ジョセフ・ヒース「学問としてのマルクス主義はなぜ凋落したのか」(2024年9月15日)

未だにレトリックとして効果を持ち続けていることを別にすれば、マルクス主義は役立たずになってしまったのだ。

先日投稿した「ジョン・ロールズと西洋マルクス主義の死」(原文はここ、邦訳はここで読める)という記事が、このブログ(In Due Course – substak)に投稿してきたこれまでのどのエントリより数倍も多くの読者に読まれた。私はこの事実を突き付けられ、最近の人が何を読みたがっているのかについて、自分が根本的に何も分かっていないことを認めざるを得なくなった。これほどたくさん読まれると分かっていたら、このエントリはもうちょっと違った形で、カジュアルさを落として書いていただろう。

具体的に言うと、先のエントリは、私の人生の一時期に政治哲学の分野で起こった1つの論争を説明しようとしただけだった。西洋マルクス主義の運命について全般的な説明を行おうとしていたわけではなかったのだ。そこで私が述べたのはある意味で、(少なくとも哲学者の間における)マルクス主義理論へのとどめの一撃である。だが、マルクス主義がとどめの一撃を食らったのはこれが初めてではなかった。先のエントリに対する読者の反応の大部分は、「この問題はどう?」とか「あの問題は?」といった類のものであった。そのため、より完全な全体像を示すのが有益だろう。本エントリは、このブログの新しい読者に向けたファンサービスと考えてほしい。

話を単純にするため、政治的事象(ソ連崩壊など)がマルクス主義の命運に及ぼした影響は脇に置いて、マルクス主義の思想史に焦点を当てたい。このエントリの目的は、先のエントリと同様、大学には左翼の学者がたくさんいるのに、マルクス主義者がもはやそれほど多くないのはなぜなのかを説明することだ。言い換えればこのエントリの目標は、トマ・ピケティのような人物が、口先ではマルクス主義的な素振りを見せていても、いかなる意味でもマルクス主義者とは言えない理由を説明することだ。ピケティの階級分析はマルクス主義的ではないし、その規範的立場もマルクス主義ではなく平等主義だ。資本主義が不平等を生み出すメカニズムの説明もマルクス主義的ではない。そして彼が求めているのは主に税制改革であって、資本主義の転覆ではない。そういうわけでピケティは、マルクス主義的な雰囲気をふりまいて楽しんでいるが、実際には私が先のエントリで述べた、現代のリベラル平等主義のヘゲモニーの純粋な体現者である。

学問としてのマルクス主義はまず、社会科学理論として失墜した。マルクス主義が明確に規範的な〔資本主義への〕批判として復活したのはその後のことである。そしてマルクス主義は、先のエントリで述べたように〔規範理論として〕第2の死へと至った。科学的マルクス主義の主要な問題は20世紀初頭から明確に表れ始めていた。これには以下の問題が含まれる。

1. 労働価値説。マルクス主義の最初にして最大の問題は、労働価値説の凋落から生じた。「古典派」経済学(19世紀には標準的だった見解)と「新古典派」経済学(現代のほぼ全ての経済学者が受け入れている見解)とのまずもっての違いはこうだ。マルクスなど古典派経済学者の考えでは、商品の価格は、生産に伴う労働時間の量で決まる。一方、新古典派経済学者の考えでは、価格は需要と供給の力で決まる。決定的な変化が生じたのはアルフレッド・マーシャルの著作においてだった。マーシャルは需要曲線と供給曲線を用いるおなじみの「限界」分析を創始した人物で、これは今や世界中の経済学部で教えられている。限界分析はたくさんの利点を持つが、最も重要なのは、古典派の理論で無視されていた需要サイドの事柄(例えば、人々は様々な財をどれくらい欲しているか)を考慮に組み入れていることだ。

マルクス主義者の多くは、この困難を避けるために労働価値説の解釈を変更した。この解釈によれば、労働価値説とは、経済的価値の究極的な源泉に関する形而上学的主張である。結局、ある意味ではどんな価値も労働によって生み出されていると言える。資本は具現化された(embodied)労働の蓄積に過ぎないからだ。問題は、マルクスが経済に関してもっと具体的な経験的主張をたくさん行っていることである。こうした主張は、財の価格が実際に、生産のために必要な労働の量で決まるとの前提に依存している。最も重要なのは剰余価値の概念だ。剰余価値という概念が意味をなすには、労働の実際の価格、そして労働を通じて生み出された商品の実際の価格が、生産に伴う労働時間の量によって決まっていなければならない。そのため、労働価値説が、市場均衡価格を決定するメカニズムについての主張として経験的に間違っていることが分かれば、剰余価値の概念は意味をなさなくなる。剰余価値概念がダメになれば、ドミノ倒しのように他の部分もダメになっていく……。

ところで、哲学者の多くにはまだこうした情報が回ってきてない。そのため哲学者は、剰余価値の概念を使い続けながら、釈明もしなければ(マーティン・ヘグルンド『この生――世俗的信と精神的自由』)、その語で何を意味しているかの説明もしない(ナンシー・フレイザー『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』)。剰余価値は、フロギストンの経済バージョンになりつつある。

2. 危機理論。19世紀の大半を通じて、資本主義システムは勝手に自滅するだろうとの予想は、それほど突拍子もないことではなかった。当時の資本主義は極度に不安定だったからだ。例えば1870年から1914年の間に、アメリカ経済では11回の景気後退が生じ、7回もの大規模な取り付け騒ぎが起こった。残念ながら、19世紀の経済学者の大半と同様、マルクスも景気循環の原因についてよく理解していたわけではなかった。マルクスは資本主義の「危機傾向」に関してたくさんの挑発的な主張を行ったが、彼の理論の正確な内容については解釈者の間でもほとんど合意がない。マルクスの行った最も具体的な主張は、資本蓄積が生産の機械化をおし進め、商品が市場に溢れると同時に賃金は下がるので、過少消費/過剰生産の問題がますます深刻になっていく、というものだと思われる。

こうした考え方全体をひっくり返したのがジョン・メイナード・ケインズだった。ケインズは、景気後退期の需要不足をもたらすのは過剰生産ではなく、貨幣の不足だということを示した(この点を非常に単純に説明したポール・クルーグマンの有名なコラムがある〔邦訳はここで読める〕)。そのインプリケーションはこうだ。景気循環(マルクスはそれが資本主義システムの根底にある「矛盾」を明らかにすると考えていた)は実際にはむしろ、貨幣システムの調整の問題であり、銀行規制、利率のコントロール、政府支出によって対処可能である。これは単なる理論的ブレークスルー以上のもので、一連の政策変更をもたらした。そうした政策は実際に、景気循環を穏やかなものに抑えて、資本主義システムの不安定性を劇的に低下させた。

対照的にマルクスは、景気後退の最も基本的な特徴の一部(例えば、景気後退に先行して銀行システムの危機が生じがちだという事実)すら説明する術を持たなかった(例えばこの動画を見てみよう。これは2008年の金融危機に対してマルクス主義的な説明を提示しようとしたものだ。動画をしっかり注意深く見れば、決定的なところで実際にはなんの説明も提示できていないことに気づくだろう)。

3. 史的唯物論。ほとんどの経済学者は、上の2つの問題だけでマルクス主義を捨てるべきだということに納得した。しかしもちろんマルクスは単なる経済学者をはるかに超えた存在であり、非常に影響力ある社会理論家だった。とりわけ重要なのは、なぜ社会が時間とともに変化していくのか、あるいは進歩していくのかを説明しようと真剣に試みた最初の人物の1人だったことだ。これが「史的唯物論」の要諦である。史的唯物論がよくある「理想主義」的な説明と異なっていたのは、生産技術の発展こそが歴史的変化の駆動力だと主張した点であった。史的唯物論は強調点を変化させて、既存の見解の多くに対して重要な修正を行った。だが、階級対立や下部構造-上部構造の関係についてのマルクスの中心的主張が文字通り正しいと考える人は、今ではほとんどいない。

史的唯物論の最初にして最大のつまずきは、20世紀のナショナリズムの重要性を予測できず、説得的な説明も与えられなかったことから生じた。マルクスは宗教を上部構造の一要素と分類していた。マルクスの考えでは、宗教は歴史の進歩を妨げることはあっても、社会変化のメカニズムにおける実際の駆動部(moving part)ではない(マックス・ウェーバーがこの見解に疑義を投げかけたのは有名だ)。マルクス主義者はナショナリズムを宗教と同じように分類しがちだったため、労働者階級の連帯が国民的・民族的な境界線に沿って簡単に分断されてしまい得ることに不意を突かれた。さらに技術変化に関して言えば、マルクスは生産技術の発展にのみ焦点を当てており、人類の歴史において軍事技術の変化が果たした役割について何も語っていない。実際、歴史的発展を説明する際、マルクスは基本的に軍隊を社会的アクターとして位置づけなかった。ナショナリズムと軍隊について語るのを避けたことは、第二次大戦後ひどく目立つようになり、マルクスの理論は救いようがないほど不適切だと見なされるようになった。

そのため、今もたくさんの社会科学者が明らかに史的唯物論の影響を受けた仕事を行っているが、有力となっている諸見解は、マルクスよりももっともっとたくさんの駆動部を組み込んでいる(例えば、アーサー・スティンチコムの『経済社会学』“Economic Sociology”〔未邦訳〕やマイケル・マンの『ソーシャルパワー』を見よ)。

4. ポスト希少性状況。マルクスが未来の共産主義社会のシステムについてほとんど何も語らなかった理由の1つは、産業の進歩が「ポスト希少性」状況(として後に知られるようになったもの)をもたらすと予想していたからだ。一般的な考えは、労働の機械化によって生産性が改善されていくと、全員のニーズを容易に充足できる状態にまで達し、「商品形態」は廃絶されるだろう、というものだ。この見解によれば、分配上の対立を解決するための原則的方法は全く必要ない。所有というものが間もなく廃れるからだ。共産主義の「最高次の段階」では、誰もがあらゆるものをいくらでも手に入れられるので、もはや所有しておく価値のあるものなどなくなるだろう。

依然としてこうした見解に惹かれている人もいる(アーロン・バスターニ『ラグジュアリーコミュニズム』)。だがほとんどの論者は、ソースティン・ヴェブレンの『有閑階級の理論』がこの見解に致命傷を食らわせたと見なしている。ヴェブレンはこの本で、誰もが完全に充足すること(general satiation)は不可能だと指摘した。物質的消費の大部分は、集計レベルではゼロサムな結果を実現するための手段だからである(最も明らかな例は社会的ステータスだ)。これは競争的消費を生み出す。「最も基礎的な物理的欲求が満たされれば」、競争的消費が「集団レベルでの産業の効率性や財のアウトプットのいかなる増大も吸収しようと手ぐすねを引いている」(ジグムント・フロイトはこれに関わる論点を『文化への不満』で指摘した。これは精神分析によるファシズムの優れた分析と組み合わさって、マルクスとフロイトを融合しようとするフランクフルト学派のネオ・マルクス主義の潮流を生み出した)。

ポスト希少性状況が実現することは永遠にないだろうとの示唆により、社会主義にも規範理論(例えば分配的正義の理論)が必要だと多くの人が考えるようになった。経済成長によって階級対立が消えてなくなると期待できないなら、それがもたらす問題を処理し、あるいは解決するためのよりよい方法を考える必要があるからだ。

5. 社会主義計算論争。ポスト希少性状況という考えが議論の土俵から取り除かれると、理論家の多くは、現存した社会主義国家が直面していたのと同じ問題が自分たちにも突き付けられていることに気づいた。それは「市場を取り去ったら、労働者は自分たちが生産すべきものをどうやって知ればよいのか」という問題である。社会主義であれ資本主義であれ、どんな社会でも、価格システムがなければこの問題に答え始めることすらできないことは容易に理解できる。だがフリードリヒ・ハイエクは、資本主義の評価に関して、ゲームを劇的に転換させた。ハイエクの主張によると、市場の見えざる手を支持する論拠として最も重要なのは、(アダム・スミスが言うような)道徳的動機の節約ではなく、価格の計算に優れていることだ。市場はどんな直接的な協力システム(官僚制や巨大コンピュータ)よりも、価格の計算を上手く行える。このハイエクの主張は、市場を別の何かに置き換えて価格計算を行うことはそもそも可能なのか、といういわゆる「社会主義経済計算論争」をもたらした。この論争には多くのものが賭けられていたということを記しておくべきだろう。ヴェブレンの議論が正しく、ポスト希少性状況に到達することが永遠にないなら、現存した社会主義が直面していた状況(経済全体で各財をどれだけの量生産すべきか計算するための苦闘)は、単なる移行期の問題ではなく、社会主義社会の永続的な状況ということになるからだ。

厳密に言うと、この論争に勝ったのは社会主義者の側だった。だがその勝利には割に合わないほどの代償がついてきた。社会主義者はそうした価格を〔市場なしに〕計算するのが可能だと示すことに成功したが、そのために満たされなければならない条件は非常に厳しかったのだ。実際的な観点からすると、市場は常に他より優れているだろう。そのため(そしてこれこそが真に重大なシフトであった)、ほぼ全ての社会主義者が中央計画へのコミットメントを放棄して、価格決定メカニズムとしての競争市場を組み込んだ社会主義スキームを支持するようになった。これは今日でも当てはまる。騒がしい自称社会主義者がどれほど資本主義を非難しても、資本主義に対するどんなオルタナティブを想像しているのか問い詰めれば、答えは大抵、大袈裟な言葉でごまかしているだけの「市場社会主義」である。これはこれで結構なことだ。だが市場による価格設定の必要性を認めてしまえば、社会主義は基本的に骨抜きにされてしまう。人々がこれまで嫌ってきた資本主義の特徴のほとんどは、「市場社会主義」でも保持されているからだ(例えば利潤指向企業、失業、汚染、景気後退、資本提供者への支払い、商品化、疎外、などなど)。

社会主義者にとっての問題は、社会主義経済の仕組みについて真剣に考え始めると、滑りやすい坂道を転がり始めてしまうことだ。資本主義の革命的転覆へのコミットメントが段々と、生ぬるいコーポレート・ガバナンス改革の提案にまで削ぎ落されてしまうのである。社会主義者はそれを回避しようとして、労働者協同組合(モンドラゴン [1]訳注:スペイン・バスク州を基盤とする労働者協同組合の集合体。大規模な協同組合の例として有名。 だ、やったね!)や職場民主主義に曖昧にコミットすることが多い。だが現代の重要な研究によれば、企業行動に関して、企業の所有の問題は、企業内部のエージェンシー問題をいかに解決するかという問題に比べればほとんど重要でない。こうした研究に目を向ければ、労働者協同組合や職場民主主義へのコミットメントは維持不可能だ。さらに、株主を取り除きたいという欲望は大抵、銀行に大きな力を与えることになる(どのみち企業はどこかからお金を持ってこないとならないのだから)。結局のところ、この賭けにはロウソク分の価値がない(le jeu n’en vaut pas la chandelle)〔つまり、こうした試みは割に合わない〕。社会主義を要求するかわりに、既存の政府や税制を使って資本主義をいじくる方がマシである。

実際、研究者の多くは、こういった「社会主義の青写真」について真剣に考えるのを単に避けている。やってみても結果は惨憺たるものだろうと感じとっているからだ。そのため自らをマルクス主義者と称する人々でさえ、張り子の虎となってしまっている(毛沢東ならそう言っただろう)。自称マルクス主義者たちは、資本主義と異なる原理によって経済を組織化するための一貫したプランを何も持っていないのだから。持っているのは、既に上手くいかないことが分かっている(あるいはモンドラゴンのように、一度も再現に成功していない)道具でいっぱいになったごちゃ混ぜの道具箱だけだ。

前回のエントリでは、1970年代に学術的なマルクス主義が資本主義への規範的批判として劇的な再生を遂げ、最終的にはリサーチ・プログラムとして失墜したことを語った。本エントリは、そうしたストーリーの背景部分にあたる。

ついでに言っておくと、上で論じた5つの論点のどれも、「ネオ・マルクス主義」の膨大な潮流を生み出した。ネオ・マルクス主義者は、個々の問題に関してマルクスの明らかに間違った見解を捨てた上で、マルクスの教説の他の側面を保持しようと試みてきた。だが時が経つにつれ、あまりにもたくさんの種類のネオ・マルクス主義が生まれたため、そうした諸見解の重なる共通部分がなくなっていき、「マルクス主義の伝統」と明確に呼べるようなものは何もなくなってしまった。

以上の物語を聞いて残念に思う人もいるだろう。そうした人に向けて慰めの言葉をかけておきたい。マルクス主義のどこが重要だ(あるいは正しい)と思っているにせよ、今ではマルクス主義よりもっとよい理論が存在する。そうした理論を使えば、擁護不可能な誤った理論的コミットメントを背負わずに、主張を明確かつ説得的に提示することができる。未だにレトリックとして効果を持ち続けていることを別にすれば、マルクス主義は役立たずになってしまったのだ。

[Joseph Heath, Key stages in the decline of academic Marxism, In Due Course, 2024/9/15.]

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1 訳注:スペイン・バスク州を基盤とする労働者協同組合の集合体。大規模な協同組合の例として有名。
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