How the Bank of England assisted in the formation of a fiscal-military state in Britain, paving the way for the Industrial Revolution
September 28, 2022
by Patrick O’Brien (LSE) and Nuno Palma (University of Manchester, ICS-UL, CEPR)
パトリック・オブライエン(LSE)&ヌーノ・パルマ(マンチェスター大学、ICS-UL、CEP)
この記事は、The Economic History Review掲載した我々の論文に基づいている。
イングランド銀行の安定性は、イギリス政府の安定性と同義となっている。(…)[イングランド銀行は]単なる銀行ではなく、国家の偉大なるエンジンとして機能しているのだ
アダム・スミス 1776年
我々はEconomic History Review誌に掲載された論文で、1694年に民間企業として設立されたイングランド銀行が、イギリスの民間経済を支え、中央集権化が進んだイギリス政府を支えるために、いかにして巨大の信用供与を拡大したかについて研究した(O’Brien and Palma)。イングランド銀行は、イギリスという国家の地政学的・経済的な覇権の掌握に貢献した。我々は、イングランド銀行が、効果的かつ効率的な財政・海洋国家の形成を後押しし、経済のための金融仲介システムの発展を促進したことを明らかにする。イングランド銀行は名目上は民間機関であり、利益は株主に支払われていたとしても、ウォルター・バジェットの教義 [1] … Continue reading を超えた公的な役割をずっと以前から果たしていたことを本研究では証拠として示す。
長い18世紀(1688-1815)、イギリスは相次ぐ戦乱を経て強力な国家へと脱皮し、それを支えた「私的」制度の枠組みが、最終的に〔他国より〕早い第一次産業革命への移行を促進した。この「私的」制度の中で最も重要だったものは、ウィリアム王戦争(1689-97年)の渦中の1694年に設立されたイングランド銀行である。イングランド銀行は、戦争の遂行に必要な流動性を歴代の政府に提供した。イングランド銀行は、軍事危機に対処するために必要な短期流動性を提供することで、国家の形成と財政能力の構築を支えたのである。イングランド銀行がなければ、一連の危機はイギリスの戦争遂行能力を低下させ、ひいては長期的な経済発展を阻害していただろう。イングランド銀行は、貨幣経済の発展を促進し、国家による徴税を容易にした。また、間接的には、民間経済の金融仲介を促進し、投資しやすい環境の段階的な出現に貢献している。一方で、政府の組織的な資金源とはならず、長期的な物価安定に対する政府のコミットメントを毀損しなかった。イングランド銀行とイギリス国家との共生関係は、産業革命の勃興に有利に働くこととなった。
本稿では、イングランド銀行による国家・経済的支援の役割を考察する。金融市場の下支えがなければ、18世紀のイギリス政府の体型化された軍事的成功において、その制度的枠組みの進化は有りえなかったことを証明する。この取り組みの集大成が、最も長期化し費用のかかった紛争、すなわちフランス革命戦争 [2]訳注:1792年から始まった、フランス革命によるフランスとヨーロッパ諸国との戦争 とそれに続くナポレオン戦争での勝利である。この戦争では、新規の、そして非常に急進的な金融政策が実施された。
我々は、中央銀行による国家及び民間経済への支援の提供は、3つの主要な手段からなっていると主張する。第一に、債務管理者として、政府が民間投資家から多額の信用を調達するのに重要な役割を果たしたこと。第二に、政府の一時借入金(特に、大蔵省証券や海軍証券)を直接買い取ることで、政府に短期資金を提供したこと。また、民間投資家への融資である(そこで融資を受けた民間投資家の多くは、後に政府証券での運用を行った)。第三に、中央銀行制度によるマネーサプライの増加によって、課税基盤が拡大され、民間経済の利益となった事実である。これはさらに、貨幣経済を浸透させ、課税を容易とした。
我々の結論は、18世紀の経済成長において、国家はクラウディングアウト(民間投資を阻害する)の役割を担った、との最近の研究での一般見解と根本的に異なっている。〔既存の研究との〕主な相違点となったのは、我々はクラウディングアウトを短期的で静的な影響であったと認識したことに起因している。確かに、国家は戦争のために多額の借り入れを行い、一定量の流動性を枯渇させている。しかし、これが実際に、長期的・総合的な経済成長の鈍化につながるとは限らない。まず何より、国家による借り入れ自体が、長期にかけて金融仲介システムの段階的な発展となり、最終的には多量の流動性を産み出したのである。次に、重商主義的な国際経済秩序の下では、イギリスは国家として対外戦争を行っていなければ、経済成長のプロセスが鈍化していた可能性が高かった事実がある。これは、軍事費が「純粋な浪費」でなかったことに起因している。軍事費は浪費とならず、対外的な安全保障、国内秩序、帝国の拡張を確保するための手段となった。
18世紀、イングランド銀行は、イギリスにおいて国家と経済に重要な支援を提供した。イングランド銀行は、貸付け〔による資金供与〕とその独占的的地位から利益を得てる一方で、特に民間の金融市場が枯渇してしまうような重要な局面では、信用を供与することで国家を支援し、国家と共生的な関係を築いた。イングランド銀行は、戦争の勃発、公債の償還期限、準備金の状態等、様々な状況に応じての、国家への資金供与の停止の実施を可能としていた。しかし、全体としては、中央銀行の安全性が損なわれることはないとの理事達の認識から、大きな自立性を持って行動し、長期的には国家に有益な影響を与えたのである。イングランド銀行は、国家の資金需要が高まった際にも、均衡金利での返済能力を可能とし、国家の財政行使能力も向上させた。正のループを発生させたのである。国債の貨幣化は民間経済にも波及し、弾力的な流動性供給となったことで、長期的な経済成長と金融の発展を支えた。
イギリスの産業革命には、国家や政治制度はほとんど関与しなかった、あるいは国家や銀行制度はマイナスの影響を与えたにも関わらず、工業化が起こったとよく論じられている。我々によるイングランド銀行の事例研究の証拠は、これが事実と反していることを示唆している。
著者連絡先
p.o’brien@lse.ac.uk
nuno.palma@manchester.ac.uk
参考文献
O’Brien, P. and Palma, N. ‘Not an ordinary bank but a great engine of state: the bank of England and the British economy, 1694-1844’, Economic History Review (forthcoming).
アダム・スミス『国富論』(1776/2003)