ラント・プリチェット(Lant Pritchett)が1997年に執筆した「国家間の分岐がグングンと進行中」(“Divergence, Big Time”)と題された論文は、学界に大きなインパクトを与えた。プリチェットは、この論文で以下のような推計結果を明らかにしている。
・・・(略)・・・最も豊かな国の1人当たり所得を分子にとり、最貧国(最も貧しい国)の1人当たり所得を分母にとった比率の値は、1870年から1990年までの間におよそ5倍の大きさになっている――最も豊かな国の1人当たり所得の水準は、1870年の時点では最貧国の1人当たり所得の水準のおよそ9倍の高さだったが、1990年の時点ではおよそ45倍の高さになっている――。最も豊かな国の1人当たり所得の水準と「発展途上諸国」の1人当たり所得の水準の平均値の差は、1870年から1990年までの間に桁(けた)が一つ違う大きさにまで膨れ上がっている――1870年の時点ではその差は1,286ドルだったが、1990年の時点では12,662ドルに達している――。
プリチェットの言い分のどこにも、おかしなところは一切ない。しかしながら、パテール(Dev Patel)&サンダファー(Justin Sandefur)&スブラマニアン(Arvind Subramanian)の三人によると、プリチェットが分析の対象とした期間の最後の年にあたる1990年あたりから潮目が変わって「収束」が開始した――豊かな国と貧しい国の間の経済格差が縮小し始めた――らしいのだ!
1990年あたりから(ひそかに)潮目が変わり、長い歴史を通じて全くお目にかかれずにいた「無条件収束」――制度面等々で同じような特徴(条件)を備えているかどうかにかかわらず、貧しい国々の(1人当たり所得の)成長率が豊かな国々の(1人当たり所得の)成長率を上回り、その結果として1人当たり所得の水準で測った国家間(豊かな国と貧しい国の間)の経済格差が縮小する現象――が1990年以降の20年間を通じて着々と進行している。
上の図で跡付けられているのは、無条件収束に関する素朴な回帰分析――1人当たりGDPの初期値が説明変数で、1人当たりGDPの成長率(の平均値)が被説明変数――で推計された係数(β)の値の変遷である。βの値がマイナス(で有意)だと「収束」が起きている――豊かな国と貧しい国の間の1人当たりの所得水準の違いで測った経済格差が縮小している――ことを意味していて、プラス(で有意)だと「分岐」が起きている――豊かな国と貧しい国の間の1人当たりの所得水準の違いで測った経済格差が拡大している――ことを意味している。Johnson et al. (2013) が知らしめているように、どの所得データを利用するかによって、算出される成長率の値にだいぶ違いが出てくる。そこで、ペン・ワールド・テーブル(PWT)、世界開発指標(WDI)、マディソン・プロジェクト(Bolt et al. 2014)の計三通りのデータを使って、βの値の推計を試みた。どのデータを利用するかによってβの値に違いが見られるものの、どのデータを利用したとしても一貫して確認されるパターンがある。1995年あたりを境にしてそれ以降のβの値がマイナス(で有意)のままになっている(無条件収束が着々と進んでいる)一方で、1995年よりも前に関してはそうはなっていないのだ――Roy& Kessler&Subramanian (2016)[pdf]もあわせて参照されたい――。
我々の主張の核心を伝えるためには、わざわざ回帰分析に頼る必要はない。1990年の時点で世界銀行によって「低所得国」に分類されていた43カ国のうちで、1990年以降の(1人当たり所得の)成長率が「高所得国」の(1人当たり所得の)成長率の平均値を上回っているのは(43カ国のうちの)65%に上(のぼ)る。さらには、1990年の時点で世界銀行によって「中所得国」に分類されていた62カ国のうちで、1990年以降の(1人当たり所得の)成長率が「高所得国」の(1人当たり所得の)成長率の平均値を上回っているのは(62カ国のうちの)82%に上る。
大成功を収めた新自由主義ってわけだ。新自由主義は、「経済成長、貧困の削減、平和の促進」という約束(目標)を掲げて、そのすべてを実現したわけなのだから。しかしながら、 「ミルトン・フリードマンの時代」――アンドレイ・シュライファー(Andrei Shleifer)による命名―― を牽引(けんいん)したアイデアが非難されてその旗色が悪くなっているのが昨今の情勢なのだ。
〔原文:“Convergence, Big Time”(Marginal Revolution, October 17, 2018)〕