貧しい国々はどうにかして豊かになるしかない.これは,実地で立証済みの方法だ.

今日はアメリカ政治について書く気でいたんだけど,ネット上の議論でスウェットショップが話題にのぼったので,かわりにこれをとりあげよう.ソーシャルメディアで経済について興味深くて中身のある議論を交わす機会なんて滅多にない.だから,いざそういうネタが出てきたときにはすかさず楽しませてもらうことにしてるんだ.
議論の発端は,アメリカンイーグルのブルージーンズ広告だった.その広告で女優のシドニー・スウィーニーが「いいジーンズ」(good jeans) をもってるというダジャレが使われているのを,ソーシャルメディアで進歩派の一部が見とがめた.これは「白人が遺伝的に優れている」のを意味してるというのが,彼らの解釈だ.それからずいぶんとバカげた議論が続いた.ファッション系ブロガーのデレク・ガイは,よかれと思って,発展途上国の縫製工場の労働条件の窮状にみんなの注意を向けて,このバカげた騒動を鎮めようとした:

デレク・ガイ:アメリカンイーグルのような企業が冴えない製品に華美を加えようとして素晴らしい人々を利用していることこそ,もっと大きく論議されるべきだ.2023年,アメリカンイーグルの衣料品を生産している工場で,バングラデシュ人の若い女性が自殺した.理由は虐待だ.これが,安価な衣服の対価だ.
たしかに,えんえんと無意味なソーシャルメディア人種戦争を続けるよりは,世界の貧しい地域で現実に存在してる物質的な条件にみんなの注意を向けた方がいいと思う.バングラデシュやタンザニアやベトナムの縫製労働者たちが日々の食事にありつけるかどうかの方が,耳目を集めたがってる一部 TiKTok ユーザーがシドニー・スウィーニーをナチ呼ばわりするかどうかなんて件より,はるかに重要だ.
でも,他方で,世界各地にある多くの縫製工場の劣悪な労働条件についてデレクが言っていることは正しいものの,そうした縫製工場が貧しい国々にもたらす恩恵を彼はすっかり無視してしまっている――人間の厚生の観点では,豊かな人たちが買って楽しめるちょっとばかり安価な衣類よりもはるかに重大な恩恵がある.ぼくが投稿したバングラデシュの極貧ぶりを示すグラフがこちら:

バングラデシュが極度の貧困を克服したのは,政府による大々的な再分配プログラムのおかげではなくて,急速な経済成長によるものだ.1990年以降に,バングラデシュは生活水準を4倍以上も引き上げて,パキスタンを追い越した [n.1]:

2021年に書いた記事では,バングラデシュの経済成長を推進した要因のひとつに衣料品製造業への巨額投資があったことについて語った.
20年前,アメリカで手にする衣服のラベルをみると,たいてい,「メイド・イン・チャイナ」と書かれていた.いまは,「メイド・イン・バングラデシュ」を目にする確率が高い.2021年に Gu, Nayyar & Sharma が書いた世界銀行の報告書にはこうある:
多くの発展途上国で時期尚早な脱工業化が進むなか,バングラデシュでは輸出主導の製造業大発展の奇跡が起きていると喧伝されている.目下,バングラデシュの既製服の輸出は,中国に次ぐ世界2位につけている.これも一助となって,同国は2015年に中所得国の下位にまで押し上げられた.(…)既製服産業に牽引された労働集約的な輸出を志向する製造業は,バングラデシュの近年の経済成長を支える礎となっている(…)
さらに,既製服産業では400万人を超える労働者が雇用されており,他の産業でも間接的に1000万件ほどの雇用創出に寄与している.総工業生産のおよそ3分の1を占める既製服産業は,過去8年間に年平均10.5パーセントの成長を続けてきた.(…)既製服産業が生まれて以来,同国の既製服輸出業者が競争力を維持する上で低賃金が助けになっている.
国々は,いきなり豊かな状態ではじまったりしない.貧しいところから出発して,人々が欲しがるモノをつくる術を見つけ出すことで豊かになっていく.バングラデシュや他の一部の途上国では,つくる術を見出したモノでいちばん価値が大きかったのは,衣料品だった(創出された価値の総計で).そういう衣料品をつくるとなると,劣悪な条件と低賃金で人々に工場で働いてもらうことになる――つまり,スウェットショップだ.工業化時代には,イギリスもアメリカもそうだった.バングラデシュは,ぼくらが進んできた足跡をたどっているんだ.
ぼくの経験では,「スウェットショップは悪」とは,アメリカの進歩派たちが信じるよう期待されてるいろんなものの一つでしかない――「1970年代以降に所得は停滞している」とか「防衛支出のせいで福祉支出が減額されている」なんて話と同類の,正典の一節みたいなものだ.「たんに私たちがシャツやブルージーンズを安価に手に入れられるようにするだけのために,強欲なアメリカの資本家たちのせいで,バングラデシュみたいな国々の貧しい人たちが工場で働かされて苦しめられている」という発想がそこにはある.
この考えの一部は,スウェットショップで蔓延している劣悪な労働条件に抱かれるまっとうな嫌悪感に根ざしている.でも,それだけじゃなくて,すごく古い2つの左翼的な観念にも由来がある.その一つ目の考えはこれだ――「工場所有者は不公平に労働者を搾取している.マルクスによれば,労働者たちこそが自分の生産したものの価値すべてを手に入れるべきなのに」.そして二つ目は,「先進国,とくにアメリカとヨーロッパは貧しい国々から資源を盗んで豊かになった」という考えだ.この2つを組み合わせると,「スウェットショップは世界中の貧しい人々にかけられた呪いだ」という考えにいたる――アルミニウムやダイアモンドを盗むかわりに,バングラデシュの貧しい労働力を盗んで,相応の額を大きく下回る賃金しか払わず,劣悪な労働条件でむりやり働かせて彼らの健康を害している,というわけだ.
バングラデシュの貧困を示すグラフを投稿したとき,デレク・ガイがスウェットショップに対する当初の非難を擁護する長文を書いて反応した.いくらか抜粋しよう:
まず,貧困の減少にはいろんな要因が寄与する.低賃金の縫製労働がこれにどう寄与するかつかむには,この変数に絞って検討しないといけない.(…)幸運にも,それをやった人たちがいる.2017年に [クリス・ブラットマン]と[ステファン・ダーコン]の2人が論文で発表した研究では,工業での雇用が労働者に及ぼす影響について無作為化比較実験を実施している.著者たちはエチオピアの5つの企業の協力を得た.そのうち1つは靴工場,1つは縫製工場だ.この実験では,無作為に応募者を雇用して,彼らの生活が改善されるかどうかを検討している.
案の定,大半の労働者は1ヶ月以内に辞めて,非公式な仕事や農業労働に戻った.こうした分野の賃金も同様に低かったものの,少なくとも,工場での危険な労働条件には直面しなかった.衣料品製造の劣悪な仕事は,彼らにとってよりよいものではなかったのだ(…)
スウェットショップが議論の的になるたびに,経済学者を自認する人が現れて「有給雇用はどれほど低賃金だろうと経済的な便益がある」と言い出す(…)
けれども,ここで議論されているのはどんなことだろう? この女性は,人間性を奪うような16時間シフト労働を強制されて自殺してしまった.もしも十分な数量をその日に生産できなかったら罰金を科されて,もともとごくわずかだった給金からさらに差し引かれるという決まりだった.この工場の女性たちが言うには,性的な虐待を受けていたそうだ―― 性行為を強いられたり,検査のためと称して衣服を脱ぐよう求められたりしたと彼女たちは言っている.逃げ出せないように,パスポートは取り上げられていた.彼女たちのなかには,移民労働者も混ざっていて,搾取を受けていた.
[バングラデシュの]ラナ・プラザが崩壊したとき,どの労働者も国際企業に撤退してほしいとは望まなかった点は注目していい.彼らが仕事を求めていたのは確かだ.ただ,よりよい条件での仕事を望んでいたにすぎない.労働を世界規模の問題と考えるなら,私たちは――自らも労働者である私たちは――海外の労働者たちと連帯すべきではないだろうか?
よりよい条件を要求すべきではないだろうか? どうして,スウェットショップが議論にのぼると,こういう懸念を軽くあしらってすましたがる人たちが出てくるのだろう? 消費者たちが自分たちの買い物についてもっと賢くなり,長期的に自分たちをしあわせにすることもない上に海外の労働者たちの悲惨な境遇を必要とする流行りの安価な衣服を買わないようにするのは不可能なのだろうか?
でも,デレクはブラットマンとダーコンの 2018年の研究をひどく誤読してしまっている.デレクの主張だと,この研究はスウェットショップが貧困におよぼす影響を検討したことになってる.でも,それはちがう.論文のアブストラクトから引用しよう:
本研究では,エチオピアの5企業と協力し,応募者を無作為に次のグループに割り当てた:工業での就労オファー,300ドルとビジネストレーニングを提供する「起業活動」プログラム,統制群.工業での就労オファーの方が就労時間は長く安定もしていたが,賃金は低く危険の大きい労働条件だった.就労オファーでは工業での仕事に従事する時間を2倍にしたものの,ほとんどの参加者が数ヶ月以内で辞めたため,1年後の雇用や所得にはなんらの影響もなかった.応募者たちが工業での仕事に就いた理由は,主に,境遇を悪化させるショックに対処するためだった.他方,この経験は,健康問題を顕著に増大させた.
ようするに,この研究では,もともとスウェットショップでの就労に応募していた人たちの一部に当人の求めていた仕事を与えてみたところ,その人たちの大半は仕事が気に入らずに辞めたわけだ.
興味深くて重要な研究結果だね! つまり,短期的には,ときに人々は自分が本当に求める仕事がどんなものなのかを見誤ることがあるってことだ(ということは,合理性についての仮定にあれこれと含意も生じる).それに,スウェットショップでの労働がどんな感じなのかについてよい情報を人々がもちあわせているなら,スウェットショップの労働供給はおそらくより大きくなるだろうってことでもある.
でも,ブラットマンとダーコンの研究では,「スウェットショップは貧困を減らさない」なんて言ってないよ! なにより,明らかに,仕事を辞めてないスウェットショップ労働者たちは多い――少なくとも,この実験の参加者たちほどすぐさま辞めはしない.もしもあらゆるスウェットショップ労働者たちがすぐにやめてたら,スウェットショップは利用可能な労働力をすぐに使い果たしてしまう.スウェットショップで働き続ける人たちが一部にいるわけだ.だから,典型的なスウェットショップ労働者と,新規にやってくる求職者の間にはなんらかの違いがあるはずだ.この研究は,そういう既存の労働者についてなにも語っていない.
さらに重要な点として,ブラットマンとダーコンの研究では,エチオピアのスウェットショップがぜんぶ閉鎖されたときになにがどうなるかを語ってはいない.もしも既存のスウェットショップですでに働いている労働者たちがいきなり失職したら,よそに働きに行くはずだ――たとえば農業とか,現地のサービス業とか,そういう仕事に就くはずだね.すると,貧しい人たちが就く他の仕事で労働供給が増えて,そういう仕事の賃金は押し下げられ,そのうち貧困は増加する.
同様に,エチオピアでもっと多くのスウェットショップが開業したときにどうなるか,ブラットマンとダーコンの研究では語られていない.政府の政策や外国からの投資で弾みがついてエチオピアにどんどん新しい縫製工場が建てられていったら,労働需要が増加するはずだ.すると,おそらく雇用と賃金の両方が増えるだろう.すると,貧困は減少する.
というわけで,ブラットマンとダーコンの研究から導かれる含意をデレク・ガイは単純に誤読している.というか,クリス・ブラットマン当人が議論に入ってきて,低賃金製造業が貧困に及ぼす全体的な影響についてぼくと同意見だと明言している:
この研究の著者として,大半の国々が貧困から抜け出す主な要因は工業化だという点で,私は[ノア]と同意見だ.工場がわずかしかなく,農場で働く以外のよい選択肢が少ない弱い経済では,工業での雇用は他の劣悪な機会に比べてとくに望ましいものではない.だが,(…)工業部門が成長していると,時間が経つにつれて労働力を奪い合うようになり,賃金と労働条件は引き上げてられていく傾向がある.これはデコボコ道を行くような不完全なプロセスだが,原油以外に,これ以外の方法で中所得国や高所得国に到達した国は思い当たらない.
さいわい,ぼくが補足ツイートでも書いたように,スウェットショップが生活水準に及ぼす影響を計測している研究は他にもたくさんある.残念ながら,ここにはトレードオフがある.そうした研究はこのより大きなマクロの問いに挑んでいるため,その大半の論文は,ブラットマンとダーコンの研究よりもずっと頑健性や信頼性が下がる実証手法を使わざるを得なくなっている.
経済成長と貧困削減は,マクロ経済の変数だ.衣料品製造みたいな産業への全国的な投資も,しかり.そういうマクロ変数には,こんな問題がある――簡単に言うと,いろんなことが同時に起きているために,なにがなにを引き起こしているのか見分けにくいんだ.基本的に,なんらかの理解可能な結果を得るためには,物事が起きる順序だとか,どの変数が他のどの変数に影響を与えるのかについて,かなり強い仮定をおかないといけない.
それでも,できるかぎりでもっとも妥当な仮定をおこうと試みると,バングラデシュの衣料品ブームが1990年以降のめざましい経済成長をもたらした主要な原因のひとつだったという結果が繰り返し出てくる.たとえば,Islam (2019) の研究はこうなっている:
本研究では,バングラデシュにおける経済成長率・既製服 (RMG) 輸出収入・外国直接投資 (FDI) 流入の[統計的な関係]を検討すべく試みる.本研究では,1986年から2018年までの時系列年次データを用いる.(…)既製服輸出収入は,短期的にも長期的にも経済成長率を有意に向上させる.既製服輸出収入が増えるほど,経済成長率も高くなる.
また,これとちがった統計アプローチをとっている Jiban & Biswas (2022) には,こうある:
バングラデシュの輸出総額の8割近くを占める既製服 (RMG) 輸出収入は,近年の同国の経済発展を促進した主要な触媒のひとつと認識されている.したがって,既製服輸出がバングラデシュの経済発展と GDP 成長促進のメカニズムとして機能していたのかどうかを判断する必要は時宜を得ており,差し迫った課題でもある.(…)1990年から2020年のバングラデシュのデータを用いることで,本研究では短期だけでなく長期でも既製服輸出収入・外国直接投資 (FDI)・GDP 成長の関連があることを見出している.(…)既製服輸出収入はバングラデシュの経済成長を牽引する主要なエンジンでりこの部門は長期的にも他のさまざまな部門の成長を先導しているという命題を,我々の研究結果は支持している.
また,この Islam (2019) と似たアプローチをとっている Paul (2014) の類似論文も同じ結果を得ている.Tang et al. (2015) では,4ヶ国を検討して,そのすべてで輸出が経済成長にとって重要だと結論を下している(ただ,その関係が成り立っている時期はかぎられていて,成り立っていない時期もある).
というわけで,スウェットショップ産業が貧しい国々を貧困からすくい上げる主要な要因だと確信をもってわかっているわけではないけれど,最良の推測としては,おそらくそうだろうと言える.
スウェットショップが貧困に及ぼすもっと直接の影響については,いくらかすぐれた証拠がある.輸出志向のスウェットショップ創設を促す貿易自由化政策によって,スウェットショップが増えた地域と減った地域に及ぼした影響を検討する手がある.Vasishth (2024) がまさしくこれをやっていて,スウェットショップがたくさんある地域に暮らす女性たちの子供の健康にプラスの影響が生じているのを見出している:
本論文では,バングラデシュの既製服産業で得られた証拠を用いて,母親の雇用機会が世代間の健康を推定する.既製服産業は,2005年の貿易自由化政策の対象となった.これによって,衣料品工場の設立に空間的・時間的なばらつきが生じ,したがって女性たちの潜在的な雇用機会にもばらつきが生じた.差の差法の方略を用いて,本研究では,貿易自由化以降に既製服部門の拡大にともなって,雇用機会が増加した地域で生まれた子供たちの新生児生存率が向上したのを見出した.これを促したのは,母親たちの労働市場参加が向上したのにともなって,彼女たちが出産を遅らせ,家庭内での交渉力を向上させられるようになったことだった.[強調は引用者によるもの]
ブラットマンとダーコンの論文とちがって,Vasishth (2024) は無作為化実験じゃない.でも,スウェットショップが貧困に及ぼす影響をずっと広い範囲で見ている.というのも,そこで見てるのはスウェットショップでの就労に応募した労働者たちだけじゃないからだ――この研究では,スウェットショップがある地域全体にいるみんなに目を向けている.スウェットショップで賃金が引き上げられる重要な要因として,労働需要の増加があったことを思い出してほしい.これによって,雇用主たちは自分のところで働く労働者を確保するために賃金を引き上げざるを得なくなる.
なので,まだ確固とした科学的な結論は出ていないけれど,証拠を見るかぎりでは,貧しい国々の貧困をスウェットショップが減らしているのが示されているのは明らかに思える――大半の経済理論で予測されるとおりになっているように思える.資本家が労働者を搾取しているとか貧しい国々を豊かな国々が搾取しているといった進歩派の物語にどっぷり浸かっている人にとっては,この証拠を無視したり,軽視したり,はなから読まずにすませたくなったりするかもしれない.でも,そんな風にすませずにもっとマシな姿勢をとる責務を,ぼくらは世界に負っている.これは,間違ったところで大して困らない問題とはちがう.なぜって,悪しき開発政策を助長する物語にまんまとはまり込んでいたら――たとえばそういう貧しい国々でつくられた衣類を断固として買わずに貧しい国々からの輸入を制限するような政策をとっていたら――それで苦しむのは,世界でもとりわけ立場の弱い人たちだろうからだ.
「でも,海外のスウェットショップ労働者の労働条件を改善するように働きかければいいというデレク・ガイの主張はどうなの?」 実は,これは実際によくある.アメリカには,国内に製品を売る工場の労働条件を監視して改善を要求する仕組みがたくさん備わっている.それに,貧しい国々では,極度の貧困を脱してからようやく最低賃金の導入や安全基準の厳格化がはじまるのが常だ.
こうした政策は,大きな産業災害が起きた後に着手されることが多い.たとえば,アメリカで1911年に発生したトライアングル・シャツウェスト工場火災が,そういうきっかけになった.バングラデシュでは,2013年にラナ・プラザ工場崩壊事故が起きてから,国内の衣料品産業の条件は改善させるべく協調した取り組みがはじまった.また,国際的な小売業者も,工場労働者たちの生活を向上させるようにバングラデシュの工場に圧力をかけた.で,これが功を奏した.Bossavie et al. (2023) の研究では,こうした取り組みによってバングラデシュの衣料品産業の労働条件と賃金が向上したのを見出している.
2013年のラナ・プラザ工場で起きた悲劇的な崩壊事故の後,直接的な改革と,小売業者による間接的な対応がなされた.この両方が,バングラデシュの既製服部門の労働者に影響を及ぼした見込みが大きい.こうしてとられた対応には,最低賃金の引き上げ,世間の注目を集めたがあくまで自主的だった監査,そして小規模工場への下請けの自粛が含まれる.本論文では,こうした対応の及ぼした正味の影響を推定する.(…)改革で意図されたとおりに,国際的な監視の強化によって労働条件には 0.80 標準偏差の改善が生じたことがわかった.(…)本研究では,労働者の賃金がマイナスの影響を受けたのは見出していない.むしろ,ラナ・プラザ事故後の対応によって,賃金はおよそ 10% 上がっている.
これはかなりの成果だ.ただ,残念ながら,こんな風に条件が向上した労働者たちは,衣料品産業でその後も雇用されていた人たちにかぎられる. もしかすると,貧しい国々の労働条件を改善しようとする善意の運動・働きかけによって工業化が減速してしまい,その直接的な恩恵を打ち消して余りあるあるかもしれない.
Grier et al. (2023) は,まさしくそうなっていると考えている.この研究によれば,ラナ・プラザ工場崩壊事故後の改革によって,バングラデシュでまだまだ労働力が他より安価だった地域への投資が引き上げられていき,バングラデシュの衣料品産業の減速につながったのが見出されるそうだ:
本研究では,2013年のラナ・プラザ工場崩壊事故後にバングラデシュで起こった反スウェットショップ運動によって,衣料品産業の雇用と企業数に生じた影響を検討する.同事故を受けて運動が起こり,ブランドが共生する2つの主要な工場火災・安全協定がつくられた.本研究では,(…)これによって2016年までにバングラデシュの衣料品工場が 33.3パーセント減少し,2017年までに同国の衣料品産業の雇用者数が 28.3パーセント減少していることを見出している.バングラデシュが経済発展を進めて極貧から脱する経路を用意するうえで衣料品産業が重要であることを考えると,本研究の発見は,反スウェットショップ運動の有効性について重要な疑問を提起する.
他方,Harrison & Scorse (2006) の研究は,これより明るい見取り図を描き出している.1990年代に展開されたインドネシアの反スウェットショップ・キャンペーンの影響を検討したところ,一部の工場は移転したものの,〔それで失業した〕労働者たちは残った工場で雇用された――しかも,賃金も労働条件も以前より好待遇になっていた:
本論文では,次の2タイプの介入がインドネシアの製造業で労働市場にどのような影響をもたらしたのかを分析する: (1) アメリカ政府による直接の圧力と,(2) 反スウェットショップ・キャンペーン.前者の直接圧力は最低賃金の倍増に寄与した.最低賃金の法律制定と反スウェットショップ・キャンペーンの両者を合わせた影響により,実質賃金は 50パーセント上昇し,対象となった工場で働く非熟練労働者の名目賃金の100パーセント増加につながった.次に,本研究では,賃金の上昇にともなって企業が雇用を削減したり余所に移転したりしたかどうかを検討する.最低賃金の引き上げによって対象となった工場で非熟練労働者の雇用は減少したが,繊維・衣料・履き物工場を対象とした反スウェットショップ運動はそうした影響をもたらさなかった.活動家たちが対象にした工場は閉鎖となる確率がより高くなったものの,閉鎖にともなう雇用喪失は,存続した工場での雇用増加で相殺された.ここから得られるメッセージは,両義的だ:スウェットショップ産業における非熟練労働者の賃金は反スウェットショップ運動によって顕著に改善された一方で,おそらく,一部の工場がインドネシアから国外に移転するのを促進した.
もちろん,いろんな国々が雇用を維持しつつ賃金と労働条件を改善できる方法といえば生産性の向上だ.豊かな国々では,とにかく生産性を高めようというアイディアには冷笑が向けられることが多い.なぜって,できるものならとっくにやっているだろうからだ.でも,途上国ではそうともかぎらない.そうした国々では,成果を得やすい政策がまだ手つかずになっている場合がよくある.
そうした政策のひとつが,技術の採用だ.Nayyar & Sharma が2022年に書いた世界銀行の報告書は,これを推奨している:
総じて,輸出品目を多様に広げ,バリューチェーンでいっそう価値の高い位置に移行すべく模索するバングラデシュは,効率性と品質をより広い視野で考慮する方へ重点を移す必要がある.(…)本報告では,バングラデシュの製造業において,より高度な技術水準をもつ企業ほど業績が優れていることが見出される.
この報告書では,衣料品部門は――他の部門もだけど――急速な技術の向上を促進するよう推奨している.
ここで本当に興味深い問いは,次の点だ.「アメリカ・ヨーロッパ発の反スウェットショップ運動は,技術と教育にいっそう投資するよう貧しい国々に強いるのか?」――その答えは,まだわかっていないとぼくは思う.賃金を引き上げたりより高価な安全策をとることで,工場の所有者たちは生産性を向上させるか,さもなくば事業を畳むかを迫られる [n.2].すると,非効率的な〔工場の〕経営者たちはもっとすぐれた機械を導入するべく投資するよう促されるかもしれないし,貧しい国々はよりよい教育をより多く人々に提供するように促すかもしれない.
だから,デレク・ガイみたいな進歩派は,スウェットショップの経済的な便益をあまりに軽視しすぎている一方で,彼らが好む解決策,つまり貧しい国々の工場に賃金引き上げを迫ったり労働条件の改善を敷いたりする運動は,結局のところ正しいのかもしれない.ともあれ,イギリスやアメリカは,安価な労働力で安価な衣類を大量につくることで工業化の端緒についたけれど,のちのちにもっと価値が高く資本集約的なものに移行していった――そして,結果としてかつてよりもはるかに豊かになったし,同時に,労働条件はずっと安全で快適になった.
バングラデシュも,次にきっとその足跡をたどるはずだ.もしも,豊かな国々の進歩派たちによる運動によって,バングラデシュが次のステップに進むのに必要な後押しがなされるんだったら,実にけっこうなことだ.でも,そういう運動によってただたんに衣料品工場が大量閉鎖になってしまって,絶望的貧困から抜け出るためにこの上なく重要な命綱が奪われてしまったら,それは……よくないよね.だから,豊かな国々の進歩派は,この点についてすごく慎重になった方がいい.ここには,他人の人生と生計がかかっているんだよ.
原註
[n.1] ちなみに,パキスタンも極度の貧困を減らす上で大きな進歩をとげている.ただ,その方法は経済成長よりも再分配だ.
[n.2] 「それは大袈裟」と思う人もいるかもしれないけれど,これはそんなに突拍子もない話じゃない.実際,産業革命に関するとりわけ有力な理論のひとつでは,イギリスの賃金が高くついていたために,技術ブームに火がついて,それがやがて自己持続的になったと主張されている.
[Noah Smith, “The only thing worse than sweatshops is no sweatshops,” Noahpinion, July 30, 2025]