●Janet L. Yellen, “Communication in Monetary Policy”(Speech at the Society of American Business Editors and Writers 50th Anniversary Conference, Washington, D.C., April 04, 2013)
本日は、お招きいただきありがとうございます。現在Fedは、景気回復を後押しするために数々の取り組みを続けている最中ですが、本日はその取り組みの中心に位置しており、この場にうってつけとも言える話題についてお話させていただきます。本日の講演のテーマを一言でまとめると、「金融政策におけるコミュニケーションの役割」ということになりますが、金融政策においてコミュニケーションがいかに重要な役割を担っているかについて詳しく論じさせていただきたいと思っています。金融政策においてコミュニケーションが果たす役割はここにきてますます高まってきているのですが、その辺の事情についてもお話させていただくつもりです [1] 原注1;今回の講演を準備するにあたり、FRBのスタッフである Jon Faust、Thomas Laubach、John Maggs から貴重なサポートをしてもらいました。。
本日お集まりの皆さんの中には、Fedの取材を担当されている方もいらっしゃることでしょう。Fedによる金融政策は、FOMC(連邦公開市場委員会)での議論を通じて決められているわけですが、その辺の事情についてもよくご存知かと思います。FOMCの会合が終了すると、どのような決定に至ったかを伝える声明が発表される決まりになっていますが、声明の中にどのような表現を盛り込んだらよいかと毎度の如く細心の注意が払われていることもよくよくご承知のことでしょう。会合終了後には声明が発表されるだけではなく、バーナンキ議長が記者会見を開いて質疑に応じることにもなっています。さらには、FOMCでの議論の内容を詳しく伝える議事要旨もしばらくしてから公表されています。しかしながら、FOMCが発するメッセージが国民のもとに届けられるまでには、本日お集まりの皆さんのご活躍も大きな役割を果たしています。FOMCでの決定内容をニュースで報じたり、声明の内容に分析を加えたり、金融政策の役割や目標について解説したりといった皆さんの日々のご活動に大いに支えられているのです。まずはそのことに感謝したいと思います。
しかしながら、こうして皆さんの前でお話しさせていただくことに感謝の気持ちを抱く理由はそれだけにとどまりません。皆さんは、記者あるいは編集者という仕事柄もあって、コミュニケーションに関しては出し手としても受け手としても並大抵ではない経験をお持ちでいらっしゃることでしょう。政府機関が自らの政策について語ったり、民間企業が自社製品について説明する機会に立ち会われた経験もこれまでにお仕事を通じておありだと思いますが、FOMCによるコミュニケーションもそういった他の例と大差ないのではないかと思われるかもしれません。いや、そうではない。金融政策においては、コミュニケーションは他のケースとは違って特別な役割を担っているのだということをこれから示していきたいと考えているのですが、そのような機会を設けていただいて感謝したいと思っているのです。
どう違うのかをわかりやすく示すために、比較となる例を挙げておくといいかもしれません。金融政策の話は一旦脇に置いて、運輸政策に目を転じることにしましょう。例えば、交通渋滞を緩和するために、道路の拡張工事を行うことが取り決められたとしましょう。プロジェクトの立ち上げを知らせるために、テレビカメラも入った記者会見を大々的に開くという方法もあり得ますし、ごく少数の報道機関に向けてプレスリリースを発表するという方法もあり得ます。何も知らせないという方法もあるでしょう。いずれの方法がとられるにしろ、プロジェクトの内容に違いが生まれるわけではありません。ドライバーが(利便性の向上というかたちで)恩恵を受けることがあるとすれば、それは工事が完了して道路が拡張された後のことです。工事が完了するずっと前の段階でプロジェクトの存在を知らされたところで、ドライバーは得をするわけでも損をするわけでもないでしょう。
金融政策に関しては話が違うというのが、本日の講演の軸となる事実です。金融政策の効果は、政策の先行き――数ヶ月先あるいは数年先の未来にどのような政策が行われそうか――について国民がどのようなメッセージを受け取るかによって決定的に左右されるのです [2] … Continue reading。
本日の講演では、FOMCによるコミュニケーション戦略の過去、現在、未来に目を向けながらこの点について詳しく論じていきたいと思います。中央銀行の多くは、ほんのつい最近まで、金融政策の現状や先行きについて国民やマーケットを相手にコミュニケーションを図ることをあえて避けていました。20世紀初頭にイングランド銀行総裁の地位にあったモンタギュー・ノーマン(Montagu Norman)は、「説明も言い訳もしない」(“never explain, never excuse”)をモットーにしていたことはよく知られています。私がスタッフエコノミストとしてFedで初めて職を得たのは1977年に遡りますが、その当時のFedでも「説明も言い訳もしない」という態度が依然として根強く残っていました。
しかしながら、中央銀行の世界でも透明性の確保を重んじる姿勢が徐々に力を増していくことになります。それに伴って、FOMCによるコミュニケーション戦略にも変化が生じることになるわけですが、金融危機が勃発するまでの期間を対象としてその軌跡を振り返るというのが本日の講演の最初の話題になります。このたびの金融危機は、セントラルバンカーたちがこれまでに経験したことがない難題を突き付け、非伝統的な手段――その中には、今回新たに一から考案された政策オプションも含まれます――の採用を迫ることになりました。金融危機以降に採用された非伝統的な手段では、コミュニケーションが中心的な役割を果たすことになるわけですが、この辺りの事情について議論するのが次の話題ということになります。そして最後に、今後の展望を述べることにします。経済の好調が続き、金融危機のトラウマが癒えつつある兆候がここ最近になって見られるようになっています。励みとなるニュースですが、この調子が続くようだと、将来的にいつの日かFOMCも金融政策を従来のやり方に戻す必要が出てくることでしょう。金融政策の正常化に向けて歩を進める過程でFOMCが直面するであろうコミュニケーションをめぐる課題を論じて、本日の講演の結びとすることにします。
FOMCが主体となって行うコミュニケーションの問題については、私も個人的に長年にわたってかなり大きな関心を払い続けてきましたが、2010年以降からはこの問題に真正面から取り組む機会に恵まれることになりました。2010年にFOMC内部にコミュニケーションのあり方を検討する小委員会が設置されたのですが、バーナンキ議長のお達しでこの私がその小委員会の議長を務めることになったのです。おそらくこのあたりがちょうどいいタイミングかと思われますが、いつものようにことわりを入れされていただくことにしましょう。本日の講演で述べさせていただく意見は、あくまでも私個人の見解を反映したものであり、FOMCの立場を代弁するものでもFRBでともに働くその他の同僚の見解を反映するものでもありません。この点、ご留意ください。
「説明せず」の精神から、透明性重視の姿勢へ
(Fedをはじめとした)中央銀行によるコミュニケーション戦略の分野では、「説明せず」の精神が長らく強い影響を誇っていましたが、透明性の確保を重んじる方向へと流れが変わってきています。つい最近行った講演では、そのような変化を指して「革命」と呼んだわけですが [3]原注3;Janet L. Yellen (2012), “Revolution and Evolution in Central Bank Communications”, speech delivered at the Haas School of Business, University of California, Berkeley, November … Continue reading、コミュニケーション革命が進行中の現代の世相をよく知る人にとっては、そのような物言いは意外に思われるかもしれません。人と人とのコミュニケーションを支える技術(テクノロジー)は今後も飛躍を遂げ続けて、ますますスピーディーで密なコミュニケーションが可能になっていくと思われますが、それと比較すると、FOMCによるコミュニケーションは、そのペースにしてもその形態にしても見劣りすることは認めざるを得ないでしょう。FOMCの会合終了後に議長が記者会見を開く件――年に4回開かれます――については先ほども触れましたが、記者会見が開かれるようになったのは、ほんの2年前のことです。記者会見の模様はテレビでも中継されますしライブ配信もされますが、FOMCがコミュニケーションを図るために利用する方法は、「文書」(紙に印刷された文字)を通じた昔ながらの古臭いものである場合がほとんどです。FOMCが発するメッセージの中でも、世間から最も注目されていて、文書を通じたコミュニケーションの典型でもあるのが、FOMCの会合後に発表される声明です。FOMCの会合はおよそ6週間ごと開催されますので、声明もそれと同じく6週間に1回のペースで発表されることになります。FOMCのメンバーたちは、声明の中に盛り込まれる数百語をひねり出すために何時間も苦心しているわけですが、そのような姿にレトロな雰囲気を嗅ぎ取られる方もいらっしゃることでしょう――そして、声明が発表されるや、たちまちのうちに(数分後には)民間のFedウォッチャーたちによって徹底的な分析が加えられることになります――。
しかしながら、FOMCによるコミュニケーション戦略の分野で生じた革命は、テクノロジーの進歩によって引き起こされたわけでもありませんし、コミュニケーションの速度と関わりがあるわけでもありません。その原動力は、知識の深まりに求められます。中央銀行によるコミュニケーションが金融政策の効果に及ぼし得る影響をめぐって研究が進み、その結果としてこの問題に関する理解の面で革命とも呼べる長足の進歩が見られたのです。
この点について深く掘り下げる前に、あらかじめ基本的な事実をおさえておいたほうが何かと便利かもしれません。そこでまずは、FOMCがどういったメンバーで構成されているかについて触れておくことにしましょう。FOMCは、連邦準備制度理事会のメンバー(議長、副議長、理事)7名と地区連銀総裁5名の計12名で構成されています。地区連銀総裁は、12名全員がFOMCでの議論に参加しますが、1年毎の輪番制でそのうちの5名(12名中5名)だけに議決権(投票権)が与えられることになっています。
次にFOMCに課せられている仕事は何かと言いますと、金融政策を使って「雇用の最大化」と「物価の安定」を達成することが法律によって求められています。「雇用の最大化」と「物価の安定」という2つの政策目標をひっくるめて、二重の責務(デュアル・マンデート)という言い方がされることもあります。続いて金融政策の手段は何かと言いますと、通常の状況においては、フェデラル・ファンド金利――民間銀行同士が1日限りの貸し借りを行う際の金利(オーバーナイト物金利)――と呼ばれる短期金利の操作を通じて、二重の責務(デュアル・マンデート)の達成が図られることになります。FOMCがフェデラル・ファンド金利の水準を上げ下げすると、その他の短期金利も同じ方向に動く傾向にあります。詳しくはもう少し先のところで触れますが、フェデラル・ファンド金利が上げ下げされると、自動車ローン金利や住宅ローン金利といった中長期の金利にも影響が及ぶ傾向にあります。フェデラル・ファンド金利を上げ下げすることで幅広い範囲の金利に影響を及ぼし、そうすることで家計や企業の(消費や設備投資等に関する)意思決定を左右するというのがFOMCの狙いです。
景気が低迷に向かいそうだったり、インフレ率が(FOMCが掲げる)長期的な目標を下回りそうな気配があると、FOMCはフェデラル・ファンド金利を引き下げて、金利全般(短中長期金利全般)に下押し圧力をかけようと試みます。それとは反対に、景気が過熱気味であったり、インフレ率が長期的な目標を上回りそうな気配があると、フェデラル・ファンド金利の引き上げに乗り出されることになります。フェデラル・ファンド金利(の上げ下げ)は、FOMCが政策目標を達成するための主要な手段として長らく頼りにされてきたわけです。
今となっては想像し難いでしょうが、Fedをはじめとした各国の中央銀行が金融政策上の決定について国民にほとんど何の情報も知らせない時代がありました。ほんの20年前のことですが、中央銀行の世界では「説明せず」の精神がなおも根強く蔓延っていたわけです。「説明せず」をよしとする(正当化する)理由としては、例えば次のような理屈が持ち出されました。金融政策上の決定について情報を開示したとしても、すべての人が対等にその情報を利用できるとは限らず、特定の人にだけ有利に働くかもしれない。そのような可能性を避けるためにも、情報の開示は控えるべきだというのです。その他にも、金融政策上の決定について情報を開示すると、マーケットは些細な情報にまでこだわって過剰反応してしまうおそれがあるとも語られました。FOMCが政策の先行きについて言及してしまうと、経済情勢の変化に応じて自由に政策を変更する余地(裁量的に振る舞う余地)が狭められてしまうという意見も広く見られました。つまりは、金融政策の透明性を確保したところで、大して得られるものはなく、場合によっては害がもたらされる――金融政策の効果が弱められる――可能性さえあるというのが当時の中央銀行の世界を支配していた通念だったのです。
コミュニケーションを促進したり透明性を確保しようとする動きが社会一般においてだけでなく政府内部の至る所でも着実にその勢いを増していく一方で、FOMCはそれまでの姿勢をなかなか改めないでいました。FOMCの会合後に声明が発表されて、政策スタンスが変更された事実がFOMC自らの口から語られるようになったのは、やっと1994年2月になってからのことでした。とは言え、その当時の声明では、政策スタンスが変更されたという事実が淡々と語られるだけで、政策スタンスが変更された理由についてはほとんど何の説明もされない有様でした [4] … Continue reading。
しかしながら、巨大な変化の波が着々と押し寄せつつありました。FOMCによるコミュニケーションに変革を引き起こすことになる巨大な変化の波が迫っていたのです。1990年代初頭までに相次いで発表され、金融政策のメカニズムに関する従来の見方に真っ向から挑戦した一連の研究成果がそれです。この一連の研究成果を生むきっかけとなったのは、次の謎――私がまだ大学で教鞭をとっていた時代に、多くの学生たちを悩ませていた謎でもあります――にありました。FOMCは、フェデラル・ファンド金利という1日限りの超短期ローンの金利を0.25%単位で小刻みに上げ下げしているに過ぎないのに、マクロ経済全体に影響を及ぼすだけの力を持っている。どうしてそんなことが可能となっているのだろうか? という謎です。
どうしてこれが謎と言えるかというと、経済上の重要な決定――企業による事業規模拡大をめぐる決定、消費者による住宅の購入をはじめとした年間の消費支出総額の決定――は、フェデラル・ファンド金利の水準に左右されるわけではなく、将来の所得や雇用といった長期的な経済情勢に関する予想(将来的に所得はどうなりそうか? 増えそうか、減りそうか、それともこれまでと変わらないままか? 今後失業する可能性はないだろうか?)や長期金利の水準によって左右されるからです。FOMCによるコミュニケーション戦略に変革をもたらすことになった一連の研究成果の核心となる洞察をまとめると、次のように言えるでしょう。フェデラル・ファンド金利が今現在どの水準にあり、(次回のFOMCが開催されるまでの)向こう6週間の間にその(フェデラル・ファンド金利の)水準にどういう変化が生じるかは、大して重要な問題ではない。今後数年間にわたるフェデラル・ファンド金利の先行き――FOMCは、経済情勢に影響を及ぼすために、今後数年の間にフェデラル・ファンド金利をどのように調整していくつもりなのだろうか――を国民がどう予想しているかという点こそが重要である [5] … Continue reading。
つまりは、FOMCが足許(今現在)の経済情勢に影響を及ぼせるかどうかは、将来に対する(国民の)予想にどれだけ効果的に働きかけることができるかに決定的にかかっているわけです。そして、将来に対する予想に働きかける上では、国民が金融政策の先行きやその影響――FOMCは、将来的に金融政策をどのような方針に沿って運営していくつもりであり、今後の金融政策の成り行きが将来の経済情勢に対してどういった影響を及ぼすことになるのか――について理解する手助けをどれだけうまく果たせるかが特に重要になってくるのです。再び道路拡張プロジェクトを例にとって比較してみるのもいいでしょう。道路が将来的に拡張されるらしいというニュースが届いたからといって、目の前の交通渋滞が瞬く間に解消されるなんてことはないですし、おそらく何の変化もないことでしょう。それとは対照的に、FOMCがたった今下したばかりの決定がどういった効果を持つかは、その決定が今後数年間にわたる金融政策の先行きに関する予想にどのような影響を及ぼすかによって大きく左右されるのです。
この点について具体的に論じるために、歴史上のエピソードの助けを借りることにしましょう。時は1960年代半ば頃まで遡ります。その当時、インフレが加速する兆しを見せ始めていたにもかかわらず、Fedはインフレの抑制に向けて断固たる行動に踏み切らずにいました。その様子を見た国民は、「Fedは本気でインフレに対峙する気があるのだろうか」と半信半疑の気持ちを抱くようになります。そのような不信感が広まるにつれて、インフレ予想(物価の先行きに関する予想)は根無し草のように不安定な様相を呈し始めて、何らかのショックがきっかけで大きな動揺をきたしかねない状況に立ち至ることになります。そのような中、1973年に「オイルショック」が発生します。原油価格の高騰を受けて、物価全般が大幅に上昇したわけですが、そうなった理由は、国民が「将来的に物価はもっと高くなる(インフレが加速する)に違いない」と予想したためでした。「将来的に物価はもっと高くなる(インフレが加速する)に違いない」という予想は、国民の行動に対する影響――労働者は(名目)賃金の引き上げを求める一方で、企業は自社製品の価格を吊り上げたり、生産コストの上昇を見越した行動に出ました――を介して、物価の上昇を後押しする結果になったのです。Fedもインフレの抑制に向けて幾度か試みはしましたが、国民から「どうせ中途半端な対応に終わるに違いない」と思われていた(予想されていた)ことも一因となって、大して成果を上げられませんでした。
それとは対照的なのが、1980年代初頭におけるFedのインフレ退治に向けた取り組みです。この件については、おそらくこの場にお集まりの皆さんの多くもご存知でしょう。FOMCは、インフレを抑制するために、フェデラル・ファンド金利を極めて高い水準にまで引き上げました。その影響で深刻な不況が引き起こされましたが、それと同時に、その行動を見た国民は「Fedは本気でインフレを低い水準で安定させるつもりだ」と納得したのです。その結果として、インフレ予想も落ち着きを見せ始め、低い水準で安定を保つようになりました。インフレ予想が安定を取り戻したおかげで、(原油等の)コモディティ価格の高騰をはじめとしたサプライショック(供給ショック)に見舞われても、物価全般が持続的に上昇するような事態を経験せずに済む環境が整えられることになりました。2005年の原油価格高騰のエピソードがその格好の例証となっていますが、1970年代とは異なり、原油価格が高騰したにもかかわらず、価格の上昇を経験した財やサービスの範囲は限られており、その影響も長くは続かなかったのです。その理由は、「Fedは本気でインフレを低い水準で安定させるつもりだ」(インフレが上昇する兆しを見せたら、Fedはその抑制に向けて本気で取り組むに違いない)との予想が国民の間に根付いていたからです。1980年代から長い時間をかけて、Fedは「物価の安定」に対する信頼(クレディビリティー)を着々と築き上げてきたわけですが、そのおかげで原油価格の高騰にもかかわらず、(物価全般の上昇に見舞われなかったために)フェデラル・ファンド金利を引き上げる必要に迫られずに済んだ――それゆえ、燃料コストの上昇に悩まされている家計や企業にさらなる痛みを押し付けずに済んだ――のです。
金融政策において(国民が抱く)予想が果たす重要な役割は今も昔もずっと変わらないままだとすれば、自然と次のような疑問が湧いてくるかもしれません。中央銀行によるコミュニケーション戦略に「革命」が生じる前の時代の金融政策は、一体どのようにしてその効果を発揮していたのだろう? 1960年代後半と1970年代に関しては例外なのですが、どうやらFedは経済情勢の変化にシステマティックなかたちで(それゆえ、外部の人間にとって予測しやすいかたちで)反応していたらしいことが後になってわかりました。そのことを明らかにしたのは、経済学者のジョン・テイラー(John Taylor)です。彼が1993年に執筆した論文によると、1980年代半ば以降のFOMCは、シンプルなルールに従って振る舞っているかのように見えることが判明したのです。テイラーが見出したシンプルなルールにインフレ率や生産量(実質GDP)の過去のデータを組み合わせれば、FOMCによるフェデラル・ファンド金利の調節(上げ下げ)をめぐるこれまでの決定をほぼ正確に再現することができたのです。また、フェデラル・ファンド金利の調節が一挙に行われることは稀であり、通常は数ヶ月の期間にまたがって小刻みに何段階かに分けて調節される傾向にあることも広く知られていました。つまり、FOMCは、「説明せず」の精神を貫き続ける一方で、「予想通りの振る舞い(行動)」を貫いてもいたわけです(“never explain, but behave predictably”)。
金融政策の先行きを読むために、FOMCの過去の行動をつぶさに分析するというのは確かに一つのやり方であり、実際にもそれなりに成果を上げてきたやり方でもありますが、FOMCが透明性の確保に努めて金融政策の先行きについてできるだけ明確な手がかりを率先して提供するという方法と比べると、2つの欠点を抱えていることに気付かされます。1つ目の欠点は、FOMCの行動を詳しく調べている事情通にとってはともかく、誰もがこのやり方に頼れるわけではないということです。国民全体に奉仕する公の機関としては、この欠点は見過ごすことはできないでしょう。2つ目の欠点は、(FOMCの過去の行動をつぶさに分析することで見出された)政策ルールは、金融政策の先行きについて常に正確な予測を伝えてくれるわけではないということです。ジョン・テイラーが発見した政策ルールを使えば、大抵の時期についてはフェデラル・ファンド金利の動きをうまく説明できますが、常にそうだというわけではありません。金融政策に詳しい専門家でも、FOMCの行動の予測に失敗するケースはたびたびあります。
金融政策の先行きに関する手がかりを提供する術としては、中央銀行の側が透明性の確保に努めて明確なコミュニケーションを図るという方法も考えられるわけですが、2000年代初頭に入ってそのような方向に向けた取り組みが加速することになります。まずは2000年になりますが、FOMCの会合終了後に今後の経済見通しに関する情報の提供が開始されることになりました。それだけでなく、経済が直面する様々なリスクの間のバランスに関する評価やフェデラル・ファンド金利の今後の見通し――フェデラル・ファンド金利が近々引き上げられる(ないしは引き下げられる)可能性が高まっているかどうか――についても、FOMCなりの見解が明らかにされるようになりました。そのような中、政策意図を含めた金融政策の方針や将来見通しに関する情報の提供――いわゆる「フォワードガイダンス」の提供――が極めて重要な役割を果たすことになる局面が訪れました。それは、2003年のことです。2001年にアメリカ経済は深刻な不況に陥ったわけですが、その後の景気回復の足取りは極めて弱々しいものでした。そのような状況を受けて、FOMCはフェデラル・ファンド金利を1%という極めて低い水準にまで引き下げましたが、失業率は依然として高止まりしたままでした。景気回復を後押しするためにさらに何かできることはないかと思案を巡らす中でFOMCがたどり着いた結論が、2003年8月の声明です。フェデラル・ファンド金利を大方の予想よりも長い期間にわたって(1%の水準に)据え置く方針であることを世間に向けて伝えるために、声明の中に「経済が現在置かれている状況を踏まえると、現状の金融緩和スタンスが相当な期間にわたって(for a considerable period)継続される可能性も十分あり得るというのがFOMCの考えである」との文言が盛り込まれたのです [6] 原注6;Board of Governors of the Federal Reserve System (2003), “FOMC Statement”(8月12日発表).。
ちょっとここで立ち止まって、2003年8月の声明が持つ意味を考えてみることにしましょう。FOMCがコミュニケーション――言葉――を主要な政策手段として活用することを決めた初めての瞬間を記録したのが、2003年8月の声明だと言えるでしょう。それまでにも、金融政策の先行きについてFOMCがコミュニケーションを図ることはありましたが、主役はあくまでもフェデラル・ファンド金利の誘導目標を何%に設定するかであり、コミュニケーションはそれを補佐する役回りに過ぎませんでした。しかし、2003年8月の声明では、それとは異なる立場が表明されていて、コミュニケーションは景気を刺激するために利用できる一つの独立した手段としての位置付けを与えられたのです。こうして、FOMCは、「説明せず」の世界を離れて、「説明」それ自体が政策手段の一つとなり得る世界へと足を踏み入れたのです。
2003年8月の声明は、次のような教訓も投げかけています。(FOMCのシステマティックな行動を記述する)政策ルールに頼ってばかりはいられず、FOMC自ら積極的にコミュニケーションを図らねばならない時がある。とりわけ、過去の歴史がそれほど助けにならない異例の事態に直面した場合はそうだ、という教訓です。政策当局者たちがこの教訓をこのたびの金融危機が勃発する前の段階で既に学び取っていたことは、幸運だったと言えるでしょう。というのも、このたびの金融危機の勃発に伴って、FOMCをはじめとした政策当局は、前代未聞の事態に直面することになったからです。金融危機とその余波は、FOMCに対してコミュニケーション戦略の分野でこれまでに劣らないほどの変革を強いることになったのです。
金融危機以降の金融政策
2008年および2009年にFOMCが直面した状況というのは、1930年代(の大恐慌)以来で前例のないものでした。フェデラル・ファンド金利は、2008年の後半にほぼゼロ%の水準――もうこれ以上引き下げられない下限――にまで引き下げられ、それ以降現在に至るまで同様の水準に据え置かれています。伝統的な金融緩和策――フェデラル・ファンド金利の引き下げ――にはもう頼れなくなってしまったわけですが、金融システムに安定を取り戻して、景気の急落を食いとどめるためには、さらに何らかの手を打つ必要がありました。そこでFOMCは、非伝統的な手段に手を付けるだけではなく、まったく新しい政策オプションを一から考案して事に当たりました。しかしながら、国民は、フェデラル・ファンド金利の上げ下げに依拠した従来型の(伝統的な)金融政策には慣れていましたが、政策の先行きに関する指針を提供するフォワードガイダンスについてはごく限られた経験しか持っていませんでした。つまりは、コミュニケーション戦略の分野において、これまでにない工夫が求められることになったわけです。新たに考案された政策オプションの内容について説明するだけでなく、「非伝統的な手段を採用するのはなぜなのか? 非伝統的な手段と二重の責務(デュアル・マンデート)との間にはどのような関係があるのか?」といった疑問に説得的なかたちで応じるためにも、その必要があったのです。
FOMCが採用を決めた非伝統的な手段の中でも最もよく知られているのは、大規模資産購入プログラムです。世間では、量的緩和という名前でも呼ばれています。大規模資産購入プログラムが初めて導入されたのは2008年の後半ですが、政府機関債(エージェンシー債)や(政府機関の保証が付いた)住宅ローン担保証券(エージェンシーMBS)、長期国債が購入対象として選ばれました。現在までの間に購入された資産の総額は、およそ2兆5000億ドルに上っています。大規模資産購入プログラムの狙いは、長期金利の低下と資産価格の上昇を促すことで、二重の責務(デュアル・マンデート)の達成に一歩でも近付くことにありますが、これまでのところその狙い通りの成果を上げているというのが私なりの見立てです。フェデラル・ファンド金利をほぼゼロ%に据え置くだけでなく、大規模資産購入プログラムにも踏み出すことによって、なお一層の金融緩和効果――アコモデーション(景気の下支え、景気の後押し)と表現されることもあります――が生み出されていると言えるでしょう。
大規模資産購入プログラムの効果も、国民がその先行きについてどのような予想を抱いているかによって左右されるという点は強調しておくべきでしょう。例えば、FOMCが100億ドル分の長期国債の購入に乗り出したとしましょう。しかしながら、国民が「FOMCは買い取った分の国債を明日ないしは近日中にすべて売り払ってしまうに違いない」と予想するようなら、100億分の長期国債が買い取られたところで、経済にはほとんど何の影響も生じないでしょう。つい最近の研究によると、FOMCによる(現時点における)資産の購入がどういった効果を持つかは、その先行きについて国民がどのような予想を抱いているか――FOMCは総額でどのくらいの規模の資産を購入するつもりなのだろうか、FOMCは一旦買い取った資産をどのくらいの期間にわたってそのまま保有し続けるつもりなのだろうか――に左右されるという結果が示唆されています。景気を下支えするためには、大規模資産購入プログラムの効果をできるだけ高める術を探る必要がありますが、予想が果たす重要な役割を踏まえると、Fedのバランスシートの先行きに関する情報――バランスシートの拡大規模や拡大ペース(ないしは、バランスシートの縮小規模や縮小ペース)に関する見通し――を世間に向けて発信するというのもその方法の一つだと言えるでしょう。現時点でも既にそのような情報は提供されていますが、その詳細については、今後の展望とあわせてもう少し先のところで触れることにしましょう。
さらなる金融緩和効果を生み出すことを意図して採用された非伝統的な手段は、他にもあります。コミュニケーションそのものだと言っても過言ではありませんが、フェデラル・ファンド金利をどのくらいの期間にわたって現状のほぼゼロ%の水準に据え置くつもりなのかを世間に向けて公表する「フォワードガイダンス」がそれです。2009年初頭の状況は、2003年の状況と似てはいましたが、ずっと厄介な問題が眼前に控えていました。2003年の時点ではフェデラル・ファンド金利を引き下げる余地が若干ながら残っていましたが、2009年に関してはその余地がもう無かったのです。フォワードガイダンスに頼る(フェデラル・ファンド金利の先行きに関する情報を提供する)しかなかったのです。
当初のうちは、フォワードガイダンスはシンプルで馴染みのあるかたちをとっていました。2009年3月の声明では、次のように語られています。「現在の経済状況を踏まえると、フェデラル・ファンド金利を長期間にわたって(for an extended period)現状の極めて低い水準に据え置くことが妥当だと思われる」 [7] 原注7;Board of Governors of the Federal Reserve System (2009), “FOMC Statement”(3月18日発表).。フォワードガイダンスの内容に手が加えられることになったのは、2011年8月のことでした。「長期間にわたって」の代わりに、「少なくとも2013年半ばまでは」と言い換えられることになったのです [8] 原注8;Board of Governors of the Federal Reserve System (2011), “FOMC Statement”(8月9日発表).。その後もフェデラル・ファンド金利を据え置く期間が何度か先延ばしされて、2012年9月の声明では「少なくとも2015年半ばまでは」フェデラル・ファンド金利を現状の極めて低い水準に据え置く予定である旨が宣言されています [9] 原注9;Board of Governors of the Federal Reserve System (2012), “Federal Reserve Issues FOMC Statement”(9月13日発表).。
「少なくとも2015年半ばまで」といったように具体的な日時に言及する「カレンダーベースのフォワードガイダンス」(“calendar guidance”)は、「長期間にわたって」という曖昧な表現に比べると、一歩前進したものだと評価できるでしょう。しかしながら、重大な限界を抱えてもいます。具体的な日時に言及されたとしても、FOMCが一体何を目標にしていて、どういう状況になったらゼロ金利が解除されるのか(どういう状況が続く限りはゼロ金利が維持されるのか)についてはっきりしたことがわからないのです。そういった事情もあり、声明の中でフェデラル・ファンド金利を据え置く期間が変更されるたびに、国民は悩まされざるを得ませんでした。FOMCがどういった理由でその決断に至ったのか――政策スタンスの変更に踏み切ったためなのか、それとも経済見通しを修正したためなのか――を判別するのが難しかったからです。
FOMCが一体何を目標にしているのかをはっきりさせるために、2012年1月に「金融政策の長期的な目標と戦略」と題された声明が発表されました [10] 原注10;Board of Governors of the Federal Reserve System (2012), “Federal Reserve Issues FOMC Statement of Longer-Run Goals and Policy Strategy”(1月25日発表).。この声明では、二重の責務(デュアル・マンデート)に関するFOMCなりの解釈が初めて数値のかたちで明らかにされました。具体的には、「2%のインフレ率」がインフレに関する長期的な目標――「物価の安定」に関するFOMCなりの解釈――であり、「長期的に見て標準的(正常)だと考えられる失業率」に関するFOMCメンバーの予測の中心傾向が5.2~6.0%の範囲にあることが明らかにされたのです。
インフレ率や失業率が長期的な目標から一時的に逸れる可能性はあり得る話ですが、件の声明によると、その際には長期的な目標との乖離を縮小するために「バランスのとれたアプローチ」が採用されることになっています。例えば、現在の失業率は7.7%ですが、声明の中で述べられている5.2~6.0%という(「長期的に見て標準的だと考えられる失業率」の)水準を大きく上回っています。失業率は低下傾向にありますが、そのペースはゆっくりとしたものだろうというのが大方の見方です。その一方で、インフレ率は2%ちょうどで安定を保ったり、2%を下回ったりといった状態を繰り返していて、今後も数年間は同様の状態が続くだろうというのが大方の見方です。つまりは、「雇用の最大化」と「物価の安定」のどちらに照らしても、極めて緩和的な政策スタンスが求められているのが今の現状だと言えるでしょう。失業率が「長期的に見て標準的(正常)だと考えられる失業率」を大きく上回っている現状を踏まえると、失業の削減に向けた取り組みを金融政策の中心に据えるべきであり、仮にインフレ率が一時的に(長期的な目標である)2%を若干上回ることがあったとしても、失業の削減に向けた取り組みを続けるべきだというのが私の考えです。2013年1月に「金融政策の長期的な目標と戦略」の内容を踏襲する旨が確認されましたが [11] 原註11;“Statement on Longer-Run Goals and Monetary Policy Strategy [PDF]” as amended effective January 29, 2013.、「金融政策の長期的な目標と戦略」は、金融政策が経済情勢の変化にどう応じるかを仄めかす貴重なロードマップの役割をこれから先もずっと果たし続けることでしょう。
インフレ率や失業率を長期的な目標に引き戻すための試みの一環と言えますが、フォワードガイダンスの面でもコミュニケーションの強化に向けた新しい動きがありました。2012年12月に「カレンダーベースのフォワードガイダンス」に代わって、「閾値ベースのフォワードガイダンス」(threshold guidance)の採用が決定されて、ゼロ金利を継続する条件が数値(閾値)のかたちで具体的に明らかにされたのです。声明の文言を引用しておきましょう。「少なくとも失業率が6.5%を下回らないでいる間は、フェデラル・ファンド金利を現状のゼロ%近辺に据え置く予定である。ただし、この先1~2年後のインフレ率の見通しが、FOMCの掲げる長期的な目標(2%)の+0.5%圏内に収まっており、長期的なインフレ予想がこれまでと同様に安定したままの状態が続くという条件が満たされる場合に限る」 [12] 原注12;Board of Governors of the Federal Reserve System (2012), “Federal Reserve Issues FOMC Statement”(12月12日発表).。
「閾値ベースのフォワードガイダンス」への転換は、大きな進歩を意味しているというのが私の考えです。というのも、閾値が設定されることで、FOMCがゼロ金利解除を検討し始める条件(どういう条件が揃えば、フェデラル・ファンド金利の引き上げが真剣に考慮されるか)についてこれまでよりもずっと豊富な情報が国民の前に提示されることになるからです。「閾値ベースのフォワードガイダンス」は、FOMCの行動を規定する「(政策)反応関数」に関する新たな情報を提供する役割を果たしていると言えるわけですが、国民やマーケットはこの新たな情報の助けを借りることによって、ゼロ金利が解除される(金融引き締めに向けて政策スタンスが転換される)タイミングについて独力で判断が下せるようになるでしょうし、その判断(ゼロ金利解除のタイミングに関する予想)は経済情勢の変化に応じて柔軟に調整されていくことでしょう。
つまりは、「閾値ベースのフォワードガイダンス」は、フェデラル・ファンド金利の先行きに関する国民の予想の柔軟性を高める効果を持つと期待されるわけですが、その結果として経済の中に一種の「自動安定化装置」が埋め込まれることになると考えられます。例えば、景気が予想を上回るペースで回復に向かったとしましょう。その場合、国民は次のように考えることでしょう。この調子だと、失業率かインフレ率のいずれか(あるいは、どちらも)が予想していたよりも早い段階で閾値に達することになるだろう。となれば、ゼロ金利解除のタイミングも予想よりも早まるに違いない、と。それとは反対に、経済見通しが下方修正されたとしたら、どうなるでしょうか。この感じだと、ゼロ金利解除のタイミングは予想していたよりも後ろにずれる(先に延びる)可能性が高い。国民はそう考えるでしょう。しかし、国民がそのように考え直すと、結果的に景気が刺激される可能性があります。というのは、ゼロ金利解除のタイミングが先に延びる(ゼロ金利が継続される期間が長引く)と国民が予想すれば、長期金利に低下圧力がかかる可能性があるからです。実際にも長期金利が低下することになれば、景気の刺激につながることでしょう。
コミュニケーションが抱える今後の課題
金融危機の深刻な傷も完全に癒え、経済が再び正常な状態に戻る日もそのうちやってくることでしょう。「閾値ベースのフォワードガイダンス」でもそのような状況の到来が見据えられているわけですが、経済が再び正常な状態に戻れば、金融政策も従来のやり方に戻る必要が出てくるでしょう。非伝統的な手段とお別れをして、フェデラル・ファンド金利の上げ下げという扱いやすい馴染みの顔と再び相見える日が早くやってこないものかと待ち遠しいものです。
金融危機に端を発する異例の事態を前にして、Fedはバランスシートを大幅に拡大する(資産を大量に購入する)ことで景気の下支えを図りましたが、景気の下支えに手を貸すのはもう止めにしてバランスシートの縮小(資産の売却)に向かうべき時が将来的にいつかやってくることでしょう。いつかやってくるであろうその時においても、コミュニケーションが中心的な役割を担うに違いないというのが私の考えです。
まずは、大規模資産購入プログラムを例にとって話を進めることにしましょう。現行のプログラムは2012年9月に導入が決められ、同年12月にその内容に若干の修正が加えられました。現行のプログラムは、注目すべき特徴を備えています。毎月ごとの資産購入額はあらかじめ決められていますが、総額でどのくらいの資産を購入する予定なのかについては定められていないのです。その代わり、「労働市場の見通しに大幅な改善が見込まれるまで(ただし、物価の安定を損なわない限りにおいて)」資産の購入を続ける旨が明らかにされています。また、2013年3月の声明では、資産の購入がもたらす効果やコストの評価(資産の購入はどのような効果を持ち、どのようなコストをもたらす可能性があるか)や二重の責務(デュアル・マンデート)の達成状況に照らして、資産の購入ペースやその内訳(どの資産を購入対象に含めるか)を調整していく旨が明らかにされています [13] 原注13;Board of Governors of the Federal Reserve System (2013), “Federal Reserve Issues FOMC Statement”(3月20日発表).。労働市場の見通しの変化に応じて資産の購入ペースを調整するという現行のやり方は、FOMCの意図を国民に明確に伝える格好の方法であり、プログラムの終了が間近に迫っても誤解を招いたりマーケットに混乱をもたらしたりする可能性は小さいと思われます。
大規模資産購入プログラムが継続している間は、Fedのバランスシートも拡大を続け、そのことを通じて景気の下支えに一役買うことになるでしょう。プログラムの終了というのは、あくまでもバランスシートの拡大(を通じた景気の下支え)にストップをかけるということであり、資産の売却に転じる(バランスシートの縮小に乗り出す)ということではありません。バランスシート上に大量に積み上がっている長期債券をいつ・どのようなペースで売却すればよいかというのは、また別の問題です。2013年3月の声明では、「現行の大規模資産購入プログラムが終了し、景気回復がその勢いを強めた後もなおしばらくの間は、現状の極めて緩和的な金融政策のスタンスを維持することが適切である」と語られていますが [14] 原注14;Board of Governors of the Federal Reserve System (2013), “Federal Reserve Issues FOMC Statement”(3月20日発表).、要するに、大規模資産購入プログラムが終了してから資産の売却(バランスシートの縮小)あるいはフェデラル・ファンド金利の引き上げが開始されるまでには、しばらく間隔があると見てほぼ間違いないと考えられるわけです。
FOMCがバランスシートの正常化をどのように進めていく予定であるかについては、2011年6月の会合で決定された「出口戦略に関する原則」でその輪郭が述べられていますが、それによると、資産の売却はゼロ金利が解除された後に着手されることになっています。また、マーケットにできるだけ混乱を招かないために、経済見通しの変化や金融市場の状況に応じて資産の売却ペースを柔軟に調整していく(加速したり減速したりする)方針であることも語られています。つまりは、マーケットの機能に問題が生じたり、債券市場が大きな変動に晒されるおそれがある場合には、資産の売却ペースや売却のタイミングを見直す可能性もあり得るということです。FOMCがバランスシートの正常化に乗り出すのはまだ先のことではありますが、バランスシートの先行きについて国民やマーケットを相手に明確なコミュニケーションを図る心積もりはもう既にできています。
フェデラル・ファンド金利を正常な水準にまで引き上げるために、ゼロ金利の解除に踏み切られる日もいつかはやってくることでしょう。FOMCでは、全参加メンバーにフェデラル・ファンド金利の先行きに関する予測を聞いて回っていますが、2013年3月の会合で寄せられた回答によると、FOMC参加メンバー19名のうち13名は、2015年中にゼロ金利が解除されるだろうと予測していて、1名は(ゼロ金利の解除は)2016年になるだろうと予測しています。しかしながら、経済が今後どう転ぶかは不確実なところがある点には留意しておくべきでしょう。2012年12月の会合で「閾値ベースのフォワードガイダンス」の採用が決定された件については先にも触れましたが、国民がゼロ金利解除のタイミングを独力で予測する上で、閾値は便利な手がかりを与えてくれることでしょう。フェデラル・ファンド金利の調節方針について国民との間で明確なコミュニケーションを図ることはどんな時であれ重要でしょうが、ゼロ金利解除のタイミングが近付くにつれて、その重要性はますます高まることになるでしょう。
現在Fedは、「雇用の最大化」と「物価の安定」の達成に向けて数々の取り組みを続けている最中です。その取り組みの中でコミュニケーションが果たしている極めて重要な役割について皆さんにうまく伝えることができていればと願うばかりですが、コミュニケーションが果たす役割は、金融危機以降に非伝統的な手段の採用に踏み切られてからなお一層高まることになりました。それもそのはずです。非伝統的な手段においては、コミュニケーションが大きな役割を演じているからです。経済の好転が続けば、徐々に非伝統的な手段から手を引くことになるでしょうが、それに伴って金融政策においてコミュニケーションが果たす役割も小さくなっていくことでしょう。しかしながら、「説明も言い訳もしない」の精神が再び息を吹き返すようなことは、もう二度とないでしょう。FOMCが今後も自らの行動について国民に向けて明確な説明を続けていけば、それに応じた見返りが待っていることでしょう。そう願いたいですし、そう確信してもいます。FOMCがコミュニケーション戦略の分野でさらなる改善を果たす余地はまだ残されているでしょうし、必ずや改善が果たされることでしょう。私はそう信じています。
本日は、皆さんの前でお話できて光栄この上ない思いです。このたびは、お招きいただきありがとうございました。
References
↑1 | 原注1;今回の講演を準備するにあたり、FRBのスタッフである Jon Faust、Thomas Laubach、John Maggs から貴重なサポートをしてもらいました。 |
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↑2 | 原注2;政府が行う政策(公共政策)の大概について言えることですが、つい先ほど例に挙げた道路拡張プロジェクトも人々の予想に影響を及ぼす可能性はあります。例えば、(予想への影響を介して)居住地の選択やその近隣への事業展開に影響を及ぼすことになるかもしれません。しかしながら、そのような結果(効果)は、道路拡張プロジェクトの直接的な狙いとして掲げられているもの(政策目標)ではないという点は重要です――政策目標は、交通渋滞の緩和です――。詳しくはこれから先のところで説明していくことになりますが、その他の公共政策とは違って、金融政策においては将来に対する予想にどう影響を及ぼすかが主たる関心事となります。 |
↑3 | 原注3;Janet L. Yellen (2012), “Revolution and Evolution in Central Bank Communications”, speech delivered at the Haas School of Business, University of California, Berkeley, November 13;拙訳はこちら。 |
↑4 | 原注4;それまでは(1994年2月以前は)、Fedによる債券(証券)の売買の様子(債券市場におけるFedの行動)を仔細に観察して、政策スタンスが変更されたかどうかを国民の側で推測しなければいけませんでした。 |
↑5 | 原注5;金融政策が(実質GDPや雇用情勢といった)実体経済活動やインフレに影響を及ばすまでにはしばらく時間がかかります(言い換えると、金融政策の効果が表れるまでにはかなりのタイムラグがあります)が、この事実も予想が重要な役割を果たす理由の一つとなります。 |
↑6 | 原注6;Board of Governors of the Federal Reserve System (2003), “FOMC Statement”(8月12日発表). |
↑7 | 原注7;Board of Governors of the Federal Reserve System (2009), “FOMC Statement”(3月18日発表). |
↑8 | 原注8;Board of Governors of the Federal Reserve System (2011), “FOMC Statement”(8月9日発表). |
↑9 | 原注9;Board of Governors of the Federal Reserve System (2012), “Federal Reserve Issues FOMC Statement”(9月13日発表). |
↑10 | 原注10;Board of Governors of the Federal Reserve System (2012), “Federal Reserve Issues FOMC Statement of Longer-Run Goals and Policy Strategy”(1月25日発表). |
↑11 | 原註11;“Statement on Longer-Run Goals and Monetary Policy Strategy [PDF]” as amended effective January 29, 2013. |
↑12 | 原注12;Board of Governors of the Federal Reserve System (2012), “Federal Reserve Issues FOMC Statement”(12月12日発表). |
↑13 | 原注13;Board of Governors of the Federal Reserve System (2013), “Federal Reserve Issues FOMC Statement”(3月20日発表). |
↑14 | 原注14;Board of Governors of the Federal Reserve System (2013), “Federal Reserve Issues FOMC Statement”(3月20日発表). |