ダニエル・リー 「インフレ率の目標値を4%に引き上げるべきか?」(2010年3月9日)

●Daniel Leigh, “A 4% inflation target?”(VOX, March 9, 2010)


IMFのチーフエコノミストであるオリヴィエ・ブランシャール(Olivier Blanchard)が、通常時のインフレ率の目標値を4%に引き上げるべきだと提言している。深刻な不況に陥った場合に名目金利を引き下げられる余地をできるだけ確保するためというのがその理由だ。もっともだ。日本銀行が4%のインフレ率を目標にしていたとしたら、日本経済が 「失われた10年」(“Lost Decade”)の間に喪失した産出量の規模を半分に抑えることができていた可能性があるのだ。

金融政策は低インフレ――例えば、1~2%のインフレ率――の達成を最優先すべきだというのが、セントラルバンカーの世界における通念(conventional wisdom)になっている。例えば、世界中のセントラルバンカーが一堂に会した1996年のジャクソンホールカンファレンスでは、「低水準のインフレ率あるいはゼロ%のインフレ率を金融政策の長期的な目標に据えるべきだとの総意」が得られている(Kahn 1996)。CPI(消費者物価指数)が抱える上方バイアス(測定誤差)を考慮すると、CPIで測ったインフレ率が1~2%の時に「真の」インフレ率がゼロ%になるだろう(Wynn&Rodriguez-Palenzuela 2002)。

ところで、中央銀行が掲げるインフレ率の目標値が低い国では、世界的な金融危機のあおりを受けて、名目金利がゼロ下限制約に達してしまった。名目金利を引き下げられる余地がなくなってしまったのである。望ましい名目金利がゼロ%を下回ったケースもある。例えば、米国経済を対象にしたルドブシュ(Rudebusch 2009)の推計によると、テイラールールから導き出される望ましいFF金利(フェデラルファンド金利)の水準は、2009年時点でマイナス4%以下――ゼロ下限制約のずっと下――という結論が得られている。インフレ率の目標値がもっと高かったとしたら、万能薬が手に入っていただろうか?

「名目金利の引き下げ余地」(“room to cut”)の効能に関する最新の研究

IMFのチーフエコノミストであるオリヴィエ・ブランシャールとその同僚たちが、インフレ率の目標値を4%に引き上げてみたらどうだろうかと提言している(Blanchard et al. 2010)。少し前になるが、日本銀行が4%のインフレ率を目標にしていたとしたら、日本経済のパフォーマンスが改善していたかどうかを私なりに検討してみたことがある(Leigh 2009)。日本経済は、1990年代中頃に政策金利がゼロ%の下限に達した後に、「失われた10年」(“Lost Decade”)に陥った。日本銀行が4%のインフレ率を目標にしていたとしたら、どうなっていただろうか? その答えを得るために、日本経済のデータから推計された標準的なDSGE(動学的確率的一般均衡)モデルを使ってシミュレーションを試みたのだ。見出された発見は、3つある。

第1の発見:日本銀行は1990年代前半に大いなる過ちを犯したという大方の見方に反して、当時の日本銀行は、標準的なテイラールールに従って政策金利を調節していたようなのだ。どうやら1%のインフレ率が暗黙の目標だったようで、インフレ率の安定化に重きが置かれていた――インフレ率を1%に落ち着かせることが最優先されていた――ようなのだ。決して異端(unorthodox)と呼べるようなものではなかったのだ。実際の政策金利の推移と、モデルから推計された政策金利の推移を並べて掲げたのが図1である。1990年代前半においては、実際の政策金利がモデルの推計値をなぞっていることがわかる

【図1】日本経済:モデルから推計された政策金利(実線)と実際の政策金利(点線)

第2の発見:シミュレーションの結果によると、日本銀行が4%のインフレ率を目標にしていたとしたら、名目金利のゼロ下限制約に直面せずに済んでいた(名目金利をゼロ%にまで引き下げなくてもよかった)可能性がある。しかしながら、名目金利の引き下げ余地が広がりさえすれば、それだけで産出量(GDP)で測ったパフォーマンスが大幅に改善するかというと、そうではない。日本銀行が産出量の安定化――GDPギャップ(現実のGDPと潜在GDPの乖離)の縮小――に積極的にならない限りは、名目金利の引き下げ余地が広がっても存分に活用されずに終わってしまうのだ。4%のインフレ率が目標にされていたら、予想インフレ率が高まって実質金利が低下する。そのおかげで産出量が増えるが、その効果は長続きしない(図2を参照)。

【図2】4%のインフレ率が目標にされていたら:実際(実線)と反実仮想(点線)

第3の発見:日本銀行が4%のインフレ率を目標にするだけでなく、産出量の安定化――GDPギャップの縮小――にも積極的に取り組んでいたとしたら、日本経済のパフォーマンスは大きく改善していた可能性がある。シミュレーションの結果によると、4%のインフレ率が目標にされるだけでなく、日本銀行が産出量の安定化――GDPギャップの縮小――に積極的に取り組んでいたとしたら、日本経済が「失われた10年」の間に喪失した産出量の規模を半分に抑えることができていた可能性があるのだ(図3を参照)。

【図3】4%のインフレ率が目標にされるだけでなく、産出量の安定化に重きが置かれていたら:実際(実線)と反実仮想(点線)

1990年代の日本経済の経験から得られる教訓

新たに「失われた10年」に陥らないようにするために、金融政策にどんなことができるだろうか? 日本と経済構造が似ていて、襲われるショックの種類も似ているようなら、以下の2つの政策変更が求められることになるだろう。

  • 名目金利を引き下げられる余地をできるだけ確保するために、インフレ率の目標値を引き上げるべし。

私の研究では、インフレ率の目標値が4%に引き上げられるケースに焦点が当てられている。4%というのは、先進国で受け入れられている今の規範(norm)と比べると、ずいぶんと高い。しかしながら、大きな混乱を招くほどの高さではない。ここで、あえて指摘しておきたい史実がある。1980年代前半にFRB議長を務めた「タカ派」のポール・ヴォルカー(Paul Volcker)が、インフレ率が「4%」近辺で安定したのを見て「勝利を宣言した」のだ(Tobin 2002)。

  • 産出量の安定化――GDPギャップの縮小――に積極的になるべし。

中央銀行の責務の範囲を広げて、中央銀行がインフレ率の安定化――インフレ目標の達成――だけでなく、産出量の安定化――GDPギャップの縮小――にも積極的に取り組むようになれば、新たに「失われた10年」に陥らずに済む助けになるだろう。

10年に及ぶ穏やかなデフレーションを経験した日本だが、デフレ圧力が高まらないようにするというのが次なる課題である。これまで以上に難儀な課題になりそうだ。

<参考文献>

●Blanchard, Olivier, Giovanni Dell’Ariccia, and Paolo Mauro (2010), “Rethinking Macro Policy”(拙訳はこちら), VoxEU.org, 16 February.
●Eggertsson, Gauti (2006), “The Deflation Bias and Committing to Being Irresponsible”, Journal of Money, Credit and Banking, 38(2), pp. 283-321, March.
●Eggertsson, Gauti (2008), “Great Expectations and the End of the Depression”, American Economic Review, 2008: 90(4).
●Kahn, George A., 1996, “Achieving Price Stability: a Summary of the Bank’s 1996 Symposium(pdf)”, Economic Review, Fourth Quarter 1996, Federal Reserve Bank of Kansas City.
●Leigh, Daniel, 2009, “Monetary Policy and the Lost Decade: Lessons from Japan”, IMF Working Paper 09/232.
●Rudebusch, Glenn D (2009), “The Fed’s Monetary Policy Response to the Current Crisis”, Federal Reserve Bank of San Francisco Economic LetterNumber 2009-17.
●Tobin, James (2002), “Monetary policy”, in: Henderson, D R (ed.), The Concise Encyclopedia of Economics, Liberty Fund Inc., Indianapolis.
●Wynne, Mark A and Diego Rodriguez-Palenzuela (2002), “Measurement bias in the HICP: What do we know, and what do we need to know?(pdf)”, European Central Bank Working Paper Series, 131.

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