先週、ロシアでは何が起こったのだろう?
ロバート・アームストロングが指摘したように、事態はあまりに急速に進んだため、市場が反応する余裕はほとんどなかった。むろん、〔市場にとって〕ロシアはあまり重要ではない、と推測することもできるだろう。アームストロングの主張にあるように、これは間違いだ。実際、ロシアは世界経済において多くの重要な側面――特にエネルギー市場で決定的な重要性を担っている。問題は、現状の世界情勢において他の重要な要素(特に中国の政策を動かしている論理)と同じく、何が起こっているかを判断するための良質な情報の入手が悪魔じみて困難となっていることにある。しかし、現状からハッキリとして示されているのは、戦争による予期せぬ帰結へのダイナミズムである。
今週の私のポッドキャストOnes and Toozeでは、キャメロン・アバディと一緒に、ワグネルの反乱事件からのいくつかの疑問について考察している。
・ワグネルとはどのような組織だったのだろう?
・反乱によってプーチンは弱体化したのだろうか?
・政治史において経済的要因はどこまで決定的なのだろう? それとも、軍事権を持った人物が最終的な決定権を握っているのだろうか?
・プーチンは、ウクライナに軍事力を投入しすぎているのだろうか? 国家が保有する通常兵力はどのくらいの水準であるべきなのだろう?
ワグネルの反乱の論説で、最も印象に残っているのは、ファイナンシャル・タイムズ紙でのトニー・バーバーのものだ。
ロシアには、国家のために戦う非公式、あるいは国家によって秘密裏に支援される戦闘員の長い伝統がある。これは、19世紀の帝政ロシア時代の志願兵から、ウラジーミル・プーチン大統領によるワグネルの集団まで続く伝統だ。
こうした歴史を指摘するにあたって、バーバーは、トルストイの『アンナ・カレーニナ』に登場するアレクセイ・ブロンスキー伯爵を引き合いに出している。ブロンスキーは、オスマン帝国の支配下のスラブ人を解放するためにバルカン半島で戦っていた何千人ものロシア人志願兵に参加している。
これは、湾岸戦争や、コンゴや西アフリカでここ数十年間活動しているイギリス傭兵のルーツを、1820年代のギリシャ解放戦争にまで遡れるのと同じであり、私からしても自明の事実である。
実際、ロシアの法律では、民間の傭兵活動については、完全に自由なフランスに比べて制限されている。それでも、ソビエト連邦崩壊後に、様々な〔民間軍事・警備〕企業の活動の創出を阻止することはできなかった。ある報告によると、「ロシア政府の公式な推定で、1988年までにロシアで活動する民間警備会社の総数は約5,000社にもなる」とされている。しかし、海外で目を引くような民間軍事活動は決して奨励されていなかった。ワグネルの前身となった組織は、シリアでの最初の作戦活動が失敗に終わった後、作戦に従事した生存者はロシアに帰国してから逮捕されている。
2009年から2012年の間にプーチンは再考し、国家によるワグネルの支援が行われるようになった。CSISのブログで、アンドラーシュ・ラッツは以下のように指摘している。
アンナ・ボルシチェフスカヤの指摘にあるように、2009年になって、ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)内の特殊作戦部隊のいくつかが、ニコライ・マカロフ参謀総長の直属となった。直接的な証拠はないが、これらの部隊は、設立を予定していた民間軍事会社の人材源にすることを目論んでいたと考えられる。その一年後、マカロフは、「海外でのデリケートな任務のために」民間軍事会社を使う必要性について公に語った。2012年4月、当時首相だったウラジーミル・プーチンは、ロシア国家院〔ロシアの下院議会〕で、民間軍事会社のネットワークを構築することに賛成かどうか質問され、肯定的に返答し、民間軍事会社(PMC)は海外での影響力行使の道具となり、国家の直接関与なしに国益を実現し得ることを強調している。プーチンは具体例として、こうした企業によって、重要施設の保護、さらにそれにとどまらず海外で外国人の軍人への訓練を提供できると指摘している。ロシアが民間軍事会社の設立を検討する際に重要な要素となっていたのは、〔政府の〕「名目上の無関係性」であり、これはロシア政府の豊富な歴史的経験に基づいていたのである。
ワグネルは、決してブラックウォーターのような民間軍事会社ではなかった。常に、ロシア国家の代理軍隊であり、名目上無関係を標榜できる軍事部門だったのだ。したがって、歴史上に類似性を見出すなら、19世紀のロマンティックな軍事冒険家ではなく、明らかにアメリカCIAが様々な局面で利用したダミー会社のような存在である。CIA使用のダミー会社と違いがあるとすれば、CIAはダミー会社を特に航空輸送に利用していたが、ワグネルは小規模の複合兵器部隊のようなものに発展したことだ。ワグネルのロシアでの主要拠点、長距離補給、パスポートなどの厄介な問題は全てGRUによって提供された。
国家と合法的暴力行使の独占という問題では、ワグネルは明らかにグレーゾーンに位置していた。ワグネルは、否認可能な存在でありつつ、プーチンによる承認・支援という公然の秘密下にあり、正規軍よりもある意味で高い地位が与えられていたのだ。ワグネルは、主権者によって定義され、主権定義において例外的存在であった。
この種の組織から生み出される深刻な問題は、合法性の問題よりも、異なる軍事部隊間の対立である。これが特に顕在化するのは、状況が困難となり、勝利ではなく、敗北の責任を誰が担うかの問題が生じた場合だ。
マーク・ガレオッティ:その上、国営企業と違い、プリゴジンの経営するコンコルド社のような企業は、クレムリンとの強い契約で結ばれておらず、曖昧な関係にある。プリゴジンは、ウクライナでの指揮系統に異議を唱えたが、国営企業ではこうしたことは不可能である。
戦争においてこうした事態は目新しいことではない。あらゆる武装勢力は複雑な関係性を持つ。そのために、小規模で資産を巡る対立関係や政治的異論が噴出する。たとえば、アメリカ南北戦争時には、北軍で様々な部隊が、奴隷制度の廃止について、多かれ少なかれ急進的な立場にあった。第二次世界大戦では、東部戦線の〔ドイツ軍〕陸軍集団司令部には、1944年7月20日のヒトラー暗殺計画に関与した人物が多く在籍している。スペイン内戦時の共和国人民戦線のように、政治的に異なるルートから採用された部隊で軍隊が構成されていた場合は特に、対立関係は深刻になる可能性が高い。
ワグネルとロシア正規軍との対立は、シリアですでに着火している。ウクライナでの悲惨な戦争で、こうした対立が新たに大規模に再燃しても不思議ではなかった。テレグラム上でロシアの民族主義的なブロガー達による〔ワグネルに好意的な〕憤慨は、クレムリンのプロパガンダの延長にあり問題となっていないが、正規軍の指導部にとってはリスクである。こうしたロシアの軍事ブロガーについては、アルジャジーラのこの記事が素晴らしい内容である。
今回の事態では、プリゴジンによる上層部への攻撃があまりに常軌を逸したものとなったことで、ワグネルはロシア軍の指揮系統に組み込まれるように命じられ、それが反発を招いたのだが、これは特に驚くべきものではない。驚くべきは、それが武装反乱にまで発展したことだ。これは、戦争に反対する反乱でもなければ、プーチンへの真性の反乱でもなく、単に軍内部の部隊間闘争だったのである。そして、正規軍の指揮系統に有利となるように収集が図られている。
ブルーノ・マカエスの特徴的な洞察によるなら、今回の反乱劇はロシアという国家の空洞性を示している。プーチンは派閥間の調停能力を失いつつあり、反乱の対処において冷酷さをほとんど発揮できなかったことがそれを裏付けている。プリゴジンが残忍に断罪されるのを予測されていたのに、そうはならなかったのだ。プリゴジンが最終的に暗殺される可能性は大いに有り得るが、そうなってもプーチンの権威は回復されないだろう。
アレクサンダー・クラークソンが指摘しているように、これは慶事ではなく、なんらかの前兆かもしれず、懸念事項である。
対立する派閥間の仲介役を、一個人の指導者に依存している体制において、数千人の武装集団が首都を脅かすことができるという事実は、プーチンがいなくなった後の混乱を示唆している。プーチンは、後継者候補を選ぼうとしていない。その人物が、権力中枢において自身に取って代わるかもしれないからだ。これは、最終的に(そして必然的な)プーチン退任後に、後継者争いが起こるリスクが、彼の築いた権力構造に内在化している事実を意味している。ウクライナとの悲惨な戦争がロシア社会に深刻な軋轢を与え、半官半民の武装組織(ワグネルやチェチェンでラムザン・カディロフによって率いられているアフマト・カディロフ名称特別任務民警連隊は目立つ一部に過ぎない)が乱立している渦中に、後継者争いが勃発し、国家を分断する新封建主義的な内戦に発展するシナリオが急速に現実味を帯びてきている。
また、今回のショックが、戦争とその行く末について考察する上でどのような意味を持つかについても問わねばならないだろう。
むろん、プーチン政権下のロシアには独特の政治構造がある。しかし、ウクライナ側も軍事的努力によって、2013年と2014年では、大きく旗幟が異なる政治下で採用された〔様々な軍事勢力からなる〕軍事編成が行われている。こうした軍事編成は、ウクライナ政府によって効果的に接合されている。しかし、ウクライナの攻勢が大きな成功を収めることなく続いたり、装備の供給が決定的に不足したり、和平交渉が成った場合に、こうした〔軍事勢力間の〕結束は維持されるのだろうか?
トニー・バーバーは、ワグネルの反乱についての記事の中で、ワイマール・ドイツ期のドイツ義勇軍について言及し、〔民間軍事勢力による〕国家権力の崩壊の一例として挙げている。しかし、ドイツ義勇軍は〔単なる軍事勢力ではなく〕政治勢力でもあった。ドイツ義勇軍は、ドイツの民主主義勢力による和平交渉(ヴェルサイユ条約の履行の決定)への反対を中心として結成され、ナチスの発生源となった。ドイツ義勇軍は、革命を志向する共産主義指導者(ローザ・ルクセンブルクやカール・リープクネヒト)だけではなく、何千人もの左派や、和平交渉に関与した2人の著名な文民政治家(ワルター・ラテナウとマティアス・エルツベンガー)も殺害している。
和平を前にしての〔国家〕崩壊というロジックは、ワイマール・ドイツだけに見られるものではない。1921年のアングロ・アイリッシュ協定締結後にはアイルランドで内戦が起こっている。この協定による妥協的な和平に対してIRAが武装抵抗を行えたのは、資金調達と武装で独立したシステムを保持する武装地下組織から発達したからであった。アングロ・アイリッシュ協定に署名した瞬間から、マイケル・コリンズは、自身が死と隣り合わせになったことを自覚している。
現代の戦争は、巨大で暴力的な予期できない帰結を生み出す。今回のワグネルの反乱が、なんらかの始まりであったとしても驚くべきことではないだろう。
[Adam Tooze, “Chartbook 224 The Wagner uprising and the centrifugal force of war.” Chartbook, 2 July, 2023]