日本の首相官邸は、第219回国会における高市内閣総理大臣所信表明演説(2025年10月24日)の全文を公開した。
これは高市早苗氏が首相就任後に行った初の本格的な演説であり、これまで彼女が述べてきた「財政拡張を支持する」という一般的な主張を超えて、その具体的な内容をうかがうことができる。
しかし、その詳細は決して信頼を置けるものではない。
演説の導入部に続いて、高市首相は「経済財政政策の基本方針」について述べた。
ここで彼女は「『強い経済』をつくることが必要」とし、「財政支出」は経済の状態によって可能になると語っている。
より具体的には、次のように述べている。
「強い経済」を構築するため、…戦略的に財政出動を行います。これにより、所得を増やし、消費マインド(mindsets)を改善し、事業収益が上がり、税率を上げずとも税収を増加させることを目指します。
経済成長を通じて「所得を増やし」、それによって税収を生み出し、「経済回復」を達成するという構図である点に留意すべきである。
つまり、その発想は、GDP成長マインド(mindset)に基づいている。
こうした前提のもと、高市氏は次のような「財政ルール」を提示した。
成長率の範囲内に債務残高の伸び率を抑え、政府債務残高の対GDP比を引き下げていくことで、財政の持続可能性を実現し、マーケットからの信認を確保していきます。
高市氏は「責任ある積極財政」なるマントラを唱えてはいるものの、財政スペースの大きさを政府債務比率の動向に結びつける発想自体が不健全であり、むしろ「責任ある」財政運営とは到底言えない。

©Cabinet Public Affairs Office, Cabinet Secretariat.(出典)
日本政府(ここでは中央銀行と財務省を統合体として見る場合を指す)は、自国通貨である円を発行している。
この権限と責務を有するのは、他に存在しない。
日本政府は名目上、「無限大マイナス1円」まで発行(=支出)できる(無限大とは「境界も限界も終わりもない、あるいはいかなる自然数よりも大きい」状態を指す。ソース)。
もちろん、政府が実際にどれだけ名目上の円を支出すべきかは、その時々のコンテクスト――すなわち非政府部門の支出・貯蓄の計画と結果――に応じて常に変化する。
政府が経済に対してネットでどれだけの支出を行うべきかを理解するには、まず「財政政策の目的は何か」を問わなければならない。
その答えは、「特定の公的債務比率や財政赤字額を達成すること」ではない。
それは主流派経済学者が掲げる目的であり、機能的な視点からはまったく意味をなさない。
財政政策の機能的な目的とは、国民の福祉を拡大することである。
それには、労働の不完全雇用を低水準に保つことや環境の持続可能性を確保することも含まれる。
日本の場合、それだけにとどまらない。
たとえば、住宅の改修による省エネルギー化、包装におけるプラスチックの過剰使用の削減、調理や暖房におけるガス依存の解消、地方インフラへの投資による人口分散の促進――といった課題が挙げられるし、他にも取り組むべきことは山ほどある。
この機能的な観点からすれば、財政拡張の範囲を、GDP成長率に連動した債務発行額の枠内に制限しようとするいかなる提案も、健全な財政戦略が示すべき方向とは正反対である。
それでは、思考を明確にするために、高市財政のルールに具体的な数値パラメータを当てはめてみよう。
以下は、名目GDP成長率を1〜6%と仮定し、名目政府債務の増加率を名目GDP成長率に一致させた場合のシュミレーション結果である。
下の表は、2025年6月期から2026年6月期にかけての期間における、名目政府債務残高の名目的変化(兆円単位)を示している。
データは財務省が公表している「最近5年間の国債及び借入金並びに政府保証債務現在高の推移」をもとにしている。
債務発行額は財政赤字額と等しいため、名目債務の変化は、高市氏が掲げる財政ルールに基づく名目上の財政スペースの大きさを意味する。
2025年6月期の時点で、インフレ率はおおよそ3%で推移していた。
実質GDP成長率は「名目成長率 − インフレ率」で表されるため、表の最終列にはインフレ率3%を前提とした実質成長率を示している。
2025年6月期の実績では、実質成長率は年率1.7%、名目GDP成長率は年率4.71%だった。
表の各列を解説すると、第1列は名目GDP成長率であり、年率1%から6%のケースをシミュレーションしている。
第2列は、高市財政ルールを適用した場合における、各仮定上の名目GDP成長率に対応する名目公的債務残高の変化を示している。
第3列は、2025年6月期のインフレ率が3%で安定していると仮定した場合における、各仮定上の名目GDP成長率に対応する実質成長率を示している。
| 名目GDP成長率(年率%) | 名目債務増加額(兆円) | 実質GDP成長率(年率%) |
| 6 | 79.9 | 3 |
| 5 | 66.6 | 2 |
| 4 | 53.3 | 1 |
| 3 | 39.9 | 0 |
| 2 | 26.6 | -1 |
| 1 | 13.3 | -2 |
仮に名目成長率6%(実質3%)なら、名目債務は約80兆円増える――これがルール内で許される財政赤字の増加範囲である。
だが名目成長率が3%(実質ゼロ成長)なら、赤字拡大は40兆円に制限される。
つまりこのルールは、「全体の経済活動が活発なほど財政赤字を増やせる」という強烈なプロシクリカル(景気変動増幅的)政策になる。
表は、この財政ルールを適用した場合にどのような結果をもたらすかを明確に示している。
この提案では、GDP成長率が低下(鈍化)している局面において、「許容される」国債発行額が減少することになる。
現行の制度的枠組みの下では、国債発行額の大きさは各期の財政赤字の規模に直接的に連動しているため、これはすなわち、GDP成長率が落ち込む局面で政府が裁量的な財政赤字を削減せざるを得なくなることを意味している。
通常であれば、GDP成長率が低下しているときには、政府はネット(正味)の公共支出(すなわち財政赤字)を拡大させることで経済を刺激しようとするはずであり、その逆であってはならない。
したがって、財政政策は、本来、完全雇用と整合的な生産水準を確保するために、非政府部門の需給ギャップを埋める役割を果たすべきである。
その役割を果たすためには、財政はカウンターシクリカル(景気変動抑制的)な対応が求められる。
よく考えてみてほしい。実質GDP成長率が低下しているときには、失業や不完全雇用が増大するのだ。
高市氏の「新しい財政規律」の下では、政府は財政赤字を減らすことになるだろう。
しかしそれは、すでに悪化している労働市場の状況をさらに深刻化させることになる。
このため、私にはなぜ高市政権がこの「新しい財政規律」なるルールを正当化できると思っているのか、まったく理解に苦しむ。
さらに注目すべきもう一点は、表に示された数値には金利変動の影響が考慮されていないということである。
これが議論を一層複雑にしている。
現時点で、国債の利払い費は政府支出全体の約24.5%(28兆2,179億円)を占めている。
これは非政府部門にとっての所得である。
ただし後述するように、発行済みの日本国債の大部分は日本銀行が保有しているのが実情である。
さらに、日本銀行は四半期ごとに需給ギャップと潜在成長率の推計値を公表している。
2025年6月期の最新データによれば、需給ギャップはマイナス0.32%、潜在GDP成長率は年率0.66%と推計されている。
私はすでに、これらの推計値が実際の潜在的な余剰能力を大幅に過小評価している可能性が高い理由について書いている。
内容を読み返したい読者は、最近のブログ記事「Japan challenges – is there really a labour shortage? – Part 5(日本の課題──本当に労働力不足なのか?– パート5)」を参照してほしい。
実質ベースで見ると、この需給ギャップは、2025年6月期のデータに基づけば、もしギャップが完全に解消された場合、潜在的な生産量が実際の水準より1兆7,999億円高いことを示唆している。
この実質値を名目GDPに換算するためにはいくつかの仮定を置く必要があるが、現在のインフレ率を前提とすれば、名目GDPは2兆324億円高くなるという計算になる。
したがって、これらの数字に基づく限りでは、(財政赤字の)拡大の余地はあまり大きくないということになる。
しかし、これらの最近のブログ投稿における分析は、その見方に異議を唱えている。
1. Japan challenges – is there really a labour shortage? – Part 5(日本の課題──本当に人手不足なのか?– パート5)(2025年10月23日)
2. Japan challenges – is there really a labour shortage? – Part 6(日本の課題──本当に人手不足なのか?– パート6)(2025年10月27日)
財務省は定期的に『日本の財政関係資料』(最新版は2025年4月版)を公表している。
その内容は一貫して財政再建、すなわち緊縮政策に関するものだった。
現在の財政赤字は、名目GDP比でおよそ4.5%の水準にある。
計算してみると、名目成長率3%のもとでこのルールに基づいて財政赤字を拡大させることは、政府が投入するネットの支出額を大幅に増やすことになる。
では、実際にそれだけの実物資源のスペースが存在するのだろうか。
言い換えれば、財政スペースをこうした金融指標に結びつけるのは、まったくナンセンスである。
本来、利用可能な財政スペースとは、政府支出によって遊休能力(生産資源)を再び生産に活用できる範囲のことである。
したがって、その状況を公的債務比率の動きだけを見て判断することはできないし、すでに述べたように、その比率の変動だけに焦点を当てることは、政策上の誤った選択につながりやすい。
私たちは、過去に何度もそうした誤りを目にしてきた。
最後に、高市氏が提案するようなルールに従わなければ国債発行の信認が保てないという含意は、現実によってまったく裏付けられていない。
通貨を発行する政府にとって、国債の発行は常に「実行可能(feasible)」である。
日本国債(JGB)を購入したいと望む民間機関投資家が不足することは決してない。
いわゆる応札倍率(bid-to-cover ratio)──これは各国債入札で、落札額に対して何倍の応札があったかを示す指標──は、常に発行額を大きく上回っている。
つまり、日本国債を買いたい投資家の列はいつも長く、市場は国債をもっと欲しがっている状態にあるのだ。
最近の30年物国債の入札では、応札倍率が3.31倍だった。
これは供給量に対して約3.3倍の需要があったことを意味する。
これら長期国債の直近12か月平均では、およそ3.38倍の水準となっている。
直近の10年物国債の入札でも、応札倍率は3倍であった。
すべての年限の国債に対して強い需要が続いており、その結果、過去1か月間で利回りは低下している。
さらに先ほど述べたように、日本銀行は現在、発行済み日本国債の51.7%を保有しており、日本国債と短期国債を合わせると、その保有比率は46%に達している。
言い換えれば、政府(統合された中央銀行と財務省)は、自国の債務の半分以上を自ら保有しているということになる。
したがって、「政府のマネーはいつか尽きる」という主張は、全くのナンセンスである。
先ず、政府の片方のポケットがもう片方のポケットに国債を売る。次に、国債を買った側のポケットは利払いを受け取るが、この利子は配当という体裁を取りながらも実質的には(国債購入の代金が)送り返されているにすぎない。
この現実は、滑稽ですらある。
そして仮に、「市場」が国債の購入を望まなくなるという事態が万が一起こったとしても、政府は制度の枠組みを変更し、国債発行自体をやめることができる。
それでも政府の支出能力は、今とまったく変わらない。
なぜなら、政府こそが通貨の発行者であり、それも唯一の通貨発行体だからである。
したがって、公的債務の動きによって財政スペースを測ろうとする一連の議論は、まったくもって馬鹿げている。
結論
高市氏の率いる新しい日本政府は、名目的な金融指標だけで規定された財政ルールについて語るのをやめるべきである。
代わりに、日本が直面している実物上の課題を明確にし、実物資源制約の範囲内で、資金を配分すべきである。
今日はここまで!
[Bill Mitchell, “Japan – errant fiscal rule is sure to backfire” William Mitchell – Modern Monetary Theory, Oct 30, 2025]