「景気後退」ならぬ「空気後退」(ヴァイブセッション)をめぐる論争で大きな係争点となっているのは,次の点だ――「アメリカの労働者たちにとって実質賃金は上がったのか下がったのか.」 もしも実質賃金が上がったら,物価が上がっていても人々の購買力は上昇する.実質賃金が下がれば,大勢のアメリカ人が貧しくなる.一般に,保守派も左翼も(どちらもバイデンを嫌っている),こう主張している.「リベラルどもは賃金も上がっていると主張するが,賃金はマズイことになっている.」
Matt Bruenig がよいグラフを出して,実質賃金はマズイことになっていると主張している.グラフの元になっているのは調査データで,2017年から2023年まで雇用されていた特定の個々人に起きた賃金の変化を見ている.こうすることで,パンデミック期の雇用・解雇から生じる構成効果を回避できる.そこから得られた結果は,だいたい通説のとおりだ――実質賃金の中央値は2021年~2022年に下がって,その後,2023年に再び上昇をはじめている:
まさしく,昔なじみの「実質賃金」グラフでお目にかかりそうなものがここにある.「典型的な労働者にとって2023年のアメリカ経済は好調だけれど2021年~2022年にはろくでもなかった」という見解を,これは支持している.
ところが,これと同じ調査データを用いて,Ryan Radia はずいぶんちがったグラフをつくっている.こちらが着目したのは,就労年齢にある全成人の賃金中央値だ.これを見ると,ジグザグを繰り返しつつも,2021年~2022年に上昇傾向がくっきりと現れている:
どうやったら,この2つのグラフの折り合いがつくんだろう? 答え:「雇用率が上昇した.」 2020年に仕事に就いていなかった人たちが 2021年にたくさん雇用され,さらに,2021年に仕事に就いていなかった人たちも2022年にたくさん雇用されたんだ.Bruenig のグラフには,こういう人たちがまったく含まれていない.なぜって,これが数えてるのは,その間ずっと雇用されていた人たちだけだからだ.Radia のグラフには,2020年や2021年にまったく賃金を稼いでいなかった人たちが含まれている.そのため,こっちのグラフだと賃金の中央値がずっと良好になってる.
「じゃあ,どっちのグラフが「正しい」やつなの?」 実は,どちらも興味深く重要なことを物語ってると思う.アメリカの多くの労働者たちは2021年~2022年に賃金が下がってしまった.とうぜん,彼らはそのことに憤慨している.2023年にまた賃金が上がりはじめとはいっても,あの時期に下がったことには腹を立ててる.ただ,同時に,バイデンのもとで雇用率が上昇したことで,最悪の状態にあった労働者たちの多くは稼ぎを増やしてる.それに,雇用率もかなり高かった2019年以降に全体の実質賃金が上がってるということは,アメリカ経済が労働者たちに期待どおりの結果をもたらす能力が安定してよくなってきていることを示している.
というわけで,経済学ではよくあることだけど,現実の物語は白黒つかない陰影があってややこしいんだよね.
訳者の補足: アメリカでは,2023年に失業率を下げないままインフレ率が下がり,マクロ経済統計をみるかぎりでは良好な経済状況になっていますし,人々の消費行動にもそれが表れています.ところが,アメリカの人々が感じている景況感の調査では,悲観的に見る傾向が強いままとなっています:
こうした状況を指して “vibecession” と呼びます.「雰囲気・場の空気」を意味する “vibe” と「景気後退・不況」を意味する “recession” とを合わせた言葉です.その点をくんで日本語に訳せば,「空気後退」といったところでしょうか.どうして,このような「空気後退」が生じているのか――大統領選挙も見越して,これが大きな問いとなっています.
[Noah Smith, “At least five interesting things to start your week (#23),” Noahpinion, December 27, 2023]