バリー・アイケングリーン&ダグラス・アーウィン 「保護主義の誘惑:大恐慌の教訓」(2009年3月17日)

大恐慌(Great Depression)下での保護主義の蔓延について、どんな知見が得られているのだろう? その知見は、経済危機の最中にある現状に対してどんな示唆を投げかけているのだろう? 各国の政策当局者たちは、協調して財政・金融政策をすり合わせるべきである。そのすり合わせがうまくいかないようなら、通商(貿易)政策の面で1930年代のように最悪の結果がもたらされかねない。

●Barry Eichengreen and Douglas Irwin, “The protectionist temptation: Lessons from the Great Depression for today”(VOX, March 17, 2009)


1930年代の大恐慌期には、保護主義が急速に台頭した。政策当局者が細心の注意を払って警戒しなければ、今日においてもまた、1930年代のように、保護主義があちこちで蔓延することになってしまうのではないかと多くの人々が恐れている。1930年代における保護主義の蔓延について、一体どんなことがわかっているのだろうか? 保護主義が台頭した大恐慌期の経験は、経済危機の最中にある現状に対してどのような示唆を投げかけているのだろうか?

大恐慌をめぐっては、その多くの側面について今でも議論が続けられている最中である。しかしながら、全面的といっても構わないほどの合意が得られている事項もある。大恐慌当時に採用された貿易制限措置は破壊的で逆効果であり、経済の低迷が続いている現状において同じことを繰り返す(保護主義的な手段に訴える)ような愚は、いかなるコストを払ってでも避けるべきだというのがそれである。大恐慌期に貿易制限措置が講じられたのは、景気を下支えするための他の手段が欠けていたからである。海外製品に対する支出(輸入需要)を自国製品に対する支出へと振り向けるための苦肉の策として、関税の引き上げや非関税障壁の導入に手が付けられたのである。しかしながら、あちこちの政府がこぞって同じような行動に乗り出したため、世界的な関税引き上げ競争が勃発することになった。その結果として、互いの政策が相殺し合って、意図した目的――海外製品に対する支出を自国製品に対する支出へと振り向ける――を達成できずに、貿易の崩壊という結末に終わったのである。大半の国では1933年以降に景気が回復したにもかかわらず、世界全体の貿易量は30年代の終わりになっても1929年のピークに及ばなかったのである(Figure 1 を参照)。自由に貿易できていれば得られたはずの便益が失われてしまっただけではない。近隣窮乏化的な通商(貿易)政策の応酬がネックになって、経済の停滞から脱するための他の手段について各国の間で合意(政策協調)を取り付けるのがますます困難になってしまったのである。

Figure 1. 世界全体の貿易量と生産量(1926年-1938年)

大恐慌についての同時代ならびに現代の説明に目を向けると、1930年代にはあらゆる国が貿易障壁の引き上げに乗り出していて、そのせいで通商政策の世界は完全なる混沌状態に陥っていたかのような印象を受けるかもしれない。しかしながら、そのような印象は正確じゃない(Eichengreen&Irwin, 2009)。貿易制限措置があちこちで導入されたのは確かだが、貿易制限措置に訴えた程度には国ごとにかなり大きな違いが見られたのである。当時の国別の関税率のデータを図示した Figure 2 を確認してもらえばわかるように、30年代に入って関税率を大きく引き上げた国もあれば、そうではない国もある。どの国もがデンマーク、スウェーデン、日本のように振る舞っていたとしたら、1930年代の歴史はまったく違っていただろう。ここで、重要な問いが持ち上がる。他の国々がデンマーク、スウェーデン、日本のように振る舞わなかったのはなぜなのだろうか?

Figure 2. 平均的な輸入関税率(1928年-1938年:単位は%)

その答えは、当時それぞれの国が採用していた為替レートレジームの違い――および、為替レートレジームの違いに起因する政策の違い――にある。金本位制に長らくとどまって平価(金と自国通貨との交換比率)を維持し続けた国ほど、貿易制限措置に訴える傾向が強かったのである。(金本位制から早々に離脱した)他の国が為替レートの切り下げに乗り出すと、金本位制に長らくとどまった国は、価格競争力の面で不利な立場に置かれた。そこで、国際収支(balance of payments)の悪化を食いとどめて金の流出を防ぐために、貿易制限措置に訴えたのである。それに加えて、金本位制に長らくとどまった国は、景気の悪化に対処するための他の手段が欠けていたこともあって、失業率のさらなる上昇を抑えるために自国製品向けに支出を振り向けようとして、関税やそれに類する手段に手を出したのである。

それとは対照的に、金本位制から離脱して為替レートが減価するのを放っておいた国では、国際収支が改善(国際収支の赤字が縮小ないしは黒字が増加)し、金が流入した。それに加えて、金本位制からの離脱に伴って、失業問題に立ち向かうための新たな手段を手に入れたことも同様に重要である。すなわち、自国通貨と金(gold)との結び付きが断ち切られたおかげで、金融政策が自由に使えるようになったのである。平価を維持する必要がなくなり、金利を自由に引き下げることができるようになったのだ。金本位制のルールに縛られる必要がなくなって、中央銀行が最後の貸し手(lenders of last resort)として振る舞えるようになったのだ。大恐慌に立ち向かうための(貿易制限措置以外の)他の手段が手に入ったのだ。Figure 3 にあるように、金融政策が自由に使えるようになった国々では、鉱工業生産が順調な伸びを記録した。景気が順調に回復したので、貿易制限措置に頼らずに済んだのだ。

Figure 3. 国別グループごとの鉱工業生産の変化

以下の Figure 4 に示されているように、金本位制から離脱して為替レートの減価を許容した国ほど、貿易制限措置に訴える程度(あるいは、その可能性)が小さい――あるいは、金本位制に長らくとどまって平価を維持した国ほど、貿易制限措置に訴えがちな――傾向にある。ここではその詳細は取り上げないが、関税率だけでなく、為替管理や輸入割当といった非関税障壁に関しても同じことが言えるのだ。

Figure 4. 為替レートの変化と、輸入関税率の変化(1929年-1935年)

これまでに紹介してきた発見は、2009年現在のいわゆる大不況(Great Recession)への対処を任されている政策当局者に対しても重要な示唆を投げかけている。「保護主義を避けるために、景気を刺激せよ」というのが大恐慌が教訓として投げかけているメッセージということになろう。しかしながら、景気をどうやって刺激したらいいのだろうか? 1930年代においては、景気刺激策と言えば、金融刺激策(金融緩和)を意味していた。財政政策を使って景気を刺激するという選択肢についてはまだよく理解されていなかったし、広く受け入れられてもいなかった。Eichengreen&Sachs(1985)で詳しく論じられているように、当時の状況においては、金融刺激策は、当該国(金融緩和に乗り出した国)にプラスの影響を及ぼした(景気を浮揚させる効果を持った)一方で、貿易相手国たる隣国にマイナスの影響を及ぼした(景気を冷え込ませる効果を持った)。金利を引き下げる「チープマネー」政策(金融緩和)は、貿易相手国たる隣国に対して相反する効果を持った。金融緩和のおかげで当該国の景気が上向くと、それに伴って当該国で輸入需要(海外製品に対する需要)も増えるので、隣国の景気に対してプラスに働く [1] 訳注;当該国向けの輸出が増えて、景気が刺激されることになる。。しかしながら、金利の引き下げに伴って当該国の通貨が減価すると、隣国の景気に対してマイナスに働く [2] … Continue reading。当該国だけが「単独」で金融緩和に踏み切るようなら、後者のマイナスの効果が前者のプラスの効果を凌駕することになるのである。一国による単独の金融緩和は、隣国の景気を冷え込ませ、その隣国を保護主義に向かわせる圧力になったのである。

1930年代と今とでは利用可能な政策手段に違いがあるのを反映して、抱える問題にも違いが出てくる。今のところはどうなっているかというと、大不況に立ち向かうために、金融刺激策に加えて、財政刺激策も試みられている。一国による単独の財政刺激策は、隣国に対してもプラスに働く。財政刺激策のおかげで当該国(財政刺激策に乗り出した国)の景気が刺激されると、それに伴って当該国で輸入需要(海外製品に対する需要)が増えるからである。財政刺激策が試みられる結果として世界金利に上昇圧力がかかるようなら、当該国・隣国双方の民間投資がクラウドアウトされて、隣国の景気に対してもマイナスに働くが、今のところはそのマイナスの効果はとるに足らないだろう。つまりは、いずれかの国が単独で財政刺激策に乗り出せば、隣国からその国に向けた輸出が増える可能性があるわけであり、隣国が保護主義に訴える理由がなくなることになるのだ。 

しかしながら、問題もある。財政刺激策の恩恵が「ただ乗りする」隣国に波及することに懸念が抱かれる可能性があるのだ。財政刺激策は、タダではできない。財政刺激策に乗り出すということは、子や孫の世代によって返済されねばならない公的債務の増加を意味する。それゆえ、財政刺激策が海外製品に対する需要(輸入需要)も増やすようなら、財政刺激策に乗り出す国は、「バイアメリカ」(“Buy America”)条項に類した手段に訴えて、財政刺激策の恩恵が他の国に漏出するのを防ぎたくなる誘惑に駆られる可能性がある。つまりは、保護主義が発動する危険性は、依然としてあるのだ。ただし、金融刺激策ではなく財政刺激策によって景気の浮揚が図られる場合には、保護主義の誘惑に駆られるのは、事の成行きを静観する国(隣国)ではなく、積極的な行動に打って出る国(財政刺激策に乗り出す国)の側なのだ [3] 訳注;その一方で、金融刺激策によって景気の浮揚が図られた1930年代においては、保護主義の誘惑に駆られたのは隣国の側だった。

1930年代と今とで抱える問題に細かいところで違いはあっても、答え(解決策)は同じだ。1930年代においてもそうすべきだったように、各国の政策当局者たちは、協調して財政・金融政策をすり合わせる [4] 訳注;例えば、関連するすべての国が共同歩調をとって同時に金融緩和なり財政出動なりに乗り出す。必要がある。そのすり合わせがうまくいかないようなら、通商(貿易)政策の面で1930年代のように最悪の結果がもたらされかねないのだ。

<参考文献>

●Barry Eichengreen and Douglas A. Irwin (2009), “The Slide to Protectionism in the Great Depression: Who Succumbed and Why?“, NBER Working Paper No 15142.
●Barry Eichengreen and Jeffrey Sachs (1985), “Exchange Rates and Economic Recovery in the 1930s(JSTOR)”, Journal of Economic History 45, 925-946.

 

References

References
1 訳注;当該国向けの輸出が増えて、景気が刺激されることになる。
2 訳注;価格競争力の面で不利な立場に立たされるために、当該国向けの輸出が減って(あるいは、当該国からの輸入が増えて)、景気が冷え込むことになる。
3 訳注;その一方で、金融刺激策によって景気の浮揚が図られた1930年代においては、保護主義の誘惑に駆られたのは隣国の側だった。
4 訳注;例えば、関連するすべての国が共同歩調をとって同時に金融緩和なり財政出動なりに乗り出す。
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