●Alex Tabarrok, “John Locke in Washington”(Marginal Revolution, February 10, 2010)
猛吹雪(スノーポカリプス)の中からやっとの思いで愛車を救い出した市民たち。その前に立ち塞がっているのは、もう一つの試練。火花散るひと悶着を引き起こしかねないジレンマだ。道路脇に停めていた愛車を「氷の墓」から(せっせと雪かきして)救い出したあなた。雪かきした後にできたスペース(車一台分の駐車スペース)は、誰のものなのだろうか? 太陽が道路脇の雪を残らず溶かしてしまうまでは、あなたのものなのだろうか?
ワシントンの冬は、比較的穏やかなことが多い。そのため、先述の疑問への解答を与えてくれるような吹雪時のマナーが市民の間で定着するに至っていない。
それとは対照的なのが、(吹雪に見舞われるのが珍しくない)ボストンだ。ボストン市では、雪かきという重労働の見返りを手にする権利が法律で擁護されているのだ。あなたが愛車を「氷の墓」から雪かきして救い出し、雪かきした後にできたスペースに椅子だとかの目印を置いたとしよう。ボストン市の条例では、仕事に行くためにその場を離れている間も、目印が置かれたそのスペースを最低でも2日間は「あなたのもの」にする権利が認められているのである。
ワシントン・ポスト紙に掲載された記事からの引用だ(ドナルド・マロン経由で知ったネタ)。
(追記)フレッド・マケズニー(Fred McChesney)のこちらの論説もあわせて参照されたい。「雪かき」という労働を例にして、「所有権」に関する一般的な教訓が引き出されている。