ジョセフ・ヒース「気候変動によって将来世代は現在世代よりも貧しくなる?:インテリ向けの気候変動デマ」(2025年6月21日)

研究の知見が誤って解釈・理解されている〔…〕それにより、教育を受けた平均的な人々が、環境政策の議論の土台となる前提に関して誤った考えを抱いてしまっている。

私はグローバル気候変動が突きつける哲学的問題に専門家として関心を抱いてきた。このテーマで本を書いたり講演をしたり、カンファレンスに出たり、パネルとして発言したりもしてきた。だがこうしたイベントに出ると大抵、(少なくない人にとって意外に思われるだろう理由で)ひどく苛立たしい思いをすることになる。こうした場の多くで、本来なら気候変動の突きつける真に厄介な哲学的問題(まずもって将来世代に対する私たちの責務をどう考えるかに関わっている)に集中したいところなのに、かなりの時間をデマ(misinformation)の訂正に費やすことになるのだ。念のため言っておくと、ここで問題にしているのは、一般市民ではなく、大学教授がよく信じてしまう類のデマである。

気候変動に関するデマが深刻な問題であることは誰でも知っている。国連がこのテーマに関して大規模なレポートを出したばかりだ。残念ながら国連のレポートも、右翼側の気候変動デマのみに焦点を当てるという一般的傾向の例外ではなく、左翼側が気候変動に関してデマを発信している可能性を完全に無視している。より具体的に言うと、このレポートは気候変動否定論や懐疑論(気候変動問題の深刻さを軽視するような議論)に焦点を当てており、そのちょうど真逆に位置する破滅論(catastrophism)、すなわち問題の深刻さを極度に誇張する見解は完全に無視している。もちろん、気候変動が真に破滅的な結果をもたらす可能性はゼロではない以上、破滅論をどう扱うべきかというのは少々厄介な問題だ。そのため私が破滅論について言及するときは、実際の気候科学の知見を誤った仕方で解釈し、高確率で生じ得るシナリオを(実際の科学的推定より)深刻に見せようとしている具体的な見解を挙げることにしている。

破滅論については、つい大目に見てしまいたくなる誘惑がある。私たち(つまり人類全体)は気候変動の低減策を十分に行っていない以上、気候変動の予想される結果を誇張し過ぎるくらい誇張することには害がないだろうからだ。だがこうした態度は、気候変動デマの規制や犯罪化を求める際には深刻な問題となる。自分のことを棚に上げて相手方の問題だけを標的にするのは、反自由主義的でありそれ自体悪い考えだ。同時に、純粋に戦略的な観点から見ても、こうした戦略を相手に対して使おうとするなら、まず自分の陣営がきちんとしているかを確かめるべきだろう(エリートたちは、自分たちを例外としながら一般市民の議論のみに強制的なコントロールを敷こうとするやり方が、人々のエリート不信を加速させることにもうそうそろ気づくべきだ)。

上でリンクを貼った気候変動デマの犯罪化の呼びかけがガーディアン紙に掲載されているのは、皮肉としか言いようがない。というのも、私が見た限り、ガーディアン紙は気候変動デマの特に目立った発信源だからだ。私が「左翼の気候変動デマ」と言うときにどんなものを思い浮かべているのかを掴んでもらうために、ガーディアン紙が拡散に一役買ってきた、「排出の70%以上は少数の企業(corporations)によってなされている」という(誤った)主張を考えてみよう。この主張の元になったのはカーボン・メジャー・データベースという調査で、これは「世界の最大規模の石油、ガス、石炭、セメントの生産者(producers)」の排出を記録したものだ。重要なのは、ここで「生産者」という言葉が使われていることである。カーボン・メジャーのレポートは、民間セクターだけでなく公共セクターの排出主体も含めているからだ〔だからこういう言葉遣いがなされている〕。だがガーディアン紙がこうした数字を報じた際の見出しは次のようなものだった。「研究によれば、グローバルな排出の71%をもたらしているのはたった100社の企業(companies)である」。記事を注意深く読めば、投資家所有企業〔つまり株式会社〕はこうした排出のうちの半分も占めておらず、上位10位の排出主体のうち、民間企業は2社のみであることが分かる。だが「企業(companies)」という語を見れば、普通の人はそれが民間企業を指していると考えるだろう(政府や国有企業のこととは考えない)。結果、大企業が気候変動の責任のほとんどを負っていると考える人々にたくさん出くわすことになる(このような主張は、査読つきの書籍や論文でも繰り返されている)。

私がこの手の主張を「インテリ向け(highbrow)」のデマと読んでいるのは、このデマを信じる人々の社会階級や自己認識がそうだから、という理由だけではない。こうした主張は、比較的洗練されたやり方で広められることが多いからでもある。この手のデマを含む記事は、本文を隈なく読めば正確な主張を見つけられるが、ほとんどの読者がそれを誤解するように文章が組み立てられていることが多いのだ。オックスファムのレポート「気候変動の責任を負うのは誰か?(Who is responsible for climate change?)」を見てみよう。このレポートは、同じくカーボン・メジャーのデータを提示しているのだが、その見出しとリード文はこんな感じだ。

大手石油会社は確信犯的に気候変動を悪化させている

裕福な企業は、ヨーロッパと北米の数世紀に渡る産業化と環境汚染の後も、エネルギー産出を目的とした化石燃料の向こう見ずな抽出を行い、グローバル気候変動を大きく悪化させている。

そして、この告発の根拠を提示していると思しき箇条書きの項目では、次のように書かれている。

1988年以降の炭素排出の約71%は、たった100社の化石燃料生産者に遡ることができる。

この主張はテクニカルには正しいが、この文脈では完全にミスリーディングだ。ここで言う「100社の化石燃料生産者」のうち、最大の排出主体が実際には国民国家や公共セクターの組織であって、裕福な企業ではない、ということにどれだけの読者が気づけるだろう?

ついでに言うと、ガーディアン紙はカーボン・メジャーのレポートの誤った解釈にこだわり続けており、これはもはや意図的なのではないかと考えざるを得ない。ガーディアン紙は最近の研究を次のような見出しで報じていた。「研究によれば、世界のCO2排出の半分は36社の化石燃料企業に由来する」。そしてリード文はこうだ。「気候温暖化をもたらす炭素排出の半分は、たった36社の企業が生み出した化石燃料に由来することが分析によって明らかとなった。研究者によれば、2023年のデータは、気候変動への寄与について化石燃料企業に責任を問う根拠をさらに補強するものとなっている。過去の年次レポートは、企業や投資家に対する訴訟でも用いられてきた」。この文脈で「企業」、「会社」、「投資家」という語が使われている事実は、ミスリーディングな解釈を意図していると考えなければ理解しがたい(とはいえここでも、記事を下まで読めば、国有企業が「36社」の中で最悪の汚染者であることは分かる)。

カーボン・メジャーのレポートが実際に示しているデータは、もっと興味深い。

この1つの例を長々論じたいわけではないが、ここで言いたいのは、左翼の気候変動デマというものが存在すること、そして私が単に極論をふっかけているわけではないということである。さらに言うと、左翼の気候変動デマは〔右翼のデマと違って無害である、ということはなく〕問題である。デマのせいで、効果がなかったり逆効果をもたらしたりする政策が支持されてしまうからだ。活動家や学者が、グリーン・エネルギーへの移行を加速させるために化石燃料企業の国有化を主張するのを何度も耳にしてきた。彼ら彼女らは、それが正反対の効果をもたらすだろうことに気づいていないのだ。〔気候変動は差し迫った問題である以上〕今は公共セクターに対して甘い考えを持っていい時ではない。政府には得手不得手があり、事業を停止するというのは政府が特に苦手とするところである。

いずれにせよ、ここまでは本題を論じるためのウォーミング・アップでしかない。ここからは、インテリ向けの気候変動デマの中でも一番よく目にするものだと私が考えている、次の主張を見ていこう。非常にたくさんの人々が、蓋然性の高い「損失と損害(loss and damage)」シナリオの下で、次の数十年の間に、気候変動によって将来世代の生活水準が現在世代のそれよりも低下するだろうと考えている。

もちろんこうしたことが起こる可能性もゼロとは言えない。だが、どの研究も「気候変動によって将来世代の生活水準は現在世代よりも低下する」などとは言っていないし、IPCCの「損失と損害」レポートもそのようなことは述べていない。こうした誤解が生じてしまっているのは、研究結果の提示の仕方や、それが報道される仕方のせいだ。

例えば、次のようなオピニオン記事を見てみよう(私が昨年、グローブ・アンド・メール紙で見かけたものだ)。「研究によれば、気候変動によって世界経済の3分の1が失われる」。記者は続けて次のように書いている。「ほとんどの研究は概ね次のような見解に収斂している。平均気温が1度上昇するごとに、世界経済は1%から3%ほど収縮するだろう——これならば、困難ではあるがまだ対処は可能だ」。だが、新しい研究によれば「気候変動によって最終的に、グローバル経済の価値は約3分の1も減少するだろう(ハーバード大学のエイドリアン・ビラルとノースウェスタン大学のディエゴ・カンジグの研究)」。

経済が「収縮」するというのは明らかに、景気後退期に見られるようなGDPの純減について語っているように思われる。同様に、世界経済の「3分の1が失われる」というのは、将来世代の人々が現在世代より貧しくなるだろうということを示唆している。だがここで挙げられている研究は、そんな主張はしていない。

しかし、このことに気づくには、研究を非常に注意深く読み込む必要がある。ここで取り上げられている元論文に目を向けても、〔分かりにくさという点では〕グローブ・アンド・メールの記事と事態は大して変わらない。著者らはアブストラクトでこんな風に書いている。「本論文の推定によれば、気候変動によるマクロ経済的な損害は、従来考えられていたより6倍ほど大きい。私たちは、自然な地球気温の変動を用いることで、気温が1℃上昇すると世界のGDPが12%低下することを発見した」。同様に、論文の導入部でも次のように書いている。「気候変動は、2100年までにアウトプットを46%も急減させる。資本は37%収縮し、消費は37%落ち込み、2024年の恒常消費等価物で見て25%の厚生損失がもたらされる」。

こうした文章もまた、人類はどんどん貧しくなっていくだろうと言っているように聞こえる。この分野で研究している経済学者は、論文がそのようなことを主張しているのではないと知っているが、非専門家は容易くミスリードされてしまうだろう。重要な但し書きに辿り着くには、論文をもっと先の方まで読まないといけない。「図14は主な結果を示している。パネル(a)は世界の平均気温の推移を描いている。パネル(b)は、世界の気温が上昇するにつれ、温暖化が生じなかった世界と比べてアウトプットが急激に低くなることを示している。2050年には、アウトプットは19%低くなる。2100年には、気候変動が生じなかった世界と比べて、アウトプットは46%も低くなる」(p. 39)。

ここでなされている「2100年には経済的アウトプットが46%低くなる」という主張は、導入部でなされていたのと同じものだが、ここでは重要な但し書きがつけられている。著者たちは、2100年に経済的アウトプットが現在と比べて46%低くなる、と言っているのではなく、気候変動が生じなかった場合の世界と比べて46%低くなる、と言っているのだ。2100年の経済的アウトプットは、気候変動が生じなかった場合に比べれば46%も低いが、それでも現在と比べればはるかに大きいだろう。同様に、著者たちが2050年には「アウトプットが19%減る」と言っているときも、それはアウトプットが文字通り減るという意味ではない。基本的な成長トレンドに基づけば、世界経済は2050年までに2倍になるだろう。著者たちが言っているのは、2050年には今と比べて経済が100%増大する(2倍になる)だろうが、気候変動が起こらなければ119%増大していたかもしれない、ということだ。気候変動によってアウトプットが19%「低くなる」というのは、このような意味である。

もちろん多くの人は、このようなGDP成長の見積もりを信じようとしないだろう。私が生まれる前から、環境保護論者は成長の終焉を予測し続けてきた。私がここで指摘しているのはもっと狭い論点だ。つまり、研究の知見が誤って解釈・理解されているのだ。そしてそれにより、教育を受けた平均的な人々が、環境政策の議論の土台となる前提に関して誤った考えを抱いてしまっている。これ以外にも同じような例はたくさんある。全く同じ誤解が、デイヴィッド・ウォレス=ウェルズの「地球に住めなくなる日(The Uninhabitable Earth)」にも見つけられる。ウォレス=ウェルズはこの文章で、マーシャル・バーク、ソロモン・シャン、エドワード・ミゲルによる、広く引用された2015年のネイチャー誌の論文について論じている。

この論文は分野では非常に評価されているもだが、それによると、推定の中央値に従えば、今世紀末までに世界の1人あたり収入が23%損なわれるという(これは、農業、犯罪、竜巻、エネルギー、寿命、労働の変化によって生じる)。この確率曲線の形状を辿っていくと、いっそう恐ろしい未来が見えてくる。12%の確率で、気候変動は2100年までにグローバルなアウトプットを50%以上も低下させる。そして51%の確率で、1人あたりGDPは20%以上も低下する(排出を減らさない限りは)。〔中略〕。こうした経済的損害の規模は想像するのも難しいが、イメージとしては、この世界の経済規模が半分になり、半分の価値しか生み出せず、世界中の労働者に半分のものしか与えられない世界を想像することができるだろう。

最後の一文を見れば、ウォレス=ウェルズがこの論文を誤読していることは明白だ。なぜなら、バーク、シャン、ミゲルが実際にしている主張は次のようなものだからだ。「温暖化が低減されない場合、グローバル経済は再編され、平均所得は2100年までに約23%下がる……これは、気候変動が生じないシナリオと比べての話である」。将来世代の人々は依然として私たちより数倍豊かだろうが、気候変動が生じなかった場合に比べて23%豊かでなくなる、という話を著者らはしているのだ。

実は主流メディアでも、こうした研究の結果を正確に伝えている記事はちょっと探せば見つかる。この惨憺たる状況を考えれば、VoxEUの記事「気候変動による経済的損失はあなたが思っているより大きいかもしれない(Economic Losses from Climate Change are Probably Larger Than You Think)」は、研究を正確かつ明瞭に報道している点で評価すべきだろう。この記事は、いくつかの基本的なモデル(ビラルとカンジグのものを含む)のサーヴェイから始まっている。

これまで以上の気候変動緩和策がなされない(つまり、現在実行されている政策のみがそのまま実行され続ける)場合、今世紀末までに気候変動によって生じる総アウトプットの減少は、推定のベースにある損害関数に応じて、2%ほどの小さい数値から、45%もの大きい数値までをとり得る。こうした推定は、さらなる気候変動が生じないという仮説的な基準(つまり、さらなる温暖化が生じないシナリオ)と比べたときのグローバルな損失を示している。

最後の一文の内容が明確に伝わらなかった場合に備えて、著者たちは註釈をつけている。「これはつまり、最も悲観的な損害関数すら、脱成長のシナリオを示してはいないということだ。というのも、世界経済は今世紀末までに大幅に成長しているというのがベースラインの想定だからである」。ここでも、著者たちはこの論点を明確にして、ほとんどの人が誤解しないよう注意を払っている点で賞賛に値する。

気候変動に関するこうした混乱とデマは、私の仕事の邪魔となっている。気候変動が突きつける大きな規範的問題の1つは、経済成長のもたらす短期的な便益と気候変動のもたらす長期的な害とのトレードオフをどう考えるか、というものだからだ。さらに、最も可能性の高いシナリオの下で、将来世代は今世紀末には全体として豊かになっていると依然として期待できるから、単純な義務論的アプローチ(素朴なロールズ主義など)はこの問題を扱うのに適していない。気候変動は端的に言って最大化の失敗だが、将来世代のウェルビーイングの最大化にコミットしないなら、気候変動に対して何をすべきかという問題に答えるのは難しくなる〔しかし気候変動デマのせいでこうしたことを理解すること自体が難しくなってしまっている〕 [1]訳注:ヒース自身は帰結主義もまた拒否しており、契約論によってこの問題に応答しようと試みている。著書“Philosophical Foundations of Climate Change … Continue reading

デマに関して言うと、ここから導かれる重要な教訓は、私たちの認識的環境は過去十年で深刻に劣化してきたということだ。信頼が置けるとこれまで見なされてきたメディアの多くが、信頼に値するものではなくなってきている。悪化しているのは右翼の認識的生態系だけだと考えているなら、それは勘違いだ。ポピュリスト右派は特にひどいかもしれないが、ダメになっているのはどこも同じである。ソーシャル・メディアではなく伝統的メディアから情報を得ているとしても、認識的環境の悪化からは逃れられない。新聞は特に、かつてほど信頼が置けなくなっている。現在も存続している新聞社は、従業員数の急激な現象に苦しんでおり、その消耗は特に高齢の従業員に集中している。そのため、様々なメディアの間で信用度の差は明らかに存在し続けるだろうが、ガーディアン紙やグローブ・アンド・メール紙で読んだこと(あるいはCBCで聞いたこと)を単純に鵜呑みにできるのは遠い過去の話となってしまった。

[Joseph Heath, Highbrow climate misinformation, In Due Course, 2025/6/21.]

References

References
1 訳注:ヒース自身は帰結主義もまた拒否しており、契約論によってこの問題に応答しようと試みている。著書“Philosophical Foundations of Climate Change Policy”を参照。
Total
0
Shares

コメントを残す

Related Posts