アレックス・タバロック 「蕃書の翻訳:日本における産業革命の礎を築いた技術知識の翻訳」(2024年7月22日)

明治維新期の日本の急速な工業化は、西洋の技術知識を日本語に翻訳して体系化して拡散するための並々ならぬ努力が礎(いしずえ)となっているのだ。
画像の出典:https://www.photo-ac.com/main/detail/3089762

第二次世界大戦後の日本で起きた「成長の奇跡」はよく知られているが、あれは実は二回目の奇跡だった。一回目の奇跡は、さらに輪をかけて奇跡的な出来事だった。時は、明治維新で揺れていた19世紀の終わり。日本は、農業国から工業大国へとほぼ一夜のうちに変貌したのだ。

経済面・社会面での変化に対する抵抗が何世紀にもわたって続いた後に、日本経済は15年足らずのうちに大きく変貌した。未加工の一次産品の輸出に特化した比較的貧しくて農業主体の経済から、工業製品の輸出に特化した経済へと。

日本経済の変貌を支えた要因は何だったのか? ユハース(Réka Juhász)&坂部(Shogo Sakabe)&ワインスタイン(David Weinstein)の三人の注目すべき共著論文によると、技術知識を日本語に翻訳して体系化する(文書にまとめる)ための並々ならぬ努力が鍵となる役割を果たしたという。国家主導の翻訳事業のおかげで、国内の起業家や労働者が最先端の技術知識にアクセスできるようになったというのだ。当時の非西洋国では日本だけで。

そのことをありありと物語る以下のグラフをご覧いただきたい。1870年までに関しても、1910年までに関しても、技術知識が盛り込まれている書物――技術書――の大半は、フランス語、英語、イタリア語、ドイツ語で書かれていた。日本の状況はどうだったか? 日本語で書かれた技術書は、1870年までは一冊もなかった。しかしながら、1910年までに、日本語で書かれた技術書の冊数は、英語で書かれた技術書の冊数に肩を並べるまでになっている。 日本だけで起きた現象だ。

技術書の翻訳は、昔と比べるとずっと簡単になっている。訳語が既に存在するからだ。しかしながら、19世紀の後半に技術書を翻訳するためには、新たに訳語を一から編み出して標準化する(統一する)必要があった。

・・・(略)・・・蕃書調所に課せられた課題は、・・・(略)・・・技術知識の翻訳を容易にするために、英和辞典を作成することだった。この事業は、西洋科学を日本語の文書にまとめて(体系化して)吸収するための国家主導の試みの第一歩となるものだった。科学知識を翻訳することの難しさが言語学者や辞典編纂者によってあちこちで繰り返し説かれているが(例えば、Kokawa et al. 1994; Lippert 2001; Clark 2009)、英語やその近縁語であるフランス語・ドイツ語以外の言語で知識が体系化されることがほとんどなかったのもそのためなのだ。翻訳にまつわる問題は、二つあった。まず第一に、産業革命の代名詞とも言える鉄道、蒸気機関、電信などの発明品を言い表す日本語が存在しなかった。訳語が存在しないからといって、技術書の中に出てくる専門用語をすべて発音通りにカタカナ表記していたら、翻訳ではなく、音訳に過ぎなくなってしまう。第二に、訳語の標準化(統一)が必要だった。人によって外国語の同じ単語に違う訳語をあてることがないようにする必要があったのだ。

蕃書調所にとって、これら2つの問題を解決することが主な課題の一つとなったのだった。

日本で生まれた新語(造語)の数の変遷を跡付けているのが以下のグラフだ。19世紀の後半に新語の数が爆発的に増えているのがわかる。ペリーの来航(1853年)からかなり経ってからの現象であることに注目だ。新語は自然と生まれたのではなく、産業政策の一環として編み出されたのだというのがユハース&坂部&ワインスタインの三人の言い分だ。

ところで、Astral Codex Tenで興味深い自伝が紹介されている。明治期の日本で経済書の翻訳を手掛けた人物――福沢諭吉――の自伝だ。

福沢(諭吉)のおかげで、翻訳の面で大きな前進が遂げられた。福沢は、西洋の経済書を日本語に初めて訳した人物なのだ。その本を翻訳している最中に、「コンペティション」(“competition”)という英語をどう訳したらいいか迷ったという。「競う」/「争う」という語を組み合わせた「競争」 という造語をあてて、儒教の教えにかぶれた幕府の役人に見せたところ、あまり感心していない様子だったという。「商売をしながらも忠君愛国」とか、「国家のためには無代価でも売る」とかいう意味を持つような別の表現に変えたらどうかと言いたげだったらしいが、福沢は「競争」という訳語にこだわった。そのおかげで、Google翻訳(英語→日本語)で「コンペティション」という単語を入力すると、真っ先に「競争」という和訳が出てくるのだ。

これまでに触れてきたのは、内容のほんの一部に過ぎない。ユハース&坂部&ワインスタインの三人の共著論文では、 技術書の翻訳(による技術知識の体系化)が生産性の伸びに及ぼした影響が産業ごとに跡付けられているだけでなく、世界のあちこちの国が経済成長を遂げる上でこのメカニズム(技術知識の体系化→生産性の上昇)がいかに重要かも立証されている。

まとめるとしよう。「産業革命を引き起こした要因は何なのか?」というのは、長年にわたって問われ続けている疑問の一つである。石炭が豊富だったおかげなのだろうか? 自由が拡大したおかげなのだろうか? 識字率の高さが関係しているのだろうか? ユハース&坂部&ワインスタインの三人の共著論文は、19世紀後半の日本という具体的なケースについてこの上なく説得力のある答えを初めて提示している論文だと思う。明治維新期の日本の急速な工業化は、西洋の技術知識を日本語に翻訳して体系化して拡散するための並々ならぬ努力が礎(いしずえ)となっているのだ。


〔原文:“Not Lost In Translation: How Barbarian Books Laid the Foundation for Japan’s Industrial Revoluton”(Marginal Revolution, July 22, 2024)〕

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