緊急事態が発生した2022年5月にネイチャーメディシン(米医学誌)に掲載された論文によると、中国のコロナ規制が解除されれば、感染症の「津波」が起きる恐れがあるという。2022年春時点のワクチン接種率に基づき、同論文の著者らは、中国に必要な集中治療(ICU)ベッドの必要数が既存病床数の15倍以上になると予測している。彼らのモデル計算によれば、155万人が死亡する可能性がある。これは深刻な数字だ。エコノミスト誌の予測だと、集中治療のニーズがすべて満たされると仮定して68万人前後と見ているが、こちらの数字はあまりにも楽観的すぎる。
注目すべきは、最悪のシナリオであっても、中国に予見される大惨事は、アメリカやヨーロッパの危機管理の失敗に匹敵する規模にはならないことである。人口に換算すると、アメリカでいう100万人の死者は、中国では400万人以上の死者に相当する。流石にそのような事態は想定されていないようだが、多くの研究で予測されている50万から150万人の死者という数字は、それでもなお破滅的な大災害といえるだろう。2020年1月〜2月の武漢や2022年初頭の香港で起きたような病院内の混乱が、中国全土で何百回も繰り返されるーーそのような光景は誰も望むべくもない悪夢である。
2020年、北京はこの恐ろしいシナリオを回避するために、短期間の急激な国家級ロックダウンを行い、流行を1つの省の都市群に封じ込めた。オミクロンの感染力は非常に強いため、現時点では既に感染が蔓延しており、全国的な強硬策(2022年春の上海の対策を全国的に適用するような措置)を講じなければ、封じ込めることができない恐れがある。しかし、それ自体が恐ろしい見通しであり、今の上海が示しているように、長期的な解決策にはなりえない。上海が今後数カ月のうちに再びロックダウンをしなくて済む保証はどこにもない。
オミクロンはそれほど危険ではないという楽観的な意見もある。しかし、香港がそうであったように、中国の高齢者は特にワクチン未接種者があまりにも多いため、恐怖を感じずにはいられないだろう。
ゼロコロナ政策の継続に耐えられるようにするには、上海で適用されているものよりはるかに親切で合理的な検疫モデルを実施する必要があるだろう。しかし、世界最大の人口を抱える何万もの都市や小さな町や村に、どうやってそれを実施するのだろうか。気の遠くなるような挑戦である。11月11日、習近平政権は新たな戦略を発表し、20項目の主要パラメーター [1]「感染予防・抑制活動をさらに最適化する二十項目の措置」、参照 を通じて、地方公務員がトレードオフを管理する際の指針を示した。しかし、それで事足りるかは誰にも分からない。上海の苦い教訓は、標的を絞ったロックダウンではオミクロンを封じ込めることができなかったのに対し、包括的なロックダウンはうまくいったということだ。もし、北京、中国共産党、地方当局が妥協点を見出せないようであれば、2020年、2021年の欧米諸国と同様、あらゆる方面で失敗することになる。感染拡大を食い止めることはできないだろう。経済に深刻なダメージを与え、さらなる暴動を引き起こすだろう。
他方で、北京がゼロコロナ政策を完全に放棄すれば、オミクロン株の感染力を考えると、1日あたり数千万人の新規感染者が発生する流行に直面する可能性がある。ゼロコロナ型のロックダウンを繰り返すことによる混乱は甚大だが、2020年に欧米が苦労して耐え忍んだように、パンデミックの蔓延は経済的なコストも大きい。
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単純な答えは存在しない。習近平政権は巨大なリスクを天秤にかけている。そんなことは世界の他の国々が気にすることではないと妄想したり、シャーデンフロイデにふけったりする人は、2020年2月に思い知ったはずの第一の教訓から学んでいないのだ。武漢で起きたことは、武漢だけの話では済まなかった。
中国が直面している人災とは別に、パンデミックの新波はさらなる突然変異を引き起こす深刻なリスクを抱えている。医学専門家の中には、中国人は新型コロナに免疫のない人が多いので、新種の変異株や危険な変異株が生まれにくいと主張する人もいる。
彼らが正しいことを祈ろう。しかし、このような選択肢を天秤にかけているという事実こそが、次の基本的な事実を暗示しているーーつまりこの瞬間、習近平の中国はタイムマシンとなり、時を遡る旅へと我々を連れていくのである。何十年も遡って毛沢東の時代へと行くわけでも、また何百年も遡って帝国王朝の時代へと戻るわけでもない。党大会の時に思い浮かべた景色はそのような時代だったであろうが、我々が逆戻りしたのは2020年の暗黒時代だ。武漢の惨劇に始まり、救急治療室を混沌に陥れたベルガモとニューヨークの恐怖へと続くあの暗い日々のことである。おびただしい数の死者と莫大な経済的損失をいかに天秤にかけるかーー我々があの時直面した問題を、中国は今になって抱えているのだ。
新型コロナウイルスの最初の株とは異なり、現在、中国のゼロコロナ政策を圧倒しているオミクロン株は、中国発のものではない。オミクロンは、全世界に広がったパンデミックから生まれたのであり、ゼロコロナ政策は〔少なくとも〕2年間にわたって中国をこのパンデミックから守ってきた。再び流行が加速しようとしている今、私たちはもう一度、中国の問題は「対岸の火事」であるという思い込みから脱却しなければならない。
北京が恐怖の袋小路から抜け出す道はある。大量にワクチンを接種し、抗ウイルス剤を十分に供給して患者の闘病を支援することだ。しかしそれには疑問が残る。
中国は初めて〔新型コロナの〕ワクチン接種を行った国だ。3回接種すれば、入院を要する症状や死亡を防ぐのに高い効果を発揮するワクチンを中国は持っている。mRNA(メッセンジャーRNA)ワクチンがないことが問題なのではない。さらに、中国の巨大な人口の圧倒的大多数は、基本的な2回接種コースの計画を完了している。北京が失敗したのは、3回目、4回目のブースター接種を迅速に行うことと、最も脆弱な人口である60歳以上の人々への接種範囲を適切かつ確実にカバーすることだ。ブルームバーグが引用した最新の数字によれば、「60歳以上では69%、80歳以上では40%しかブースター接種を受けていない」。つまり、数千万人の高齢者が全く保護されていないことになる。香港で亡くなったのは、まさにそのような人たちである。
私の知る限り、特に高齢者に対する包括的な予防接種が行われていないことについて、十分に納得できる説明は全くなされていない。
医療社会学や医療心理学の専門文献には、ワクチンへの抵抗感を説明するのに役立つ良い研究がたくさんある。
中国は、60歳未満の人々に対して間に合わせのワクチンを提供するという、自らの性急さの犠牲者となった。この性急さのせいで、「中国のワクチンは適切にテストされておらず、より脆弱な高齢者に使用するには安全ではないのではないか」という認識が生まれた。
中国には残念ながらワクチン関連でスキャンダルを起こした前科があり、国産ワクチンの臨床試験で中国製ワクチンの接種が高齢者にとって安全で有効であることを示す良いデータもない。これでは信頼が高まるはずもない。
医療従事者は、高血圧や自己免疫疾患を持つ人にワクチンを勧めることに慎重な姿勢を保っており、新型コロナの感染確率がごくわずかであることを考えると、リスクを冒す理由はほとんどないように思われた。中国のほとんどの地域では、新型コロナはニュースで報道されているだけの存在に過ぎなかった。2020年のコロナ対策が功を奏し、多くの都市では1人の患者も記録されておらず、高齢者もその脅威を非常に遠いものと考えている。
中国の国民と政権もまた「対岸の火事」症候群に陥っていたのである。無理もないことだが、新型コロナは、失敗し落ちぶれた西側諸国の問題であると思い込んでいた。北京は、広範なグローバル戦線に加わって、予防接種を支持し、手元にあるワクチンでブースター接種を行うことはしなかった。むしろ北京は、メディアが一般的なワクチンの有効性と安全性に関する疑問を広めるのを許したのである。
しかし、本当の疑問は、表向きは社会を支配している中国共産党政権が、なぜ個人の態度や世論を重視するのかということである。なぜ政権はワクチン接種を義務付けなかったのか。
その理由の一つは、ゼロコロナ政策の第一の目的が感染者数を最小限に抑えることだったからかもしれない。そのため、ステイホームさせるだけで保護できる高齢者よりも、移動の多い若年層へのワクチン接種を優先させることは理にかなっていた。
意外だが、市レベルでワクチン接種プログラムの遂行が求められているのに、市当局はこれを強引に進めることを拒み続けている。コロナの流行がピークに達した頃、上海市当局は報奨金を出し、高齢者を往診してワクチン接種を行った。その結果、高齢者層の1回目の接種率は7割近くに上った。しかし、ブースター接種がなければほとんど予防効果はない。
北京市政府が中国で初めてワクチン接種を義務化しようとしたとき、結果は屈辱的なものだった。日常生活に必要不可欠な小売店はワクチン接種義務を免除されたものの、接種の強制に対する国民の反発から、義務化の発表から48時間以内に撤回を余儀なくされた。9月、中国国家衛生健康委員会は、ワクチン接種の奨励金や「ワクチン事故」に対する保険は容認できるものの、ワクチン接種の義務化は国策として否定されることを明らかにした。衛生健康委の専門家は次のように言明している。
これらの措置(義務化)はワクチン接種の原則に反し、また大衆に不便をもたらすものである。疾病管理局の呉良友副局長は、新冠コロナのワクチン接種は、知識、同意、自発性、「実事求是(事実に基づいて真実を求める)」の原則に従って行われるべきであると述べた。また、接種政策・措置の導入は、厳格かつ慎重に、真剣に評価し、法令を遵守し、最低ラインである安全性を厳守しなければならないと強調した。報道によれば、国家衛生健康委員会は、各地が健康コードとワクチン接種コードのダブルチェックを有効活用するよう指導し、このダブルチェックを強制接種に紐づけることは断固として防止するという。
ワクチン接種に対する政権の潔癖さは意外である。中国共産党政権が強制的な措置を取ることに抵抗がないのは明らかだ。平時において、労働者を工場に閉じ込めるクローズドループ生産のシステムほど、強制的なものはないだろう。また、政権がコストを惜しむこともない。1億人を1日で検査するゼロコロナの巨大な検査装置は、非常に高価である。エコノミスト誌によると、
新型コロナの検査器具を生産する大手35社は、2022年上半期だけで約1500億元(約210億ドル)の収益を上げたという。証券会社のスーヂョウ・セキュリティーズ(東呉証券股分有限公司)は、今年の中国のコロナ検査費用を1.7兆元(GDPの約1.5%)と推定している。この数字は、低く見積もられていると考える人もいるが、2020年の中国における教育への公的支出の半分近くに相当する。
上記は、中国共産党の支配の複雑さ、その強制力の適切な限界の定義や、中国共産党が特定の戦術や手段を好むということを理解する必要性を浮き彫りにしている。
2022年初めに香港の大失敗が一目瞭然となった後でも、北京はワクチン接種を優先させるよりも、精神論と一般化された規律に頼ることを好んだのである。エコノミスト誌が言うように、
2020年の春、何億人もの中国人が示した集団的な自己犠牲の精神は世界を驚かせた。数週間にわたり屋内に閉じこもり、武漢で始まった感染症の発生を食い止めたのである。習近平氏はこの成功の教訓を過信し、自己規律、警戒、隔離がパンデミックに勝利する鍵であると宣言した。
こうした施策は、コロナ禍発生当初のウイルス株であれば有効だったが、オミクロンのような感染力の強い変異株に対しては、ゼロコロナは負け戦となる。12月初旬の現在でも、北京はワクチン接種を義務付けることに尻込みしており、代わりに「ビッグデータ」によって最も脆弱な人々を特別な防御措置の対象とすることができると断言している。皮肉なことに、これは北京が全知全能であるというお決まりの見解を裏付けるものであり、同時にその支配力の限界を示すものでもある。
最良のシナリオであっても、北京の新しいワクチン接種の目標が達成されたと仮定して、脆弱な高齢者が緊急に必要とする保護を受け、北京が袋小路を脱することができるのは、2023年初頭以降であろう。
いずれにせよ、北京が直面しているジレンマは、習近平の権威や正統性の問題をはるかに超えたところにある。エコノミスト誌は、実に素晴らしい要約でこの状況を表現している。
…習近平氏は、景気後退と国民の怒りを招きながらもゼロコロナ政策をさらに厳格に実施するか、あるいは感染症が非常に広く蔓延するのを看過し、膨大な数の死者を出すかという選択を迫られている。習氏が中道を歩むには、ワクチン接種率を上げ、抗ウィルス剤を蓄え、ICUを拡大することに時間を割かなければならない。しかし、彼の持つ選択肢はどれも味気ないばかりか、選択する時間すら残されていないのである。
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原文:
Adam Tooze, Chartbook #177 Beijing’s tragic COVID dilemma, Dec 2, 2022.