ピーター・ターチン 「社会権力の四つの型」(2023年4月15日)

社会権力――「他人の行動に影響を及ぼす力」――を四つの型に分類すると…

Twitterで「社会権力(ソーシャル・パワー)の四つの源泉」についてつぶやいたら、大量の質問が――異を唱える声もいくつか――寄せられた。Twitterは突っ込んだ議論をするのに格好の媒体とは言えないので、代わりにブログで詳細をまとめようと思い立った。以下の私なりのまとめは、マイケル・マン(Michael Mann)が『Sources of Social Power』(邦訳『ソーシャルパワー:社会的な<力>の世界歴史』)で展開している理論の修正版だと言える。マンが提示している枠組みは、いくらか修正を加えた上で、権力について研究している社会学者たち――例えば、ビル・ダンホフ(Bill Domhoff)――に広く受け入れられている。

まずはじめに問うべきは、(ワットで測れる物理的な力と区別されるところの)社会権力って何ぞや?ってことだろう。「他人の行動に影響を及ぼす力」というのが簡潔な答えだ。「その人の意志に反して」とかいう要件を付け加える理論家もいるが、私はそれには反対したい。「その人の意志に反して」とかいう要件を付け加えたら、社会権力のいくつかの型のうちで最も切れ味が鋭い権力の一つ――説得――を除外しないといけなくなるからだ。あなたが誰かに説得されて何かをしたら、自分の意志でその何かをやったことになるのだ。

「社会権力の主要な型とは?」というのが次なる問いだ。以下では、自然科学者の流儀に倣(なら)ってその問いに答えることにした。私の性分(しょうぶん)なのだが、社会レベルにおける権力のダイナミクスをどうしても「原子」(あるいは「素粒子」)レベルの相互作用に結び付けて理解したくなってしまうのだ。ここで言う「原子」レベルの相互作用というのは、「影響を及ぼす側」と「影響を及ぼされる側」の二者間の相互作用を指している。他人の行動に影響を及ぼす術を分類すると、概(おおむ)ね四つの型に分けられる。他人の行動に影響を及ぼしているのが最もむき出しになっている型(「強制」)からはじめて、そのことが最も捉えがたい型(「説得」)で締め括るという順序で並べると、以下の通りになる。

強制(Coercion):暴力を振るったり脅したりして、誰かを思うままに操る。マンはこの型の権力を「軍事(military)権力」と名付けているが、それだと狭すぎると思う。誰かに何かを強制できるのは、軍隊も勿論そうだが、裁判所とか警察とかもそうだし、ギャングだってそうだからだ。なお、強制(あるいは、罰則)は、肉体に直接危害を加えるのとは別のかたちもとりうる。刑務所に投獄したり、罰金を科したり、 持ち家を没収するぞと脅したり。

経済権力(Economic power):お金を払って誰かに何かをやらせる(あるいは、何かをやらないようにさせる)。強制ほどむき出しじゃないが、その様が直接的で把握しやすい型の権力だ。経済権力を振るうことができるのは、・・・そう、お金持ちだ。

指揮権力(Administrative power):組織内での地位(上司、ボスという地位)を利用して、誰かに何かをするように命令する。マンはこの型の権力を「政治権力」(“political power”)と名付けているが、どうだろうか? 政治家――とりわけ、民主主義国(あるいは、共和国)における政治家――は、説得(社会権力の第四の型)を試みることからはじめるんじゃなかろうか? 政治家がこの型の権力(指揮権力)を行使するのは、選挙に受かった後に限られるんじゃなかろうか? 指揮権力の純粋な形態では、強制も何らかの見返りも伴わずに、誰かに何かをやらせることができる。我々は、ルーティン(日々の習慣)に従うのに慣れきっている。上司からの指示(命令)に従うのもそのうちの一つだ。四つの型の権力のうちで、一つの国家として組織立てられている複雑な社会――今では大半の社会がそうなっている――に生きる人々の行動に一番大きな影響を及ぼしているのが指揮権力だ。というのも、指揮権力は、我々の日常的な行動――朝起きてからの行動、交通ルールに従いながら車で職場に向かう時の行動、職場で働いている時の行動などなど――を統御しているからだ。

説得(Persuasion)あるいは知的権力(ideological power): 一番捉えがたいのに、切れ味が鋭い(ものすごく効き目がある)のがこの型の権力だ。切れ味が鋭いのは、気付かれにくいからだし、そもそも権力として見なされないことが多いからだ。あなたが私に説得されて何かをしたとしよう。それって、その何かをあなたが自分でやりたくてやった・・・ってことになるよね? 説得の使い手は誰かと言うと、従来のメディアやソーシャルメディアを舞台に活躍するあれこれの人物――政治家志望者、弁論家、宗教家、知的リーダー、オピニオンリーダーなどなど――だ。あとは、大きな「名声」(“prestige”)を得ている人気俳優/女優とかのセレブもだ。 大金持ちが名声を手にしたら、お金を払わなくても(=経済権力に頼らなくても)他人の考えや行動に影響を及ぼせるようになる。

重要な但し書き:これまでの話は、あくまでもモデル(理念型)であって、複雑な現実においてそっくりそのままの姿で顔を出すわけじゃない。現実における大抵の状況では、いくつかの型の権力が混じり合っていることが多い。一番「ごちゃ混ぜ」になりやすいのは、指揮権力だろう。上司から何かをするように指示(命令)されると、他の型の権力の影もしばしば同時にちらつくものだ。上司の指示に従わないと、罰を受ける(クビになる)かもしれない。その反対に、上司の指示に従うと、昇給という見返りが得られるかもしれない。説得力があってカリスマがある上司は、アメとムチにしか頼れない上司よりも、部下の行動を思いのままにコントロールできる可能性が高い。

世の中(社会)がどういう仕組みで動いているかを知りたいのなら、時折世の中が政治的に分断されてしまうことがあるのはなぜなのかを知りたいのなら、社会権力の源泉を理解するのが非常に重要になってくる。誰の手に社会権力が集中しているのか? 権力のネットワークが社会権力の持ち主たちをいかにして結び付けているのか? この重要な問いについては、また別の機会に論じるとしよう。

—————————————————-

【訳者による補足】マイケル・マンの「ソーシャル・パワー」論については、本サイトで訳出されている以下のインタビューも参照されたい。

●マヤ・アデレス&ニール・ワーナー「権力・国家・戦争:歴史研究と大国外交の再興にについてマイケル・マンに聞く」(2022年3月1日)


〔原文:“On Social Power”(Cliodynamica, April 15, 2023)〕

Total
0
Shares

コメントを残す

Related Posts