ノア・スミス「女性差別が高い出生率のカギってこと?」(2025年7月8日)

出生率をめぐる世間の議論は,ひどく呪われている.高齢化と人口縮小は,長期的に見て経済の大問題だけど,まだ誰も,解決法を考えついていない.それでいて,この問題をめぐる論争がはじまると一瞬で人種差別と性差別へと堕落していって,さらに,人種差別と性差別の非難が続く.そのせいで,この迫り来る脅威と真剣に向き合う用意を,社会全体としてのぼくらはまだ整えられずにいる.

なぜこうなっているかというと,ひとつには,女性の教育と出生率に成り立っている相関がある.このグラフを見てもらおう.平均的な女性が高校を卒業する国に,出生率が高いところはひとつもない:

Source: Peter Hague

右派がこの相関を見ると,たんに因果関係がうかがえるだけじゃなく,鉄の法則が浮かび上がってくる――「人類を維持したければ,女の子たちが学校に行くのと止めないといけない」ってことになってる.それで,彼らはこう信じているわけだ.「生き残る社会は,女性差別をするところだけだ.経済になにかを提供する人としてではなく,産む機械として女性を扱う社会だけが残る.」 当然,こういう考えを聞いた人たちの多くは,すごく憤慨する.

でも,これって事実なんだろうか? 「相関は因果関係じゃない」って口にするだけなら誰だって知ってる.でも,いざ実地でやりましょうという段階で,ほんとにみんなは「相関は因果関係にあらず」の意味することを理解してるんだろうか? 女性の教育と出生率が負の相関を示しているからといって,女性の進学を阻むことで子供がわらわら生まれてくるのかどうかはわからない.

もしかすると,女性の教育水準が低くて出生率が高い国々は,たんに,経済的にひどく機能不全をきたしているだけかもしれない.そのせいで,政府がよい教育制度をつくりだせずにいて,女の子たちは経済的な必要に迫られて働きつづけているのかもしれない.また,機能不全をきたしている結果,人手としてより多くの子供たちが必要とされているのかもしれないし,あるいは,年をとったときに経済的に生きていく頼みの綱は子供しかないのかもしれない――それで,出生率が高いのかもしれない.これが事実だとすると,自国を産業化以前の生活水準にまでもどさないかぎり,学校から女の子たちを追い出したところで,出生率はかつてほど高くならないはずだ.

実は,このあたりの因果関係に関する研究はいくらかある(けど,世間の論争に加わってる人たちで,そういう研究を参照しようとか,そもそも読んでみようと興味を抱く人は,ほとんどいない). アフリカの貧しい国々の研究では,女の子たちが通学する期間を1年増やすと,たしかに出産数は減っている.この効果は十分に大きくて,通学期間が0年から8年に増えたときに観察される出生率低下は,おそらくこれで説明される.

ただ,この推計は,もっと高い教育水準では成り立っていないかもしれない.女性の教育が9年から14年に伸びたときになにか起こるのかは,この研究結果からはわからない.Chen (2022) では,中国の高等教育を検討して,むしろ高等教育で出生率が上がるのを見出している.Monstad et al. (2008) では,ノルウェーを検討して,教育が出生率に及ぼす効果がゼロなのを見出している.また,Cummins (2025) では,イギリスについて効果ゼロなのを見出している.

というわけで,女性1人あたり 7~8人という人口爆発レベルの持続不可能な数字は,女の子たちに教育を受けさせるとおそらく 3~4人あたりに下がる一方で,「最後の1マイル」,つまり人口置換水準未満に出生率が落ちるのは,まったく別の要因によるものなのかもしれない.一人当たり出産数が7~8人なんて数字はほんとにのぞんでいないわけで,女の子たちを学校に通わせるのは,人口安定にとって疑問の余地なくいいことだ.

出生率危機をなんとかしたければ,『侍女の物語』みたいなディストピアに社会を転換しようなんて試みない方がよさそうだね.


[Noah Smith, “Is sexism the key to high fertility?” Noahpinion, July 8, 2025]
Total
0
Shares

コメントを残す

Related Posts