「勝ち馬は当たっているか?中国における政府補助金と企業の生産性(In Picking Winners? Government Subsidies and Firm Productivity in China)」という論文で、リーとレンは中国企業に対する直接給付金の効果について検討している。
私たちの結果からは、政府補助金はより生産性の高い企業に支給されてきたという見解や、政府補助金が中国の上場企業の生産性を高めたという見解を支持する証拠をほとんど見いだせなかった。第一に、全体として見た場合、補助金は生産性の低い企業に支給されているようであり、そうした補助金を受け取った企業の相対的な生産性は支給後さらに低下すると見られる。第二に、補助金の種類別のデータを用いたところ、研究開発・イノベーションを促す補助金と産業や設備の更新を促す補助金のいずれも、企業のその後の生産性成長とのプラスの関連性は見いだされなかった。その一方、補助金と雇用の間では、全体としても雇用関連の補助金だけで見てもプラスの関連性が見られた。
日本の産業政策を巡る過去の議論についても論じられているのがいいね。
非経済学者、ビジネス専門家、政策決定者の中には、定性的な手法やほぼ個別エピソードに過ぎないものに立脚しつつ、第二次世界大戦後の日本の急速な復興と力強い成長は巧みな産業政策によって説明可能だと主張するものもいた(Johnson, 1982; Prestowitz, 1988; Vogel, 1979)。そうした論者の一部は、日本の「政府主導」の経済モデルはアメリカの繁栄に対する脅威であると受け止めた。1980年代末には、一部の政策決定者や有力な専門家は「日本封じ込め」政策を呼びかけ、日本のアンバランスな成長によってアメリカ経済が打撃を受けるのを避けるべきだとした。
経済学やそれ以外の分野のより実証主義的な社会科学者たちは、産業政策の有効さを主張する声に懐疑的な目を向け、経済に対する日本の介入は成長産業ではなく落ち目の産業のために行われていることを示唆した(Calder, 1988; Saxonhouse, 1983)。その後、日本政府はほとんど全ての部門をある程度支援しているものの、生産性成長が最も速い部門や企業に重点は置かれていないことを証明する統計データによって懐疑論が強まることになった。この議論の重要な転換点となったのは、1990年代中盤に発表されたリチャード・ビーソンとデヴィッド・ワインスタインの著書で、これによって産業政策が日本の経済的奇跡を引き起こしたとの考えは丁寧な計量経済的手法で脱構築された(Beason and Weinstein, 1996)。同書によって日本の一部の官僚組織が支持した成長部門育成の政策的試みは、政治的なコネはあるものの経済的には弱い企業や産業における雇用水準や支払い能力を守ろうとする側の試みによって相殺された。
長く続いた日本の急速な経済成長は1990年代初旬に突如として終わりを迎えた。その後20年間に渡って低成長を続け、いまや日本の産業政策を手本とすべきと主張する研究者はほとんどいない(Ito & Hoshi, 2020)。
前に「ワープスピード作戦がやったこと、やらなかったこと、できないこと(What Operation Warp Speed Did, Didn’t and Can’t Do)」という記事で指摘したように、企業に対する政府の補助金プログラムがうまくいくためには、「市場の失敗」を大きく上回るものが必要だ。ものすごく大きい外部性や正確かつ深く理解された対象とかね。授業で教わるようなありきたりな市場の失敗じゃ足りないんだ。その理由のひとつは、補助金を出そうとする人たちが市場をしばしば過小評価してしまうのと、政府を過大評価してしまうことだ。
有益なコメントをくれるカレブ・ワトニーに感謝
[原文:Alex Tabarrok “Chinese Industrial Policy is Failing” Marginal Revolution, December 8, 2022]