
2000年代から2010年代にかけて,アメリカでは低成長が続き,企業投資は低水準で,企業活力も低下していた.それに,企業の集中も進んだ.少なくとも全米で均すとそうだった.大勢の経済学者たちがいろんな手がかりからこんな仮説を立てた――「独占力が強まってきたせいで経済の活力が下がってしまっているんじゃないか.」 リナ・カーンと「新ブランダイス派」(”neo-Brandeisan”) の反トラスト運動を突き動かしたのは,実のところこの仮説ではなかった.でも,おそらく,カーンの政策を批判した経済学者がほんの一握りしかいなかった理由は,おそらくこの仮説にある.
ところが,ここ数年で新しい研究がどんどん出てきて,市場支配の実態はいままで考えられていたのよりもずっとややこしく入り組んでいるのが見えてきている.たとえば,Albrecht & Decker (2025) によれば,産業レベルで見ると,価格マークアップ(独占力の指標)と企業活力のあいだに,まったく相関が見出されないという.それどころか,企業が自社製品の価格をより高く設定している産業ほど,その産業に新規参入する企業がわずかに多いのが見出されている.ここから,どうやら2010年代に多くの人たちが語っていた物語,つまり「大きくて力のある企業がスタートアップの成長を阻んでいる」という筋書きは,事実ではなかったらしいのがうかがえる.
もう一つ興味深い論文をあげよう.Creanza (2025) の研究では,19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカ企業がたくさん合併した時期を検討している.当時,この合併の波を見て,独占力について世間で懸念が高まった.ところが,この研究によれば,相次ぐ合併は,企業レベルでのイノベーションを増加させることにもつながっていたそうだ.ようするに,大規模な工業企業は大きな産業研究所をもつ傾向があって,それによってたくさんの発見がなされたんだ:
本論文では,アメリカ史上もっとも企業合併が多かった 1895年から1904年の「大合併時代」を検討し,〔合併で生まれる〕大企業がアメリカ発イノベーションにどう影響したのかを明らかにする.1880年から1940年の期間に,アメリカは化学・電子・通信分野で画期的発見が相次ぐ黄金時代を過ごした.これにより,アメリカは技術面での優位を確立した.(…)本稿では,合併がイノベーションを大幅に増やしたことを示す.(…)様々な企業の研究開発所設立が,こうした向上を駆動した主要メカニズムとなった.(…)研究所をもつ企業は,生産性プレミアムを有していた.(…)全体として,大合併時代の 1905年から 1940年に,画期的発見・発明は 13% 増加している.なかでも増加がもっとも多かったのは科学に立脚した分野だった(30%増).
これはべつに新しい考えじゃない.ジョン・ケネス・ガルブレイス,ヨーゼフ・シュンペーター,ウィリアム・ボーモルらを筆頭に,多くの経済学者たちがこんな説を立てていた――「市場支配には,大きくて収益性の高い企業がコストのかかる大きな研究所を運営できるという利点がある」「いくらか競争が働いているかぎりは,これがもたらすイノベーションで経済全体が恩恵を受けうる.」 大きくて強力な企業が有用な研究に資金を注ぎ込む企業研究所といえば,間違いなくいちばん有名はベル研究所だ.(冒頭の写真).実は,今年のノーベル経済学賞を受賞したフィリップ・アギオンとピーター・ホーウィットの受賞理由は,「寡占がイノベーションを促進する」という理論だった.その点で,Creanza (2025) がこの古典的な説を支持する歴史的データをいくらか見出しているのは,興味深い.
実は,この効果は今日の AI にも生じているのが見てとれる.市場支配力をもつ大手3社,Google,Meta,Microsoft は,AI ブームを牽引する中心的な役割を果たしている.実際,現代の AI を支える基礎技術の進歩の多くは,Google の研究所でなされた.ところが,これら3社,つまり検索広告の Google,ソーシャルネットワークの Meta,PC 向け OS の Microsoft は,ものすごい市場支配と高収益をもたらす強力なネットワーク効果によって利益を得てもいる.リナ・カーンの新しい反トラスト運動で,これら3者は標的にされてきたし,悪玉扱いすら受けている.でも,この3者の市場支配がなかったら,いまアメリカ経済を支えている主要因である AI ブームは起こってなかったかもしれない.
この10年間の反トラスト運動は,物語のすごく重要なところを見落としていたのかもしれない.
[Noah Smith, “Are we wrong on antitrust?”, Noahpinion, November 8, 2025]