ジョセフ・ヒース「市場を支持することと企業を優遇することの違い:プロ・マーケットとプロ・ビジネス」(2016年3月3日)

市場派の人々が資本主義を熱心に推すのは、価格システムの利点を理解しているからだ。

サスカチュワン州首相のブラッド・ウォール〔右派で、市場寄りと思われている政治家〕は、市場が好きではないらしい。少なくとも私と同じような仕方で市場を愛しているわけではないようだ。先日、ウォールが気候変動について語っているのを聞いて、私はポリシー・オプション誌に大昔に寄稿した記事のことを思い出した。この記事は、「プロ・マーケット(市場派)」と「プロ・ビジネス(ビジネス派)」の違いについて論じたものだ。ウォールのような保守系政治家の話を聞いていると、この区別を用いて彼ら彼女らの議論を分類するのは依然として有益だと思われる。例えば、ウォールが炭素価格付けに対してとっている立場は、プロ・ビジネスの保守系政治家の完璧な例となっている。つまり、彼はプロ・マーケットではないのだ。

以下は、そのときの記事にある、プロ・マーケットとプロ・ビジネスの区別を説明した部分だ。

プロ・マーケットの人々が資本主義を熱心に推すのは、価格システムの利点を理解しているからだ。適切に構造化された競争市場が、資源と労働を最も生産的な場所へと配分する制度編成として、最も効果的であるということを知っているのである。

だが、その支持の中心にあるのは、「市場」という魔法の言葉ではない。むしろ、その前に付されている限定こそが重要だ。プロ・マーケットの陣営は、私企業システムの利点が、私的所有権制度それ自体にあるのではなく、適切に構造化された市場によって仕組まれた、企業間での競争にこそある、と考えている。競争こそが、イノベーションを駆動し、生産性を上昇させ、消費者に低価格で商品を提供する原動力となっている。

他方、プロ・ビジネスの人々は、市場の仕組みにはそれほど興味がなく、所有が生み出すインセンティブに深い感銘を受けている。それゆえ、私企業システムの利点は、組織内で育まれるビジネス文化、あるいはそれによって突き動かされる企業家精神にある、と考えがちだ。

この2つの立場は、具体的な政策問題に関して、全く異なる結論を導く場合がある。例えば環境規制に関して言うと、プロ・マーケットは原理的に、そうした規制を受け入れようとする。企業が利潤追求を行う資格を持つのは、第三者に補償なしでコストを課さない場合のみだからだ。外部性の内部化を目的とした政府規制は正統性を持っている。そうした規制は、市場を「適切に構造化」された状態にする方法の1つに過ぎないからだ。

一方、プロ・ビジネスの人々は、ミルトン・フリードマンに倣って、環境規制を全面的に拒否することが多い。それは、企業に対して「社会的責任」を課すという、正統性のない行為だと考えているのだ(この2つの立場の違いは、京都議定書を巡って昨年ナショナル・ポスト誌上で行われた低レベルな論争にも見て取れる。この論争において、アンドリュー・コインは概ねプロ・マーケットの立場をとり、テレンス・コーコランは単純にプロ・ビジネスであった)。

この文章を改めて読んでみると、変わってしまった部分もあるが、全く変わっていない部分もある。この文章は2003年に書かれたものだが、私たちは相変わらず同じような議論を繰り返している。

プロ・マーケットの人々は炭素価格付け〔炭素税や排出権取引〕を支持する。なぜか? なぜなら、現在の炭素価格(ゼロ)が低すぎるということを知っているからだ。炭素の適切な価格水準がどれくらいか分からなくても、0ドルというのが適切な価格でないということは分かる(そして現実には、炭素価格は0よりさらに低い。化石燃料の生産には様々な形で補助金が出ているからだ)。そのため、適切に構造化された市場を構築し、現行の市場で炭化水素が得ている不当な競争優位を排除するためには、炭素価格付けが必要だ。

炭素価格を上げることの影響はどんなものになるだろうか? そんなことは誰も知らない。市場の美点は、価格を上げるとどんな影響が出るかということを知らなくてもよいことにある。私たちが知っているのは、価格を上げれば資源配分が改善され、厚生が高まるだろうということだ。

だが、ウォールが支持しているのは、補助金、「テクノロジー・ファンド」、その他エネルギー部門に対する政府規制のごちゃ混ぜだ。字面だけ見ると、昔のカナダ新民主党〔左派政党〕が考えそうな政策である。だがなぜ〔保守派の〕ウォールがこうした政策を支持しているのだろう? 答えは基本的に、民間セクターにコストがかからない形で、多額のバラマキが行えるから、というものだ。ウォールがこれらの政策を支持しているという事実が示唆するのは、次のことだ。ウォールの政治活動は、市場経済の仕組みに関する原理的な理解ではなく、ビジネス階級との利害の同一化によって突き動かされている。

言い換えると、ウォールの「自由市場」への支持は、私企業システムをきちんと評価して辿り着いたイデオロギー的信念によるものではなく、企業のCEOたちと歓談しながらゴルフコースを巡っている最中に出てきた考えだろう。これは本質的に階級政治であって、責任ある政治ではない。

[Joseph Heath, Brad Wall does not love the market, In Due Course, 2016/3/3]
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