●Tyler Cowen, “Ben Bernanke, economist”(Marginal Revolution, October 24, 2005)/【訳者による付記】バーナンキがFRBの議長に就任することが決まったのを受けて書かれた記事(2005年10月に書かれた記事)である点にご注意ください。
ベン・バーナンキの学術面での功績を私なりにまとめると、以下のようになる。
1. 不可逆的な投資理論:バーナンキ、ディキシット(Avinash Dixit)、ピンディック(Robert Pindyck)らが「投資の不可逆性」に関する理論を発展させるまで――1983年頃まで――は、企業による投資(設備投資)を可逆的である――取り返しがつく――かのように想定してモデルが構築されることが多かった。バーナンキは、「投資の不可逆性」がいかなるかたちで重要な影響を及ぼすに至るかを明らかにした。すぐに行動に打って出るよりも、行動に出るのをしばらく待ってその間に情報を集めようとするというのはよくあることだが、[一旦投資に乗り出してしまうと、やり直しがきかない(=「投資の不可逆性」)こともあって]企業もすぐには投資に乗り出さずに情報の収集に努めることがある。バーナンキが明らかにしたところによると、ちょっとした情報の変化が設備投資の大幅な変動を引き起こす可能性がある一方で、金利が大幅に変化しても設備投資はほとんど影響を受けない可能性がある。さらには、良いニュースよりも悪いニュースの方が投資の決意を左右する力が大きい [1] … Continue reading。「投資の不可逆性」に伴うかような特徴を明らかにすることで、バーナンキは経済学の分野で最初の足跡を残したのだ。
2. 金融政策のクレジットチャネル:バーナンキがこれまでに執筆した論文の一覧はこちらだが、金融政策のクレジットチャネルに焦点を当てた業績の中でも代表的なのは、やはりアラン・ブラインダー(Alan Blinder)と共著の1992年論文だ。この論文では、旧来のケインジアンの主張に実証的な裏付けが与えられている。すなわち、「景気変動の過程で主導的な役割を果たしているのは、通貨量(M1やM2)と信用量(銀行貸出)のどちらだろうか?」という問いに対して、バーナンキ&ブラインダーは「(どちらかというと)信用量」という答えを得ているのだ。なお、この論文では、リッターマン(Robert Litterman)&ウェイス(Laurence Weiss)の1983年論文への反駁(はんばく)も行われている。リッターマン&ウェイスは、ベクトル自己回帰モデル(特定の理論を前提としていない統計手法の一つ)の中に名目金利も変数として組み込んで検討すると、通貨量はどうやら景気変動とは無関係なようだとの結論を得ていたが、バーナンキ&ブラインダーは、「いや、通貨量は景気変動とは無関係ではない」と反論したのだ。ただし、そう言えるのは信用量との絡みを通じてだ、という限定付きで。バーナンキ&ブラインダーの1992年論文は、過去20年の間にマクロ経済学の分野で成し遂げられた最も重要な貢献の一つだ。この方面での研究成果を踏まえると、FRB議長としてのバーナンキは、信用量を計測する指標に目を凝らそうとするかもしれない。なお、金融政策と株価の関係についてのこちらの講演――バーナンキがFRBの理事時代に行った講演――も参照されたい。
3. インフレ目標:マネーサプライの伸び率を一定の値に維持せよ(マネーサプライの伸び率に目標値を設定せよ)と説くフリードマン流の提案を弁護する経済学者は、今ではもうほとんどいない。その代わりに人気を集めるようになっているのがインフレ目標だ。その先導役を務めた国というのが、ニュージーランドであり、カナダだ。両国の中央銀行がどこよりも先立って、目標とするインフレ率の値を明示的に掲げたのである――例えば、ニュージーランド準備銀行は、インフレ率の目標値を0~2%の範囲に定めている――。バーナンキとしては、 FRBが「物価の安定」にこれまで以上に重きを置く方向に持っていきたいところだろう。バーナンキは、インフレ目標というアイデアの生みの親ではないが、インフレ目標というアイデアを政治的にも許容できる提案として普及させた功績がある。インフレ目標を何が何でも厳守すべきかどうかというのが金融政策の理論の分野で目下のところホットな争点になっているが、バーナンキはここでも中心人物の一人になっている。論争におけるその主導的な役割ゆえに、彼と意見を異にする論敵からでさえも一目置かれることがあるほどだ。インフレ目標に関するバーナンキの考えが知りたければ、例えば1999年にフォーリン・アフェアーズ誌に寄稿されたこちらの記事を参照されたい。
4. 大恐慌の原因:大恐慌に関するバーナンキの代表的な論文はこちら、大恐慌に関する彼の研究を集成した一冊はこちら(邦訳『大恐慌論』)。バーナンキは、大恐慌の国際比較研究で優れた仕事を成し遂げている。大恐慌が(並の不況で収まらずに)「大」恐慌にまで発展したのは、デフレのせいであり、その余波が国境の枠を超えて世界中に波及したせいであり、(金本位制という)硬直的な為替制度のせいだったというのがバーナンキの結論だ。金本位制からいち早く離脱して変動相場制に移行したスウェーデンを襲った不況は、他の国よりもずっと軽微で済んだのだ。バーナンキが大恐慌の研究を通じて得た発見は、経済学者の間で定説として受け入れられるに至っている。大恐慌の研究がFRB議長としてのバーナンキの今後にどう影響しそうかというと、デフレに対する許容度の低さ(できるだけデフレに陥らないように積極的に手を打つ)というかたちをとって表れるかもしれない。バーナンキが大恐慌をテーマにしてFRBの理事時代に行った講演はこちら。『大恐慌論』に対するアンナ・シュワルツ(Anna Schwartz)の書評はこちら。
5. グローバル過剰貯蓄説:貿易赤字や財政赤字が巨額に上っているのに、経済が崩壊せずに済んでいるのはどうしてなのだろうか? 実質金利が長らく低水準にとどまっているのはどうしてなのだろうか? バーナンキがその答えの候補として説いたのがグローバル過剰貯蓄説だ――その簡単な解説としては、例えばこちらを参照されたい――。グローバル過剰貯蓄説の要点をかいつまんで説明すると、以下のようになる。アジアの中には貯蓄が高水準に達しているのに、国内の金融機関が脆弱で国内に投資する先がなかなか見つからない国がある。そこで、豊富な貯蓄の投資先としてアメリカが選ばれて、そのうちの一部がアジアの国に還流するかたちで投資されている。すなわち、アジアの一部の国が手持ちの貯蓄を海外の金融機関に「アウトソース」しているわけだ。世界経済で進行中のあれやこれやの出来事はその結果として説明できるかもしれないというわけだ。仮にそうだとしたら、アメリカが抱える巨額の貿易赤字も財政赤字も少なくとも一時的には持続可能かもしれないということになろう。グローバル過剰貯蓄説に関するバーナンキ本人の講演はこちら。
バーナンキの経歴はこちら。こちらの講演(pdf)では、自らの経験を踏まえるかたちで、学者から政策当局者への転身がテーマになっている。バーナンキのウィキペディアのページはこちら(日本語版はこちら)。
一人の人間としてのバーナンキはどんな人物かって? 彼とはこれまでに一度だけ会ったことがあって、ランチを一緒に食べた。「ナイスガイ」(いい奴)というのがその時に受けた印象だ。どうしてそう感じたかというと、同席している誰かが口を開くたびに、その人物の肩書がどうであろうと、その発言に耳を傾けていた――少なくとも耳を傾けているように見えた!――というのが一番の理由だ。彼は、学者仲間から好かれている一人だ。
何か付け加えることがあるようなら、コメント欄に書き込んでほしいと思う。
References
↑1 | 訳注;良いニュースが追い風になる(今すぐに投資に乗り出すことを後押しする)効果よりも、悪いニュースが向かい風になる(投資を先延ばしさせる)効果の方が大きい。 |
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