On import substitution, Fukuyama, eternal growth and more
July 30, 2022
Posted by Branko Milanovic
本エントリは、アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所のジェームズ・ペソコーキスとの対談記事である。
1 ロシアは、広大な天然資源、十分な教育を受けた国民、そして深い科学的基盤を有する国ですが、一人当たりで見るとその豊かさは世界で67番目にあたります。これは一体何故なのでしょうか。
ロシアは、私が「循環型経済史」と呼んでいる問題を抱えています。国家が豊かになるためには、混乱ではなく国内外の平和が必要になります。アダム・スミスの「平和、簡素な税制、寛容な司法執行」が低所得国から高所得国に移行するための十分条件である、という有名な言葉を思い起こす人もいるでしょう。この1世紀の間、ロシアでこの条件が満たされることはありませんでした。1861年に農奴制が(米国での奴隷制廃止に先立って)廃止され、それに続く高度経済成長期は、第一次世界大戦とその後のボルシェビキ革命、ロシア内戦により終わりを迎えました。1930年代のスターリン主義的工業化による経済成長の加速は、第二次世界大戦によって堰き止められました。1950-60年代における経済成長の立ち直りは、ブレジネフ政権下で鈍化しましたが、少なくともその時点ではロシアは衰退していませんでした。本格的な衰退は、ソ連の崩壊と資本主義への移行によりもたらされ、この時ロシアのGDPは40%以上減少しました(これは世界恐慌時のアメリカにおけるGDPの減少幅を上回ります)。この「成長、戦争、復興」のダイナミズムの最新話が、2012年ごろまでのプーチン政権下におけるロシアの比較的良好なパフォーマンスの、〔ウクライナでの〕戦争による終焉です。
ロシアが技術的に発展しないことには、他にもっと根本的な理由があるかもしれませんが、私が強調したいのは、非常に単純かつ見落とされがちな事実です。国が発展し豊かになるためには、長期的な〔政治的・軍事的・経済的〕安定性と、一定の経済成長が必要である、ということです。(ロシアの大統領を除く)理性的な人々からすれば、これは、ロシアが先進国に到達するには少なくとも半世紀続く平和と安定と、寛容な司法執行が必要だったという単なる事実を意味していますが、ついにロシアには一度として起こらなかったのです。
2 欧米の対ロシア制裁はいつまで続き、ロシアの政治経済に長期的にはどのような影響を与えるのでしょうか。
ロシアのウクライナ侵攻がもたらした問題は、政治的に解決することが極めて困難であることから、この制裁は数十年続くものと私は考えています。今回の問題は中東問題(イスラエル・パレスチナ)、キプロス問題(北キプロス)、インド・パキスタン問題(カシミール)と同じか、それ以上に難しい問題なのです。これらの問題のいずれも、過去50〜70年の間に解決には至っていません。ですので、ロシア・ウクライナ問題も同様に解決に至ることはないでしょう。その結果、欧米の制裁、特にアメリカの制裁が実行され続けるでしょう。
この制裁によって、ロシア経済は壊滅的な影響を被るでしょう。影響は中長期的なものとなります。たくさんの人が毎日あるいは毎週の金利や為替の変動に注目していますが、そうしたことは無意味なのです。
ロシアは、輸入代替を行うために通常必要とされる外国製機械の輸入が不可能という特殊な状況下で輸入代替を進める必要があります。したがって、ロシアは私が「退行的輸入代替」と名付けた政策へと推し進める必要に迫られるでしょう。すなわち、コンバイン型収穫機や自動車、飛行機に始まり、チップや(歯科手術用)ノボカインに至る現代の欧米製品に対する時代遅れの国内代替品への置き換えです。つまり、好むと好まざるとにかかわらず、技術の発展を意図的に退行させたり、あらゆる製品を自力で再開発しようとしたりする政策となるでしょう。歴史上このような政策をとることを強いられた指導者は一人としていません。
その点において、〔現在ロシアが迫られている〕「退行的」輸入代替は、技術的な面で欧米の技術、つまりは当時の先進技術に基づいていたスターリンの輸入代替とは根本的に異なるものなのです。
ロシアが(技術的に)退行しなくてもいいように、中国が何らかの形でロシアを援助するという考えは、部分的には正しいのです。しかし、中国は米国からのセカンダリーサンクション [1]訳注:経済制裁の対象国と繋がりの深い第三国の経済主体などへの制裁。 を喰らわぬよう細心の注意を払うでしょう。また中国もあらゆる技術分野において欧米に取って代わることはできません。中国自身、多くの分野で西側との協力関係に依存しているのですから。
ロシアの民間航空輸送は、5-6年後には遠方の地域にサービスを提供できなくなるでしょう。そのため、例えばモスクワからウラジオストクまで直接の飛行ができなくなるかもしれません。多くの点で、ロシアの生活様式は技術的に1980年代の水準に後退することでしょう。確かに1980年代でも人々は生活を営み、その多くは豊かに暮らしていたことは事実です。しかし、1980年代に1980年代の技術水準で生活することと、現代において1980年代の技術水準で暮らすことは全く別の話なのです。
3 ロシアをオリガルヒ [2]訳注:ソ連崩壊後、ロシアの資本主義移行の過程で形成された富裕層。 による寡頭政国家とみなすことは今でも適切なのでしょうか。あるいは、オリガルヒは国家の後援者というだけで、その影響力は皆無であることが〔今回のウクライナ侵攻により〕明らかになったのでしょうか。
これは非常に良い質問です。ウクライナ侵攻が始まる前、西側諸国が制裁の脅威をちらつかせた時です、西側諸国の想定では、ロシアのオリガルヒは国政に十分な影響力を持っており、〔制裁によって〕資産の全て(あるいはそのほとんど)を失う恐怖から、プーチンの進行を思い止まらせることに尽力するようになるだろう、というものでした。そしてこれは実現しませんでした(つまり、想定は裏切られることとなりました)。オリガルヒに制裁をちらつかせるというこのアイデア自体の根拠となった想定がそもそも誤りだったのです。この〔オリガルヒが政治低影響力を行使しなかった、またはできなかったという〕事実は、後述する二つの理由から念頭に置いておく必要があります。
第一に、現下の状況でオリガルヒを処罰の対象とする理由が見当たりません。というのも、オリガルヒにはもはや十分な権力がないのですから、現在の欧米が彼らに対して「今我々は君たちに権力がないことを理解しており、それ故に制裁を加える」と言っている現状は、実におかしな状況ではないでしょうか。このことについてはこちらで書いています。
第二の理由は、エリツィン政権からプーチン政権までの間で、ロシアのオリガルヒの在り方が根本的に変わっていったことです。これについては2019年にこちらの記事で書いています。端的に言えば、エリツィン政権下ではオリガルヒこそが支配権を握っていたのです。例えば有名な1996年冬のダボス会議では、ロシアの億万長者たちはジョージ・ソロス [3]訳注:著名な投資家。慈善活動や政治運動を積極的に行うことでも有名。 とともに、エリツィンの大統領選挙キャンペーンに資金提供し、米国のアドバイザーやコンサルタントを提供するなど、エリツィンが1996年6月の大統領選で再選を果たせるよう全力で援助を行うことを決定しました。そしてこの目論見は見事に成功し、悪名高き「株式貸付取引」(loan-for-shares deal) [4]訳注:株式貸付制度を通じた国有企業の民営化 を通じて莫大な利益が舞い込むこととなったのです。
プーチン政権下で事態は徐々に、しかし確実に変わっていきました。確かに彼はベレゾフスキーの傀儡であり、ベレゾフスキーは自身こそが人形師、そしてプーチンが彼の操り人形であると信じていました。しかし実際には、ベレゾフスキーはイングランドの旧宅にて(おそらくですが)首を吊ることになったのです。プーチン政権下で、トップのオリガルヒ(必ずしも全員ではありません)は、国益(これはプーチンと、ロシア国内の有力省庁が定義します)に相反する行動を取らない場合においてのみ資産を保持することができ、また国家の言いなりになれば自身の資産を増やすことができました。超富裕層〔オリガルヒ〕と政治的支配者の力関係は逆転してしまったのです。〔ウクライナ侵攻が始まった〕2022年2月24日まで、ワシントンやロンドンの人間はこの変化には気づいていなかった、あるいは気づいていないふりをしていたのでしょう。
4 ミラノヴィッチさんは、資本主義が「(この世界における)ただひとつの社会経済システム」だとおっしゃっていますね。長期的に、この状況が変化する可能性はありますか?
私の議論を理解するため、またあなたの質問に答えるために、私が『資本主義だけ残った』で用いている資本主義の定義に立ち戻りましょう。私の用いる定義は特に独創的なものではなく、カール・マルクスやマックス・ウェーバーによって既に用いられていたものです。その定義はシンプル且つ強力で、「生産様式」を生産の組織化の方法に位置づけたものです。これは、生産様式を分配の手順に位置づける、アマチュア的な資本主義や社会主義の定義とは異なっています。
この定義では、ある国を資本主義国家と呼ぶためには、まずその国の生産の大部分が、その資産が私的に所有されている企業によって行われていなければなりません。次に、資産所有者は直接・間接に企業を管理し、企業は雇った労働者を使って財やサービスを生み出さなければなりません。労働者が雇用されているという事実が重要になります。つまり労働者は起業家的な役割を担わず、自らがすべきことをただ指示されるだけなのです。生産システムは階層(ヒエラルキー)的で、民主的ではないのです。最後に、経済的な意思決定が分権化していることが挙げられます。
では、この資本主義の定義の3つの部分からいずれかを変えることで、資本主義からの脱却を目指すようなまともな改革案を私たちは持っているのでしょうか。 私は、そうしたものはないと考えています。誤解が生じないよう、こうした改革案が何を意味するのかを考えてみましょう。つまり、資本主義を変化させられる実現可能な条件をリストアップしてみましょう。例えば、資産の国有化はどうでしょう。これは明らかに資本主義ではありません。次に、生産の大部分を、小規模な生産者(労働者協同組合)が担うのはどうでしょう。この場合、雇われ労働者は存在しないことになります。つまり、労働者である(と同時に資本家でもある)人々は、起業家的役割を担うことになります。三つ目に、経済的なコーディネーションが中央集権的に、例えば、主要な生産活動が、明確な計画や、厳格な政府規制を通して行われる場合はどうでしょう。
既に述べた通り、私はこれらの3つの要素のいずれも、今日において大きく支持されているとは思いません。しかしながら、いくつかの点で変化が起こるという想像はできます。例えば将来的に、今日のスタートアップのような企業が今後増えてくるかもしれません。アイデアを持った人が投資資金を募るのです。この場合、資本家はもはや直接的にも間接的にも「意思決定者」ではなくなり、資金の貸し手や、投資家にすぎなくなります。資本は依然として私有され、それにより資本家はリターンを得られますが、資本を所有しているという事実が資本家に生産を管理する権利を与えることはなくなります。生産を管理する役割は労働者、実際にはアイデアを持った人々に帰属します。お金の所有者が、管理の役割を持たず、単なるお金の供給者となり、代わって管理の役割を労働者が担うことになるシステムは、私の定義する意味での資本主義ではもはやありません。私が想像できる変化の1つはこのようなものです。
もう1つの想像できる変化は、私が『資本主義だけ残った』の中で指摘した、アメリカやその他の先進国にみられるある経済プロセスについてです。私はこれを「ホモプルーティア」(homoploutia)と呼んでいます。これは、アメリカの所得分配のトップ10%に位置する人々において、資本所得の分配でトップ10%に位置すると同時に、労働所得における分配でもトップ10%に位置する人々がますます増えている現象のことを意味します。つまり、富裕層はもはや単なるお金持ちではなく、最も裕福な労働者であると同時に最も裕福な資本家でもあります。これは従来の資本主義と大きく異なった「新しい」資本主義です。古典的な資本主義では、裕福な資本家は裕福な労働者ではありませんでした。資本家はわざわざ働くことなく、企業を経営します。しかし今や、教育程度が非常に高く、高い労働所得を稼ぐことで労働者のトップ10%に属しながら、その所得から貯蓄した分を投資し、高い資本所得を稼いで資本家のトップ10%にもなるという管理職の男女が存在します。これは、先に述べたように、過去の資本主義と比べた際の大きな変化です。このことは、ポジティブな特徴もネガティブな特徴も持っています。しかし、それがどのようなものであるかを探求するのは、『資本主義だけ残った』の読者への宿題にしたいと思います。
5 フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』は、どのような点で正しく、どのような点で間違っていたのでしょう?
私は、フクヤマの『政治の起源』を深く敬愛しています。『政治の起源』は個人的には第一級の著作であり、私も書評を2つほど書きました。(その1つがこちらです)。
しかしフクヤマは1989年を誤解していました。このことは今にしてみると非常にハッキリと理解できます。フクヤマの論考には二つの誤りがありました。一つ目は、フクヤマや当時の知識人が、本質的には民族主義的な反乱であった民族独立と自決革命を、民主主義の革命であると宣言したことです。これは初めから私を悩ませました。もしこれらの革命が、民主主義・リベラリズム・多民族主義の革命であるのなら、なぜ3つ全ての共産主義連邦は、単に民主化することなく、解体されたのでしょう? 共産主義の民族連邦は全て崩壊した一方で、なぜスペインは民主化され、民主的かつ多民族を基盤にした連邦が維持されているのでしょう? [5] … Continue reading そこには明らかに民主化以上の要素が存在しており、それこそが民族自決だったのです。これは、東欧における革命の重要な特徴です。民主主義は、〔民族主義的な革命に〕偶発的に付随したものだったのです。
〔フクヤマらの唱える〕1989年のイデオロギー全体は、この問題を避けています。〔しかし〕これは根本的な問題です。なぜなら、この問題に答えることは、共産圏における革命の本質を浮き彫りにするだけでなく、1989年以降私たちが目撃してきた多くの戦争(現在のウクライナでの戦争も含みます)の動機が何であるのかという問いの答えにもなっているからです。いわゆる移行期 [6]訳注:共産主義から資本主義への移行の過渡期。 の国において、12の戦争が起こりました。その全ては、旧共産主義連邦内での戦争であり、そのうち1つを除いて戦争は全て国境線を巡るものでした(国境線とは関係なく生じた戦争は、タジキスタンでの内戦ただひとつでした)。それゆえ、共産主義国の革命を動機づけたものの正体は、誰にとっても明らかなはずです。教条主義的な思想家の多くにとってはそうではないでしょうが。
もっとも、フクヤマの1989年の説明がなんらかの形で正しかったとしても、彼がヘーゲルに倣って指摘した大局的な論点(つまり、人間社会における制度の進化の終着点は、政治領域においては民主主義であり、経済領域においては資本主義であるという主張)は短絡的であり、この先実現する可能性はほとんどありません。フクヤマ自身が『政治の起源』で示しているように、人間の経験(歴史、哲学、経済的背景、制度、「文化」等)は、あまりに多様なので、そうした多様なニーズや信念の全てに単一のシステムが適合するだろうと考えることは、ユートピア主義に他なりません。フクヤマのユートピア思想が危険なのは、全てのユートピア思想と同じように、そのユートピアを実現しようとする欲望が必然的に対立を生じさせてしまうことにあります。ロシア、中国、エジプト、南アフリカ、ナイジェリア、ブラジル、イラン、アルジェリア、ミャンマーやサウジアラビア、そしてこの広い世界の全ての人々が、なんらかの単一のシステム(つまり西洋の政治システム)を採用することでもっと幸せになれるだろうと信じるなら、論理的帰結として、私たちはそうした国々を説得しなければなりません。そして、そうした国々が「間違ったやり方」に断固として固執するなら、私たちは戦争を行わなければならなくなります。それゆえ、フクシマのユートピア思想は、終わりなき対立の連鎖をもたらすのです。
6 なぜ経済成長は重要なのでしょうか? 私たちは既に〔経済成長がもはや不要なほど〕十分豊かなレベルに達しており、既存の資源を分配する、というのではダメなのでしょうか?
アダム・スミスが述べたように、人間の「向上」への欲望には際限がないので、私たちの豊かさが十分なレベルに達するということは決してありません。もし人間のあらゆるものに対する欲望が限られたものであれば、定常社会〔の到来〕も想像可能です。しかし、私たちのニーズは生理的なものではなく、社会的に決定されるものです。発展は常に新たなニーズを生み出します。私たちは、携帯電話が登場するまで携帯電話へのニーズを持っていませんでした。しかし今や携帯電話へのニーズを持っています。週末に火星へ飛ぶニーズを私たちは今のところ持っていません(イーロンマスクはその限りではないかもしれませんが)。火星へ飛ぶなどという「ニーズ」を持つことは、現時点では幾分奇妙に思えます。しかし数世代経てば、それほど奇妙でなくなるでしょう。メキシコやイタリアにバケーションに行きたいという「ニーズ」と同じようなものになるはずです。このように、経済成長とニーズは、言うなれば弁証法的な関係にあるのです。更なる経済成長が、更なるニーズを生み出し、そのニーズを満たすにはまた更なる経済成長が必要になります。この連鎖に終わりはありません。
〔訳注:本サイトの『資本主義だけ残った』に関するエントリは以下となっている。
ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』:フランス語版出版に際して、マリアンヌ紙によるインタビュー」(2020年9月11日)
ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』:ブルガリア語版出版記念インタビュー」(2020年12月26日)
ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』ギリシャ語版出版記念インタビュー」(2021年1月16日)
ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』の著者が明かす四つの重要な裏テーマ」(2019年9月24日)
ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』世界の芸術家の役割」(2021年2月8日)
ブランコ・ミラノヴィッチ「『資本主義だけ残った』 いくつかのマルクス主義的論点:ロマリック・ゴダンの書評への返答」(2020年10月4日)〕
〔訳注:本記事は、前半をaka_mikuriya、後半をkuchinashi74が翻訳した。〕