アレックス・タバロック 「生まれながらの訴訟屋?」(2004年3月20日)

フランク・サロウェイ(Frank Sulloway)の『Born to Rebel』(『生まれながらの反逆児』)によると、第一子は、生まれながらの順応主義者で現状を擁護しようとし、第二子以降は、生まれながらの反逆児で現状に歯向かおうとする傾向にあるという。それはそうと、『生まれながらの反逆児』をめぐって一悶着(ひともんちゃく)あったらしい。
画像の出典:https://www.photo-ac.com/main/detail/3184949

1996年にフランク・サロウェイ(Frank Sulloway)の『Born to Rebel』(『生まれながらの反逆児』)が刊行されると、売れに売れた。サロウェイによると、第一子は、生まれながらの順応主義者で現状を擁護しようとし、第二子以降は、生まれながらの反逆児で現状に歯向かおうとする傾向にあるという。専門家たちの当初の反応はどうだったかというと、サロウェイの説に疑いの眼差しを向けた。それまでに積み上げられていた膨大な先行研究によると、出生順が子供の性格に影響を及ぼす証拠はほとんど見つかっていなかったからである。しかしながら、サロウェイの説は、世間の共感を呼んだ。さらには、 サロウェイがあちこちの方面から集めてきた膨大なデータ――科学、政治、宗教、その他の分野における革命児の出生順のデータもそのうちの一つ――が彼の説を裏付けているように思えたので、数人の例外――かの偉大なるジュディス・ハリス(Judith Harris)とか――を除くと、疑いの目を向けていた専門家たちもサロウェイに膝を屈し、サロウェイが勝利を収めたのだった。「ミスター懐疑論者」を自任するマイケル・シャーマー(Michael Shermer)でさえも、『生まれながらの反逆児』は「歴史を対象とする科学的な研究の中でこれまでで最も厳密な労作」と述べるに至ったのだった。

ところで、学術誌である『Politics and the Life Sciences』の2000年9月号が今(2004年3月)になって発行されたが、『生まれながらの反逆児』にとって喜ばしくない論文が二編掲載されている。その論文の著者たちがあれこれ手を尽くしてみたものの、『生まれながらの反逆児』で語られている主要な結果を再現できなかったというのだ。サロウェイが使ったと明言しているのと同じデータを使って、サロウェイが『生まれながらの反逆児』で語っている結果を再現できるかどうかを試みたが、サロウェイが語っているのに近い結果が得られなかったというのだ。ところで、今は2004年3月だ。2000年9月号が今頃になってやっと発行されたのは、一体全体どういうわけなんだろう? それにはそれなりの事情があるのだ。

『生まれながらの反逆児』に批判を加えているフレデリック・タウンセンド(Frederic Townsend)の論文が四名のレフェリーによる査読を経て『Politics and the Life Sciences』に掲載されることが決まると、『Politics and the Life Sciences』は、サロウェイに反論の機会を与えるために、サロウェイも含めて何人かにタウンセンド論文へのコメントを求めてそれを同じ号に掲載することにしたという(過去にも同じような形式をとったことがあるらしい)。サロウェイにはたっぷりと紙数(ページ)を割り当てることにし、タウンセンド論文にコメントを寄せる気があるかどうかをサロウェイに尋ねたという。「わかりました。寄せます」というのがサロウェイの当初の反応だったが、間もなくして『Politics and the Life Sciences』の編集者であるゲーリー・ジョンソン(Gary Johnson)宛てにサロウェイから手紙が届いたという。その内容はというと、タウンセンド論文が掲載されるようなら、『Politics and the Life Sciences』とその編集者を名誉毀損で訴えるつもりだというのだ。その手紙には、次のように書かれていたという。タウンセンド論文が徹底的に改訂されたとしても、編集者は「タウンセンド氏の論文の冒頭に以下のような編集者名義の注意文を掲げるのが適当だ――掲げる法的な義務がある――と思われます:

誤りが含まれている――あるいは、その可能性がある――ことが前もって知られているデータを使った論文を掲載するのは、本誌の通例の方針に反します。そのデータが他の研究者を攻撃するために使われているとなれば、なおさらそうです。しかしながら、編集者である私の責任で、・・・(略)・・・間違ったデータを使っている論文をそのままのかたちで掲載することに決めました。しかしながら、読者諸氏におきましては、 タウンセンド氏が導き出している結論にしても、その結論を支えている実証的な主張のどれにしても、それなりの確からしさを備えた主張であるかのように受け取らないようにご注意願いたいと思います。タウンセンド氏は、事実認識や解釈の面で露骨な間違いを他にも犯しています。その間違いは、論文の信憑性を大きく損ねるものであり、そのことは編集者である私も承知しているところです。

言うまでもないが、編集者であるジョンソンは、サロウェイの要求を撥(は)ね付けた。すると、サロウェイは、ジョンソンが勤めている大学の学長宛てに次のような手紙を――大学の評議員会議長と法律顧問には手紙のコピーを――書き送ったという。

・・・(略)・・・私は、貴学の職員でありますゲーリー・ジョンソン氏を不法行為により告訴するつもりです。・・・(略)・・・告訴理由は、以下の通りです(以下ですべての理由が網羅されているとは限りません):名誉棄損/中傷、 誤った印象の拡散によるプライバシーの侵害、虚偽、約束的禁反言、信認義務違反。・・・(略)・・・私は、ゲーリー・ジョンソン氏を科学における不正行為でも告発するつもりだと警告しておきます。アメリカ政治学会(APSA)、人間行動進化学会(HBES)、科学における詐欺に関心を持つ議員、ジョンソン氏や『Politics and the Life Sciences』が関わりを持つあらゆる学術的な組織に対して、ゲーリー・ジョンソン氏を科学における不正行為で告発するつもりなのです。

思い出してほしいが、ジョンソンはあくまでも『Politics and the Life Sciences』の編集者でしかないのだ。『生まれながらの反逆児』に批判を加えている張本人じゃないのだ。当然というべきか、サロウェイの脅しにより、2000年9月号の発行は遅れざるを得なかった。別のレフェリーに査読を頼んだり、論文が改訂されたりしたからである。しかしながら、まだ続きがある。『Politics and the Life Sciences』の出版社が2000年9月号の発行に難色を示したのである。サロウェイが、関係者一同――出版社、印刷会社、流通業者、雑誌本体、(『Politics and the Life Sciences』の発行母体である)政治&人生科学学会――を訴えないと確約しない限りは、発行するわけにはいかないという話になったのである。サロウェイはどう応じたかというと、もちろん確約しなかった。 そこで、勇敢なジョンソンと発行母体(である政治&人生科学学会)が全責任を負う覚悟で2000年9月号の発行に踏み切ったのだった。かくして、サロウェイの反論も掲載されている2000年9月号が5年近くの遅れを経て今になって発行される運びとなったのだ。

これまでの話は、ジョンソンのショッキングな編集後記からごく一部を拾い出してきたものにすぎない。それにしても、この騒動との絡みでおそらく何よりも憂慮(ゆうりょ)すべきなのは、ロシアンルーレットなんて呼ばれることもある我が国の法制度のあまりの気紛れさ/恣意性だ。サロウェイの法律を悪用した脅しが危うく効いてしまうところだったのだ。ジョンソンは、編集後記の中で次のように述べている。

サロウェイ氏の法的手段をちらつかせた脅しは、この編集後記で説明してきた騒動に――直接的ないしは間接的に――関わった人たちの一部に恐怖を味わわせることになった。今回の騒動を踏まえて私が個人的に思うことは、科学や学術研究の生命線である「開かれた討論」と「批判も交えた意見交換」の命脈を保つためにも、現代科学は社会環境や法環境の変容に適応していかねばならないということだ。学者にしても、科学者にしても、出版社にしても、法律によって課せられる破滅的なコストの脅威が頭から離れないようだと、自分たちが最優先してやるべきことに落ち着いて集中できないのだ。


〔原文:“Born to Sue?”(Marginal Revolution, March 20, 2004)〕

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