ラルス・クリステンセン 「大恐慌時に中国が銀本位制ではなく金本位制を採用していたら」(2011年10月29日)/「大恐慌時にスイスが金本位制からもっと早いタイミングで離脱していたら」(2013年2月25日)

●Lars Christensen, ““Chinese Silver Standard Economy and the 1929 Great Depression””(The Market Monetarist, October 29, 2011)/“Working paper of the day – Straumann et al on Switzerland, the Great Depression and the gold standard”(The Market Monetarist, February 25, 2013)


1929年に大恐慌(Great Depression)が勃発した時に、主要国の中で金本位制を採用していなかった国が2つだけある。中国とスペインだ。中国にしても、スペインにしても、金本位制を採用していなかったおかげで、大恐慌に伴う深刻な負の影響を免れた。為替制度(為替レートレジーム)の選択を「誤る」と災厄が引き起こされる可能性を示す格好の実例であるだけでなく、「(個人あるいは国家の命運を左右する上で)運的な要素(偶然)が果たす重要性を過小評価するなかれ」というミルトン・フリードマンの格言 [1]訳注;この格言は、ミルトン・フリードマン(著)『Money Mischief:Episodes in Monetary … Continue readingを思い起こさせる例の一つでもあると言えよう。

ところで、大恐慌期の中国経済をテーマにした興味深い論文を見つけたばかりだ。賴建誠(Cheng-chung Lai)&高志祥(Joshua Jr-shiang Gau)の二人の共著論文である “Chinese Silver Standard Economy and the 1929 Great Depression(pdf)”(「銀本位制下の中国経済と1929年の大恐慌」)がそれだ [2]訳注;ちなみに、タイラー・コーエンもこの論文を話題にしており、関連する研究としてローレン・ブラント(Loren … Continue reading。論文のアブストラクト(要旨)を以下に引用しておこう [3]訳注;論文の24ページから、貿易収支(Figure 2)および一般物価水準(卸売物価指数;Figure … Continue reading

1929年から1935年までの間に、金本位制を採用していた国々は大恐慌に襲われた一方で、中国は銀本位制を採用していたおかげで無事でいられたと主張されることが度々(たびたび)ある。計量経済学的な検証と反実仮想シミュレーションを試みて、その主張の妥当性を確かめるのが本稿の目的である。(1929年から1935年までの)大恐慌期に中国が銀本位制ではなく金本位制(あるいは、金為替本位制)を採用していたとしたら、貿易収支(輸出入の差額)は現実の値よりも改善していた可能性がある一方で、一般物価水準は大幅に下落していた(現実の値を大きく下回る水準にまで落ち込んでいた)可能性がある。利用可能な統計データに限りがあるせいで、重要な二つの変数(GDPおよび鉱工業生産指数)は分析対象から除外せざるを得なかったが、「銀本位制は、中国を大恐慌から救った救命艇の役割を果たした」という度々(たびたび)耳にする主張は擁護可能というのが本稿の結論である。

大恐慌時のスペインの金融政策をテーマにしている論文をご存知のようなら、是非とも教えていただきたいと思う(lacsen@gmail.com宛てに情報を寄せてもらえたら幸いだ)。

(追記)注文していたダグラス・アーウィン(Douglas Irwin)の最新作――『Trade Policy Disaster:Lessons From the 1930s』――が今日届いた。読むのが楽しみでならない。読み終えたら、感想を共有したいところだ。まだ目を通していないが、どんな結論かはもう既に知っていたりする。金本位制から離脱するのが遅かった国ほど、保護主義に傾斜しがちだったというのがそれだ [4]訳注;この点については、本サイトで訳出されている次の記事も参照されたい。 … Continue reading。ミルトン・フリードマンの見解とかみ合う結論でもある(詳しくはこちらこちらを参照されたい)。

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数週間前になるが、優れた論文をたまたま見つけた。ピーター・ローゼンクランツ(Peter Rosenkranz)&トビアス・シュトラウマン(Tobias Straumann)&ウールリッチ・ウォイテク(Ulrich Woitek)の三人の共著論文である “A Small Open Economy in the Great Depression: the Case of Switzerland”(「大恐慌下の小国開放経済:スイス経済のケース」)がそれだ。論文のアブストラクト(要旨)を引用しておこう。

1930年代の大恐慌期のスイスで景気回復の足取りが鈍かったのはなぜなのだろうか? 1926年から1938年までの期間を対象にしたニューケインジアン型小国開放経済モデルを推計して、その理由を探るのが本稿の目的である。本稿で得られた結果によると、1933年に割高な為替レートで金ブロックに参加したのが(景気回復の足取りが鈍くて、景気後退がいつになく長引いた)主因だった可能性がある。1931年から1932年にかけて世界的に景気が上向き始め、それに伴って海外からの需要が盛り上がったが、(1933年に金ブロックに参加したせいで生じた)不利な交易条件の悪影響を相殺するには至らなかったのである。スイスが金本位制からもっと早く離脱していたとしたら、どうなっていたろうか? 本稿で試みた「反実仮想」シミュレーションの結果によると、スイスが金本位制から離脱するタイミングがもっと早かったとしたら(例えば、イギリスと同じタイミングで1931年に金本位制から離脱していたとしたら)、景気がはるかに急速な勢いで回復して、国内の総生産量が大恐慌入りする前の水準にまで即座に戻っていた可能性が示唆されている。

References

References
1 訳注;この格言は、ミルトン・フリードマン(著)『Money Mischief:Episodes in Monetary History』(邦訳『貨幣の悪戯』)の中で出てくる言葉。具体的には、チリとイスラエルによるドルペッグ制の実験との絡みで発せられた言葉。チリは1979年に、イスラエルは1985年に、それぞれドルペッグ制(自国通貨とドルとの交換比率を固定する為替制度)を採用したが、その結果としてチリは痛い目に遭ったが、イスラエルは上々の成果をあげた。「同じ選択」が「正反対の結果」をもたらすことになったわけだが、フリードマンはその理由を「外的な環境」の違い(ドル相場の変動、主要な輸出入産品の価格動向)に求めている。当事者の力ではどうにもならない「外的な環境」の違いによって、「同じ選択」が「正反対の結果」を生んだという経験を要約して発せられたのが、「運的な要素(偶然)が果たす重要性を過小評価するなかれ」という格言というわけである。
2 訳注;ちなみに、タイラー・コーエンもこの論文を話題にしており、関連する研究としてローレン・ブラント(Loren Brandt)&トーマス・サージェント(Thomas Sargent)の共著論文――“Interpreting new evidence about China and U.S. silver purchases”(pdf)――と、ミルトン・フリードマンの論文――“Franklin D. Roosevelt, Silver, and China”――に言及している。フリードマンの論文は、訳注1でも触れた『貨幣の悪戯』に第7章として収録されている。『貨幣の悪戯』のはしがきで概要が述べられているので、引用しておこう。「第7章では別のエピソードを取り上げよう。1930年代にアメリカが実施した銀購入計画の波紋である。西部選出の上院議員たちを懐柔しようとフランクリン・ディラノ・ルーズベルト大統領はある決断を下した。まさかその決断〔銀購入計画;引用者注〕がアメリカから遠く離れた中国共産党の勝利に目に見えるような形で貢献することになろうとは誰が聞いても突飛な話としか思わないだろう。だが、この出来事が引き起こした一連の事象は明白であり、紛れもない事実である」(邦訳、pp. 9)。ルーズベルト大統領による銀購入計画は、「小事と思われた出来事の波紋がはるか遠くまで拡がり、まったく思いも寄らない影響を歴史に及ぼしたという実話」(邦訳、pp. 7)であり、「一見、通貨の動向の些細な変化と思われたことが、実は経済全体に思いも寄らない影響を広範に与えた」(邦訳、pp. 6)例の一つだという。
3 訳注;論文の24ページから、貿易収支(Figure 2)および一般物価水準(卸売物価指数;Figure 3)の推移を跡付けた図も転載しておく。actual=現実の値(実績値)/simulated=金本位制を採用していたと仮定した場合の予測値(反実仮想のケース)。
4 訳注;この点については、本サイトで訳出されている次の記事も参照されたい。 ●バリー・アイケングリーン&ダグラス・アーウィン 「保護主義の誘惑:大恐慌の教訓」(2009年3月17日)
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