ジョセフ・ヒース「気候変動に関するインタビュー:エネルギー、イノベーション、将来世代」(2018年7月13日)

「成長の限界」や環境保護主義を巡る議論の多くは、最終的に、人間の創意工夫の能力を楽観的に見るか悲観的に見るか、という対立軸に帰着します。

気候変動は、将来世代を含む私たち人類に深刻な影響を及ぼすでしょう。私たちは、将来世代から地球を「借りている」に過ぎず、地球環境を汚さずに子どもたちやその孫たちへと受け渡す義務を負っているのでしょうか? こうした問題に答えるために、トロント大学のジョセフ・ヒース教授は、バイロイト大学(University of Bayreuth)にて5日間にわたる講義を行ってくださいました。テーマは「気候変動と将来世代への義務」。この講義で、地球環境変動生態学コースの学生たちは、気候変動政策の失敗やイノベーション、「成長の限界」運動の背景にある誤った前提、炭素税の割引率、そして、私たち全員が気候変動を抑制するために行為しなければならない理由について、ヒース教授と議論する機会を得ました。

なぜ気候変動政策を扱い始めたのか

素晴らしい講義をしていただきありがとうございました。まず、ヒース教授がなぜ気候変動問題を扱い始めたのかについて教えていただけますか?

ヒース:私はカナダ出身なのですが、実のところカナダでは気候変動は大変重要な問題です。カナダには莫大な量の石油が埋蔵されていて、化石燃料の産出はカナダ経済の主要産業となっています。一方で、カナダは再生可能エネルギーについても大きな可能性を持っています。一部の地域は、全ての電力を水力発電で賄っていて、カーボン・フットプリントも非常に小さいです。しかし、別の地域では、文字通り世界で最も汚く汚染の激しい石油が汲み出され(編集部註:カナダではタールサンドが非常に一般的である)、とんでもない量の炭素が排出されています。そのためカナダでは、気候変動に対してどんな行動をとるべきかについて、地域間対立を伴う非常に激しい政治的対立が存在します。そしてもちろん、アメリカの隣国として、気候変動を放置したくなる誘惑もあります。私自身は、気候変動に対処する義務が私たちにはあると考えています。ですが、カナダにおいて気候変動政策に関するコンセンサスは全く存在しません。これは部分的には、この問題を巡って国内で激しい利害対立が存在するからです。どんな主張を行おうと、すぐさま激しい批判に遭うでしょう。気候変動問題に関しては、誰が何を言っても反対してくる人々が必ず存在します。だからこそ、自分の支持する政策を根拠づけるきちんとした議論を用意しなければなりません。私が気候変動に関心を持ったのはこんな経緯です。多くの面で、気候変動はカナダにおいて最も差し迫った政治的問題なのです。

気候変動のもたらす影響と求められる政策

ヒース教授は、気候変動によって社会が直面する重大な変化はどんなものだと考えていますか?

ヒース:良い質問ですね。この質問への答えは、私たちが気候変動にどう対処するかによって変わってきます。私たちが気候変動問題を放置するなら、そのとき生じる最も深刻な問題は、気候難民の発生ということになると思います。これは、気候変動がもたらす最大の被害かもしれません。気候難民は実のところ、気候変動によって生じる問題の中でも定量化が難しいものの1つです。ですが、インドのような国で大規模な農業の崩壊が起きたり、異常気象によって何百万もの人々が住む場所を奪われたりすれば、どうなるでしょうか。1千万人のシリア難民の発生によって生じた混乱を考えてみてください(編集部註:シリア難民は気候難民ではない)。2億人から4億人の難民が発生すれば、今ある政治システムではすぐに対処不可能になるでしょう。その上、現行のいかなる難民制度でも、気候難民は正式に認められていません。経済難民として分類されてしまうからです。この状況をどうさばくべきかに関して、大きな概念的困難が存在します。これは大変な問題になるでしょう。

ですが、私たちが気候変動に適切に対処するとしたら、そのとき起こる最も重大な変化は、エネルギーシステムの技術革新ということになるでしょう。エネルギーに関して1つ言えることがあるとすれば、20世紀を通じてエネルギーシステムの技術革新はほぼ完全に停滞していたということです。実のところ、現在私たちが利用しているエネルギーシステムはほぼ全て、19世紀のテクノロジーです。電気、バッテリー、蒸気機関、内燃機関といったテクノロジーについて考えてみてください。19世紀からタイムスリップしてきた人でも、現在私たちが利用しているこれらの基本的なテクノロジーは理解できるでしょう。ですが、情報技術となると、19世紀から来た人には何も理解できないのではないでしょうか。つまり、20世紀はたくさんの領域でとてつもない技術革新が生じた時代ですが、エネルギーに関しては完全に停滞していたのです。その主たる要因は、化石燃料があまりにも安価で、ほとんどタダ同然で利用でき、そのうえ莫大なエネルギーを供給してくれたため、新たに別のエネルギー戦略を研究する理由がなかったからだと私は考えています。気候変動は、エネルギーシステムの技術革新に真剣に取り組む良い理由になります。私たちが気候変動に適切に対処するなら、技術革新に取り組むためのインセンティブを創出することになるでしょう。私はエネルギーシステムに関してテクノロジー楽観主義をとっています。技術革新によって、エネルギーの希少性という制約が大きく緩和されるような、そんな世界を想像することができます。これは、気候変動政策の幸福な帰結と言えるでしょう。

気候変動問題に対処するためには、どんな政策を取るべきなのでしょうか?

ヒース:まず何よりも、炭素価格づけを行わなければなりません。これは決定的に重要なことです。そして、炭素価格付けがどのように機能するかに関しては、一定の合意が存在します。化石燃料を巡って国内で大きな対立を抱えているカナダ人の視点からすると、例えばアルバータ州(オイルサンドが分布している地域)の住民に対して「オイルサンドはずっと地中に埋めたままにしましょう、掘り出すなんてもってのほかです」と言うことなど政治的に不可能です。そこには莫大な富がかかっているのですから。なんらかのグローバルなガバナンス体制によって、世界全体が排出に関する一定のルールに合意してそれを遵守し、問題が完全に解決するという未来を思い描くことは困難です。そんなことが実現するとはとても思えません。

真に重要なのは、技術革新を促すために適切なインセンティブを創出することです。この問題を短期的に解決するのは、炭素税や排出権取引のような政策です。ですが、長期的な解決策は技術的なものでなければなりません。さもなくば、人々は早晩、石油を掘り出し始めるでしょう。非常に濃縮されたエネルギーがただ地中に眠っているようなものなので、化石燃料を利用したくなる誘惑は圧倒的です。炭素価格付けを採用すべきなのは、それがまさに炭素排出問題をピンポイントで狙い撃ちする政策だからです。炭素価格付けは、化石燃料が得てきた不当な競争優位を取り除くことで、炭素排出問題に対処します。これが炭素価格付けが支持される理由です。現状の問題は、石炭を燃やしても炭素排出のコストを支払う必要がないために、太陽光や風力といったエネルギーへの研究・投資が採算に合わなくなっていることです。つまり、化石燃料は不当な競争優位を得ているのです。人々を適切に動機づけるためには、この不当な優位性を取り除く必要があります。

技術進歩悲観論をとる理由はない

テクノロジーが進歩するのではなく、私たちが単により少ないエネルギーで暮らしていくような世界を想像することはできないのでしょうか?

ヒース:今回の講義では、「成長の限界」のムーブメントや、人間は環境的な限界・制約の範囲内で生きるべきだ、といった考えについても議論しました。私はこうした考え方に非常に批判的です。講義でも指摘したように、こうした仮説は「資源」の観点から定式化されがちです。私たちは再生不可能な資源を使い尽くしつつあるので、持てる資源に見合った暮らしを送る必要がある、という風に。ですが、この手の議論をする論者たちでさえ、問題は実のところ、「資源」ではなく「エネルギー」にあるということを理解しています。というのも、私たちが消費している資源のほとんどは、十分なエネルギーがあれば、回収して元の状態に戻せるからです。気候変動に関しても問題は同じです。十分なエネルギーがあれば、大気中の二酸化炭素を化石燃料に戻すことができます。要するに、問題はあくまでエネルギーなのです。ここで、私たちが消費しているエネルギーの量と、地球上で利用できるエネルギーの量を比べてみましょう。最も目を引くデータは、人類全体の現在のエネルギー消費量が約18テラワットであるというものです。一方で、太陽放射の形で私たちが利用できるエネルギーは、89,000テラワットを超えています。そのため、この地球上においてエネルギーの希少性なるものは全く存在しません。

問題は、人間はエネルギーを取り出すのがあまり得意でないということです。現在私たちが利用しているエネルギーシステムの大部分は、植物に寄生する形になっています。植物は、光合成によって太陽エネルギーを取り込み、それを高エネルギー化学結合に変換できます。私たちは、食料という形で直接的に、また化石燃料という形で間接的に、それに依存しています。これらは全て、植物が取り込んだエネルギーです。私たちは、風力、太陽による加熱の差、あるいは(雨を含む)水力からもいくらかエネルギーを取り出しています。これらはみな、元を辿れば太陽エネルギーに由来するものです。そしてもちろん、太陽エネルギーを直接取り込むこともできます。ですが、私たちが太陽から直接取り込んでいるエネルギーの量は、恐らく0.5テラワットにも及びません。人類は、太陽エネルギーに本気で取り組んできたわけではないようです。なぜでしょうか。それは、植物が太陽エネルギーを捉えてくれるので、それでずっと足りていたからです(例えば、馬や牛に草を食わせ、その動物たちを使って農地を耕していればよかったのです)。その後、化石燃料が発見され、人類は気づきました。植物は昔からずっと、何百年もの間、太陽エネルギーを取り込み続けていて、それが地中に蓄えられていたということに。こうして、過去の太陽エネルギーの蓄えからエネルギーを取り出すという、信じられないほど便利なやり方を人類は発見しました。

つまり、私たちが学ばなければならないのは、至る所に溢れている太陽エネルギーを取り込んで、それを利用可能な形に変換することなのです。そして、利用可能な太陽エネルギーの量は気が遠くなるほど膨大です。持てる資源に見合った形で、エネルギーの利用を抑えた暮らしをすべきだという考え方には、ある種の高潔さがあります。ですがそれは、「水を使う量を減らすべきだ」と言うのと同じようなものです。カナダでは、水は至る所にあります。地球上において水は不足していません。いずれにせよ、海水を淡水化する技術があれば、水の利用量を減らす理由はありません。そう、水は豊富にあるのです。同じことはエネルギーにも言えます。エネルギーは水以上に豊富です。エネルギーの利用量を減らすべき原理的な理由は端的に言って存在しません。

でも実際問題、現在のところ私たちは太陽エネルギーを効率的に取り出す技術を持っていないわけですよね。

ヒース:「成長の限界」や環境保護主義を巡る議論の多くは、最終的に、人間の創意工夫の能力を楽観的に見るか悲観的に見るか、という対立軸に帰着します。つまり根底にあるのは、太陽エネルギーを効率的に取り出す技術を見つけられるほど人間は賢いのか、過去200年の間に生じた技術発展は今後も続いていくのか、に関する見解の対立なのです。私は楽観主義をとります。中国を例にとりましょう。中国は十億もの人口を抱えており、たくさんの非常に賢い人々がいます。ですが、過去の技術革新を見ると、ほぼ全てが西洋諸国(ヨーロッパや北米)由来であり、西洋以外の場所から生まれたものはごく少数です。これは大部分、発展の進み具合が原因です。西洋以外の国々が発展していけば(現にしているわけですが)、より多くの人間の知性を利用できるようになり、より多くの人々が気候変動問題に関する科学的・技術的訓練を受けることになります。中国で技術革新が盛んになり始めれば、人類の置かれた状況は一変するでしょう。そのため、悲観主義をとる理由は端的に見当たらないのです。

このことは、私たち1人1人にとって意味を持つでしょうか?

ヒース:はい。このことはぜひとも強調しておきたいです。私はときどき、「一部の悪者企業が地球を食い物にしているせいで気候変動が起きている」というストーリーを語りたがる学生や活動家と話すことがあります。私の大学には、悪しき大企業のせいで気候変動が起きているとでも言うように、石油会社への不買運動を呼びかけている学生たちもいます。彼ら彼女らに対して指摘したいのは、大きな社会問題が企業の不正行為によって生じているか否かというのは、実証によって明らかになる問題だということです。例えば、2008年の金融危機をもたらしたのは企業でした。一般の人々がこの危機の原因になっていたとは言えません。それは、銀行が不適切なインセンティブを持っていたために生じたものであり、銀行の失態でした。この場合、企業を非難するのはもっともなことです。ですが、気候変動の場合は違います。少数の例外を除き、あらゆる個人がこの問題に寄与しているからです。第一世界に暮らす人々は誰しも、生活のあらゆる側面で化石燃料に依存した暮らしを送っています。そのため、誰もが気候変動問題に寄与している一員です。誰もがこの問題に加担している以上、誰もが気候変動に対して行動を起こすことができます。私たちには全く手出しができなかった金融危機とはわけが違うのです。気候変動問題に関しては、私たち皆が罪を背負っており、それゆえ、誰もが気候変動に対して行動を起こすべきなのです。

将来世代の問題

気候変動政策について考える際、私たちは将来世代の豊かさを考慮に入れる倫理的義務を負っているのでしょうか?

ヒース:これは、極めて厄介な哲学的問題です。ですが、多くの人はこれを簡単な問題であるかのように見なしています。簡単な答えはイエスです。しかし、将来世代の豊かさを安直な形で考慮に入れると、政策的観点から見て全くバカげた結論が導かれてしまいます。なぜここに哲学的問題が生じるかというと、「気候変動問題を解決すべきだ」ということすら自明ではないからです。というより、この問い自体が実際には複雑であるからこそ、哲学的問題となっているのです。全5回の講義を通じて私は、この問題に取り組み、それがいかに難しい問題であるかを示そうとしてきました。問いが複雑である以上、問いへの答えも複雑かつニュアンスに富んだものになります。そのため、ここで答えを1文に要約しても益がないでしょう。

最後の質問です。炭素価格付けにおいて割引率を設定すべき理由を簡単に説明していただけますか?

(編集部註:割引率とは、同じ100ユーロをもらうのでも、2ヵ月後にもらうより今もらう方がよい、ということだ。100ユーロをもらうのが2ヵ月後になると、その100セントのあなたにとっての価値は減少する。この減少分が割引率と呼ばれる。気候変動の文脈で言うと、割引率を用いるということは、将来世代の人々は経済成長によって私たちよりも豊かになっているので、現在の私たちよりも気候変動に上手く対処できるだろう、と想定することを意味する。)

ヒース:割引率というのは、科学畑の人々にとっては理解するのが極めて困難なものです。この傾向は、技術教育を受けた人々の間で非常によく見受けられます。割引率の問題は、気候変動だけでなく、例えば道路建設などでも現れます。エンジニアはなんでもコンクリートで建設したがります。コンクリートは最も耐久性が高く、最も長持ちするといった理由からです。さて、エンジニアが提出した道路の建設方法に関するプランは、地方自治体の会計事務局に回され、そこで会計士は割引率を適用します。そしてエンジニアのもとにプランが戻ってくると、道路はアスファルトで建設するということになっているのです。当然エンジニアはコンクリートを好むのでこれに怒ります。問題は、コンクリートはメンテナンス費用が低いかわりに初期費用が高く、一方でアスファルトはメンテナンス費用が高いかわりに初期費用が低いことです。エンジニアからすると、割引率を適用してアスファルトを採用するのは、見せかけだけの節約にしか見えません。割引は、物事を科学的・技術的な視点から見る人と、経済的・社会科学的な視点から見る人との意見が食い違う大きな要因となっています。割引率を設定すべきである理由はいろいろ存在しますが、最もシンプルな理由は、将来世代の人々は現在世代の人々よりも豊かだろうという事実です。

そのため、コストは今払うよりも将来払う方が、はるかに負担が小さいのです。地方自治体は、建設から10年経てば道路を補修しなけれならなくなります。経済成長があれば、地方自治体は現在よりも10年後の方がより多くの税収を得ているでしょう。そのため、100万ドルの負債も、10年先送りにできるならそれほど深刻な懸念ではなくなります。これは単なる合理的な会計の考え方です。実際には事態はもっと複雑ですが、ほとんどの割引を正当化する中核的な根拠は、以上述べたようなことです。これは、割引に関する最も議論の余地が少ない論点ですが、実のところ、主要な論争点の1つになっています。地球科学者の多くは、気候変動の帰結に注目しますが、それを政策に落とし込む上では、様々な要因を考慮に加える必要があり、話がずっと複雑になるということを見落としています。経済成長もそうした要因の1つであり、経済成長が人類の気候変動に対する適応能力にどんな影響を与えるかは、考慮に加えるべき主要な要因です。なので、そうした影響を予測するためのモデルを作る必要がありますし、それが割引にどう作用するかも明らかにしなければなりません。これはフラストレーションが溜まる仕事です。自然科学者の多くが、気候変動への適切な対処策を巡る議論においてフラストレーションを抱いていることは、私も理解しています。ですが、科学だけで全てが解決するかのように考えてはなりません。科学はこの難問を解くための重要なピースの1つですが、他にも同じくらい重要なピースがたくさん存在しているのです。

ヒース教授、インタビューに答えていただき本当にありがとうございました。

[“I just don’t see the case for pessimism.” – Interview with Prof. Heath Part 1, Part 2, Global Change Ecology, 2018/7/13.]

〔本インタビューは、ジョセフ・ヒース教授の許可を基に翻訳・公開している。〕

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