バルザックの『Père Goriot』(邦訳『ゴリオ爺さん』)の中で次のようなセリフが出てくる。「これという理由もなしに築き上げられた巨万の富というのは、犯罪がばれなかった証拠なのだ」。ブレヒト&ヴァイルの『The Threepenny Opera』(邦訳『三文オペラ』)では、金貸しがゆすり屋として登場する。金融業者や実業家について同様の見方に立っているのがライト・ミルズ(C. Wright Mills)の『The Power Elite』(邦訳『パワー・エリート』)である。一部の金融業者と一部の実業家――「パワー・エリート」――が冷戦下の1950年代のアメリカ社会を牛耳(ぎゅうじ)っていたというのがミルズの見立てだ。ミルズが浮き彫りにしている世の姿は、アイゼンハワー大統領が警鐘を鳴らした「軍産複合体」なるものよりもずっと暗澹(あんたん)としている。ミルズによると、1950年代のアメリカでは、政治も経済も戦争を永続化させる(長引かせる)方向に舵(かじ)が切られていたという。それもこれも「パワー・エリート」が力(権力)と金(利潤)を掌握し続けるために。
ミルズの『パワー・エリート』に対しては、ダニエル・ベル(Daniel Bell)をはじめとして同業の社会学者たちから批判が加えられている。抽象的すぎる。テーマがあまりにも大きすぎる。実証的な証拠の裏付けが十分とは言えない。制度に関する分析が不十分・・・などなど。どの批判にしてももっともだし、それに1950年代というのはだいぶ昔だ。我々が生きている現代とは色んな面で大違いだ。共産主義にしても冷戦にしても遠い遠い昔の話のように思える。
とは言え、スタンリー・アルノウィッツ(Stanley Aronowitz)の『Taking It Big』は一読の価値がある。ミルズの評伝であり、ミルズの業績と思想が手際よくまとめられている一冊だ――ミルズの業績と思想は、アメリカで産声(うぶごえ)を上げつつあったニューレフト(新左翼)に大きな影響を及ぼしたが、その後は次第にその大部分が忘れ去られてしまった――。アルノウィッツによると、ミルズは、アメリカにおいて「パブリック・インテレクチュアル」(公けの場で積極的に活動する知識人)の出番を広げるために奮闘したという。その努力が大きく実を結んだとは言えないにしても、わかりやすい言葉を使って公衆と関わり合うのは可能であることを体現してみせたのだ。
「パワー・エリート」の分析に付きまとうそのあまりの抽象性にもかかわらず、現下の危機(2007年~2008年から続く世界金融危機)が突き付けてやまないのは、エリート層の考えや行動の重要性である。そのことがこれまでに(1950年代から今日に至るまで)忘れ去られずにいたらと悔やまれるばかりだ。とは言え、今回の危機がきっかけとなって、富裕層や少数者のネットワークによる権力の行使に対して世間の目が再び向くようになっている。そして、その実態(現代版の寡頭制)に分析を加える試みもちらほらと出てきている。サイモン・ジョンソン(Simon Johnson)&ジェームズ・クワック(James Kwak)の『13 Bankers』(邦訳『国家対巨大銀行』)だったり、フェルディナンド・マウント(Ferdinand Mount)の『The New Few』だったりがそれだ。
アルノウィッツの『Taking it Big』は、 ミルズの思想の輪郭――その現代的意義が高まってきているミルズ流の権力分析も含む――を知るための格好の入り口と言える一冊だ。さらには、よく書けている一冊でもある――大学を根城とする社会学者が書いた本を読んで「よく書けている」と感じたことがこれまでにあったろうか?――。「わかりやすい言葉で語る」というミルズの例に倣(なら)ったのだろう。著者のアルノウィッツとは政治観の面で個人的に相容(あいい)れないところがあるものの、楽しく読めたと断っておこう。
『Taking it Big:C. Wright Mills and the Making of Political Intellectuals』
〔原文:“The power elite revisited”(The Enlightened Economist, September 9, 2012)〕