認知面における近道(ショートカット)――ヒューリスティック――に頼って情報が処理される結果として、意思決定に系統的なバイアス(偏り)が生まれることが時としてある。そのバイアスがなかなか正(ただ)されずに、競争が激しい市場であってもその影響を受けるなんてこともあり得る。取引されるのが高価な品であり、売り手も買い手も強(したた)かで、売買のプロセスが洗練されている市場であっても、バイアスの影響を受けることがあり得るのだ。中古車市場を対象にして、最終的な買い手(中古車の購入者)が「左桁バイアス」として知られているヒューリスティック――一番左の桁の数字が何であるかに注視する一方で、その他の桁の数字が何であるかには大して注意を払わない傾向――に頼るせいで市場の動向にどんな影響が及ぶかを探っているのが、 「中古車市場におけるヒューリスティック思考と注意不足」――“Heuristic Thinking and Limited Attention in the Car Market”(NBER Working Paper No. 17030)――と題されたニコラ・ラチェテラ(Nicola Lacetera)&デヴィン・ポープ(Devin Pope)&ジャスティン・シドナー(Justin Sydnor)の三人の共著論文である。
三人の論文では、中古車の売り手と中古車販売業者との間でオークションを通じて売買された2,200万台を超える中古車の取引データが利用されているが、走行距離が10,000マイル(1万マイル)~ 100,000マイル(10万マイル)の範囲に収まっている中古車の買取価格(落札価格)がどうなっているかを具(つぶさ)に調べたところ、走行距離の一番左の桁(万の位)の数字が1増えるのに伴って買取価格がガクッと大幅に――150ドル~200ドルほど――落ち込んでいるのが見出されたという。例えば、走行距離が79,900マイル~79,999マイル〔走行距離の一番左の桁の数字が7〕の中古車の買取価格の平均値は、走行距離が79,800マイル~79,899マイルの中古車の買取価格の平均値を10ドルしか下回っていない [1] 訳注;別様に表現すると、走行距離が1マイル~199マイル長くなるのに伴って、買取価格(の平均値)が10ドル下がっていることになる。のに、走行距離が80,000マイル~80,100マイル〔走行距離の一番左の桁の数字が8〕の中古車の買取価格の平均値をおよそ210ドルも上回っている [2] 訳注;別様に表現すると、走行距離が1マイル~200マイル長くなるのに伴って、買取価格(の平均値)が210ドル下がっていることになる。というのだ。走行距離の左から二番目の桁(千の位)の数字が1増えても買取価格は落ち込むが、その落差はずっと緩(ゆる)やかだという。
左桁バイアスの影響が顕著なのは、中古車の買取価格だけではない。中古車の売り手の意思決定にもその影響は顕著なようだ。中古車の売り手が強(したた)かで、左桁バイアスが買取価格に及ぼす影響に気付いているとしたら、どうしそうだろうか? (車をできるだけ高値で売るために)走行距離の一番左の桁の数字が変わる前に車をオークションに出品しようと試みるのではなかろうか? 現実にもその通りになっている。走行距離の万の位(一番左の桁)の数字が変わる(1増える)かどうかという間際で、中古車の出品台数が劇的に増えているのだ。
左桁バイアスが中古車市場に色んなかたちで影響を及ぼすのは、誰がぼんやりしている(注意が足りない)せいなのだろうか? 中古車の売り手? 中古車販売業者? それとも、中古車の最終的な買い手? あれこれの証拠――中古車の出品台数に見られるパターン、オークション慣れしている中古車販売業者による落札(購入)パターンとオークション慣れしていない中古車販売業者による落札パターンの比較、(中古車販売業者を間に挟まずに)個人間で取引する中古車のネットオークションのデータなど――に照らすと、走行距離の一番左の桁の数字が変わる(1増える)のに伴って中古車の価格に大きな違いが生まれるのは、中古車の売り手や中古車販売業者ではなく、中古車の最終的な買い手が(左桁バイアスに陥って)ぼんやりしているためということのようだ。
〔原文:“Limited Attention in the Car Market”(The Digest, No. 9, September 2011)〕