●Alex Tabarrok, “Dismal’s Paradox”(Marginal Revolution, May 20, 2006)
経済学が「陰鬱な科学」と呼ばれるようになったのは、どういう理由からなのだろう? 『ザ・デイリー・ショー』で、(コメディアンの)ジョン・ホッジマンがその由来を説明している。
ジョン・スチュアート:う~む。減税の効果についての今の説明を伺(うかが)っていると、どうもフェア(公平)じゃないように思えるんですが。
ジョン・ホッジマン:フェアかどうかというのは、ポイントじゃないんです。経済学が「陰鬱な科学」(ディスマル・サイエンス)と呼ばれているのは、フェアネス(公平さ)を重んじているからじゃないんですよ。
ジョン・スチュアート:ええ、それは仰る通りだと思うんですが。
ジョン・ホッジマン:違うんです。フェアネスを重んじているからじゃ絶対にないんです。ユースティス・ディスマル卿にちなんで、「陰鬱な科学」(ディスマル・サイエンス)と呼ばれているんです。ディスマル卿というのは、18世紀のイギリスで活躍した経済学者なんですが、レンガじゃなくて子供たちを積み重ねて煙突を作ろうと提案したんです。
ジョン・スチュアート: へ~、そうなんですか。初耳です。
ジョン・ホッジマン:そうなんですよ。実に面白い提案だったんですが、致命的な欠陥を抱えていたんです。そこらじゅうの子供たちを片っ端から積み重ねて煙突を作ったら、どうなります? 誰に煙突の掃除をさせたらいいんでしょう?
・・・(中略)・・・
ジョン・ホッジマン:これが俗に言う「ディスマル卿のパラドックス」というやつです。
経済学が「陰鬱な科学」と呼ばれるようになった真の理由を知りたければ――トマス・マルサス(による陰鬱な予言)が関わっていると世間では思われているが、マルサスは何の関係もない――、こちらで真相が明かされている [1] 訳注;本サイトで訳出されている次の記事も参照されたい。 ●アレックス・タバロック 「経済学の中に潜む倫理的な判断」(2014年3月7日)。
References
↑1 | 訳注;本サイトで訳出されている次の記事も参照されたい。 ●アレックス・タバロック 「経済学の中に潜む倫理的な判断」(2014年3月7日) |
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