デビッド・ベックワース 「金融政策と農場管理」(2010年8月19日)

金融政策を農場の管理にたとえると…
画像の出典:https://www.photo-ac.com/main/detail/1890317

クリストファー・ヘイズ(Christopher Hayes)が中央銀行の業務を農場の管理にたとえている。そのたとえに乗っかってニール・アーウィン(Neil Irwin)が説くところによると、これまでに一度として試されたことがないという理由ゆえに、非伝統的な金融政策の実施には厄介な点がついて回る可能性があるという。非伝統的な金融政策がどういう結果をもたらすかが不確実であるために、Fedのお偉方は非伝統的な金融政策に乗り気になれないのではないかというのだ。アーウィンの記事 [1] 訳注;リンク切れから引用しよう。

一国を一つの農場と見立てると、Fedはこの農場に水を散布したり灌漑を管理したりする責務を負う公的機関(agency)と位置付けることができるというのがヘイズの言い分である。Fedの任務は、収穫量を最大化する(=雇用を最大化する/雇用の創出を強力にプッシュする)ために十分なだけの水(=貨幣)を農場に散布し続けることにあるが、それと同時に、水を撒(ま)き過ぎて農場が水浸しにならないように(=インフレが発生しないように)気を付けないといけない。深刻な日照り(=深刻な不況)が続いている昨今だが、Fedは水の散布量を今以上に増やすのに乗り気ではない。その理由は、水の散布量をこれ以上増やしたら、農場がそのうち水浸しになってしまう恐れがあるからだという。

ここのところ続いている日照りは例を見ないほど深刻なものであり、Fedも既に主要な貯水タンクの水を使い果たしてしまっている(=政策金利であるFF金利をゼロ%にまで引き下げてしまっている)のが現状だ。農場に撒く水の量をさらに増やそうとするのであれば、何らかの非伝統的な(いつもとは違う)手段に頼らねばならない。例えば、ヘリコプターを使って農場まで水を空輸してきたり、近くの湖から農場まで水を引いてきたりしなければならないだろう(これらの手段は、いわゆる量的緩和と解釈できる。つまりは、マネーサプライを増やして長期金利を引き下げるために、国債をはじめとした諸々の証券を購入する政策として解釈することできる)。

しかし、問題がある。Fedは、いつも使っている貯水タンクの扱いには慣れていて、農場にほどよい量の水を撒くために貯水タンクのバルブをどれだけ開けばいいかについては長年の経験から知り抜いているが、他の手となるとこれまでに試したことがないのである。近くの湖から水を引いてくるとなったら、Fedはどれだけの水が農場に撒かれることになるのか確信が持てないだろう。湖から送り出されてくる水の量は、収穫量(雇用)を最大化するには少なすぎるかもしれないし、それとは逆に農場が水浸しになってしまう(インフレが発生してしまう)ほどの量に達するかもしれない。

なるほどな指摘ではあるが、農業従事者であるバーナンキさんとその仲間は2008年~2009年に大規模な「信用緩和」に乗り出して、金融農場に大量の水を撒いたのだった。「信用緩和」の効果については多くの不確実性が付きまとっていたろうが、 日照り(足もとの不況)に対する危機意識が非伝統的な手段に付きまとう不確実性への懸念を上回ったからこそ、「信用緩和」に乗り出すという決断に至ったのだろう。同じように、今も十分な危機意識があるようなら、Fedもおそらく非伝統的な手段に乗り出すのを拒みはしないだろう。そこで、重要な疑問が持ち上がってくる。Fedに危機意識が欠けているのはなぜなのだろう?

情報を寄せてくれたエズラ・クライン(Ezra Klein)に感謝。


〔原文:“Farmer Bernanke and His New Farm Tools”(Macro Musings Blog, August 19, 2010)〕

References

References
1 訳注;リンク切れ
Total
0
Shares

コメントを残す

Related Posts