マヤ・アデレス&ニール・ワーナー「権力・国家・戦争:歴史研究と大国外交の再興にについてマイケル・マンに聞く」(2022年3月1日)

マイケル・マンは、ケンブリッジ大学名誉教授兼研究部長、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の特別研究教授である。1月にマン教授に、歴史学、国家の自律性、復活しつつある大国外交について、〔本誌編集員のマヤ・アデレスとニール・ワーナーが〕話を聞いた。

Power, States, and Wars
Posted by Phenomenal World : Maya Adereth , Neil Warner
An interview with Michael Mann on the study of history and the reemergence of great power politics
This article was originally posted on Phenomenal World, a publication of political economy and social analysis.
本記事は、政治経済と社会分析の専門誌『Phenomenal World』誌に掲載されたものである。

マイケル・マンは社会学者として、数十年にわたり、大国とそれが産み出す社会秩序を研究してきている。理論と実証を組み合わせた彼の研究は、その範囲の広さと細部への綿密な配慮という点で、比類ない。彼の4巻にわたる大著『ソーシャル・パワー(Sources of Social Power)』は、新石器時代から2008年の金融危機の余波まで、人間社会を支える権力のダイナミクスを網羅している。マンは、マックス・ウェーバーの研究を発展させ、権力を、イデオロギー(ideological)・経済(economic)・軍事(military)・政治(political)の4つのタイプに区別した(IEMP区分)。彼は、この4つは、相互影響しつつも、本質的には自律性を保っており、異なる手段で機能しているとしている。IEMPモデルを使い、マンは、国家、民族、社会といった概念を分解し、それらの内部や相互間で作用する権力の連動的なネットワークを解明しようとしている。

マンは、この『ソーシャル・パワー』での理論的な枠組みを、人間社会の最も興味深い特徴に適用した研究をいくつか発表している。2003年の著作、『論理なき帝国(Incoherent Empire)』では、世紀の変わり目における、アメリカの利用可能な国力の均衡について考察し、近年のアメリカの国際的な苦境の多くを正確に予測した。翌年の著作『ファシスト達(Fascists)』では、イタリア、ドイツ、オーストリア、ルーマニア、ハンガリー、スペインにおけるファシズム運動を社会学的に分析し、第一次世界大戦後のファシズム・イデオロギーの台頭を解明している。2005年の『民主主義の暗黒面(The Dark Side of Democracy)』では、アルメニア、ナチスドイツ、カンボジア、ユーゴスラビア、ルワンダにおける民族浄化の実態を検証している。近刊の『戦争論(On Wars)』では、共和制ローマ、中国、日本、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、中東、アメリカにおける戦争の歴史を分析している。

マイケル・マンは、ケンブリッジ大学名誉教授兼研究部長、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の特別研究教授である。1月にマン教授に、歴史学、国家の自律性、復活しつつある大国外交について、〔本誌編集員のマヤ・アデレスとニール・ワーナーが〕話を聞いた。

マイケル・マンへのインタビュー

マヤ・アデレス:あなたの知的な遍歴について軽く紹介していただけますか。

マイケル・マン:私が社会学を選んだのは、ほんの偶然ですね。私は、オックスフォードで歴史学の学士号を取得し、その後ソーシャル・ワーカーとして訓練を受けました。その訓練には社会学のコースが含まれていて、私は社会学に惚れ込みました。オックスフォードで博士号を取得し、具体的内容に富んだ実証研究を始めました。バーミンガムからバンベリーへの工場移転に関する論文を書いています。その後、ケンブリッジに移って実証研究を続けました。ピーターボローの労働市場で働く労働者の技能についての大量のサンプルを集め研究しました。エセックス大学に初めて教職に就いた時に、社会学理論等、何も知らない科目の講義を担当する必要に迫られました。面接で、啓蒙主義についての講義を担当できるかどうか尋ねられたのを憶えています。私は、啓蒙主義とは何だろうと漠然と思いながら、「もちろんです」と答えたのです。

これがきっかけで、私は実証的な研究を続けながら、理論的な道を歩むことになりました。マルクスとウェーバーの社会階層論を比較した論文を執筆しました(出版はしていません)。核軍縮運動に参加したことで、権力の3つ目の形態、つまり軍事力の必要性に気づきました。ソーシャル・パワー(社会的権力)の源泉は、ウェーバーや、アルチュセール的マルクス主義が指摘しているような3つではない。4つある、というのが私のモデルの特徴ですね。

なので、いくつかの実証的な事例を使って、このアイデアを探ってみようと考えたのです。古代社会についてほとんど何も知らないまま、「古代国家と近代国家」という論文を書きました。その論文では、専制的権力と基盤的権力の区別について述べました。この区別は、おそらく私の仕事の中で最も引用されているアイデアでしょう。この区別でもって歴史上のいくつかの事例を検証し、それを現代のソーシャル・パワー(社会的権力)の形態と比較しました。そしてこれは、短い本にするアイデアに発展しました。ローマを中心とした章を執筆しているうちに、プロジェクトはどんどん大きくなっていきました。初期の事例研究は『ソーシャル・パワー』の第1巻として結実しました。私の理論は、私が経験的に直面した事例と一緒に進化した感じです。その後、モデルに若干の変更を加えながら、『ソーシャル・パワー』の他の巻の出版を続け、2013年に最後の巻を完成させました。

マヤ・アデレス:あなたは早い時期から、政治活動を行ってきたと述べています。あなたの強い規範的信念と、実証的研究へのコミットメントの関係について話してもらえないでしょうか?

マイケル・マン:あらゆるものがそうであるように、私という個人も、歴史の産物です。ランカシャー州で育った私は、「私たちランカシャー州民は商品の生産に従事し、その生産からの利益を南部の人がかすめ取っている」という実感を常に抱いていました。こうした生まれ持っての性から逃れることはできないのです。しかし、社会科学の最良の形態は、議論によって異なる視点を突き合わせ、実証的であれ何であれ、反証を突き合わせ続けることにあります。むろん、私は戦争についての本を書いてますが、戦争には完全に反対していますし、戦争は人間の非合理性を示すものであるとの立場を明確にしています。しかし、なら戦争は普通の人の利益にならないのに、なぜ行われるのだろう、という疑問が生じます。このように、自分の価値観から興味深い実証的な問いが生まれると思うのです。

マヤ・アデレス:最近、社会科学の分野では、歴史学的手法からの転換が見られます。歴史学は、社会科学的な学問に対してなんらかの役に立ち続けられるのでしょうか?

マイケル・マン:比較社会学や歴史社会学は、学問の中では常に少数派であり、多数派の方の性質も大きく変化を遂げています。もっとも、社会学の理論は、非常に抽象的なものに誘惑されがちです。そして、比較歴史社会学者は、それほど多くはいませんが、彼らは非常に大きな影響力を持っています。私がこの分野に参加した時点で、アメリカのエリート大学だと、比較歴史社会学はかなり人気がありましたね。ウォバッシュ・カレッジ〔訳注:インディアナ州にある小規模の名門大学。男子だけを受け入れる等、独自の校風で知られる〕に行っても比較社会学者や歴史社会学者は見つからないかもしれませんが、アイビーリーグやカリフォルニア大学のキャンパスなら見つけられるでしょう。近年、ミクロ社会学への関心が高まっています。私見ですが、高まりすぎですね。

ニール・ワーナー:あなたは、歴史学と社会学の間だけでなく、エスノグラフィー(民族誌)と定量的手法を折衷してもいますよね。そうしたあなたの〔学問分野をまたいだ〕学際的アプローチの利点と課題は何ですか?

マイケル・マン:近年、歴史学者は、社会学や人類学の考え方を受け入れるようになりました。また、歴史学は、その規模と範囲が大幅に拡大し、「グローバル・ヒストリー」と呼ばれるものがかなり多くなっています。これは間違いなく健全化の兆しです。政治学は逆に、定量的で合理的選択の枠組みに向かっています。〔結果的に〕南アジアに詳しい専門家を見つけるのが、抽象的なモデルに精通してる人よりも、見つけるのが困難となっています。私は、1816年以降の戦争に関する膨大なデータセットから、一連の定量的研究を編み出しましたが、データは西洋に偏っていたため、それ以前の歴史について分析することができなかったのです。ですから、全体として、この〔社会科学の潮流〕変化が、我々の見方を歪めているという議論はありえますね。

ニール・ワーナー:あなたの研究をユニークとしているものの一つが、因果関係のある壮大な物語と、歴史の性質を基本的に偶発的で方向性のないものとして強調するバランスです。あなたは、時代区分の歴史的理解を関する議論において、自分をどこに位置づけていますか?

マイケル・マン:私の考えは、まだ半分しか定式化されていませんが、ある種の二元論に我々は鋭敏でなければならない、というものです。マルクス主義的な弁証法は、それ自体複雑な方法ですが、決定論すぎるのです。私の二元論的な考え方である、ソーシャルパワー(社会的権力)は4つの源泉からなっていますが、それぞれ独自の発展の論理を持っている、としています。この考えにおいても、様々な方向性は存在していますが、それらは偶発的な形で互いに影響し合い、別の結果に至る可能性を常に孕んでいます。もちろん、「経済的な権力」においては、質的に大きな変化があります。しかし、資本主義の発展を見てみると、創造的破壊や独占化のように、そこにはある種の論理が絡んでいます。特定のイデオロギーの発展にも似た傾向を見出すことがでいます。しかし、結果は、偶発性を伴っています。

ニール・ワーナー:あなたの著作『ソーシャル・パワー(社会的権力の源泉)』の執筆は、数十年の歳月を経ておこなわれました。この期間には、ソビエト連邦の崩壊や一連の金融危機が生じています。こうした世界的な出来事は、あなたの執筆プロセスや、時をかけて変化した本の受容にどのような影響を与えたのでしょう?

マイケル・マン:私は「社会主義が資本主義に取って代わる」といった強い理論を展開したことはありません。『ソーシャル・パワー』論は、基本的に方向性を示すモデルを提示しており、柔軟性があります。当初、イデオロギーは、かなり弱い役割しか担っていないと考えていました。しかし、今後それが変わる可能性がありますね。第4巻では、将来に何が起こるかについて強い予測はできませんでしたし、今は絶対にできない、と考えています。「グローバリゼーション」のような社会学的な一般化は、どちらかというと一面的な見解であり、私はあまり魅力を感じません。私は、常々「歴史の流れ」に驚かされたいと思っています。例えば、今回のパンデミックでは、科学に対する信頼が、どのような国でも欠如している事実に驚かされました。〔人々は〕自身の経験や感情を、権威よりも重要だと考えているように見えます。我々が思っている以上に、社会では魔法が重要視されているのです。私は戦争についての本を執筆中に、人間は不規則的に理性を帯びる、もしくは個人的理性という観点ではあまり意味を持たないフレームワーク的な意味で人は理性的である、そしてそのフレームワークには道具的理性に加えて感情やイデオロギーを含んでいる、といった見解に達しました。

マヤ・アデレス:あなたは「社会という概念を捨て去るべきだ」「社会を“パターン化された混乱”として考えるきだ」と主張していますよね。社会という概念には、何が隠蔽されているのでしょう? また、これをもっと一般化してみれば、何かを理解するための分類を行う必要性と、あらゆる分類行為は形式となり基本的に不完全となってしまう、という相反する知見をどう調整すればよいのでしょう?

マイケル・マン:むろん、その発言は挑発を目的としていました。我々は、社会、コミュニティ、国家といった言葉の使用を避けることはできませんし、避けても大した差はないでしょう。現代の世界では、国民国家は依然として重要であり、国境は我々に影響を与えています。我々は国民として、あるいは居住者として、国家の法律に従わねばなりません。政治的権力についてだと、国家のエリートは外交政策についてかなり自由な決定権を有していますが、国内問題については依然あまり裁量権を持っていません。むろん、グローバル化の傾向はありますが、政治的エリートが国民からの制約をほとんど受けずに統治していた歴史上の多くの社会に比べると、今日の国民国家の方がはるかに内部的一貫性があるのです。19世紀フランスだと、市民の多くが、フランスという国家内で生活していることを意識していなかったのです。19世紀のフランス人は、自分たちを「この辺り」とか「プロヴァンス」の出身だと思っていたと、ユージン・ウェーバーは主張しています。当時の市民にとって、フランスという概念は、ほとんど無意味なものだったのです。

マヤ・アデレス:あなたの研究で特徴となっている要素の一つは、おそらく歴史的に広く見られる階層に焦点化するのではなく、国家そのものを自律的な主体として重視している点です。この2つの関係をどのように考えているのでしょう?

マイケル・マン:ある意味では、支配者階級は常に存在していました。しかし、国家の発展とともに、民衆階級も出現しました。支配者階級は、直接の生産者から余剰を吸い上げて生活し、大聖堂・城を建て、戦争行っている、との考え方に賛同する意味で、私はマルクス主義者です。むろん、不満を抱いた地方の貴族が農民一揆を扇動する事例もあるでしょう。農民一揆は、不安定性を孕んでいることが多く、彼らは君主制を究極的には信奉しているため、敗北する傾向にあります。悪代官は存在したとしても、農民は体制そのものを疑問視しないのです。近世になって、急進的なブルジョワジーが出現し、労働者階級と組織化された農民が現れました。このことで、階級構造と国家に大きな変化が生じました。むろん、この急進的ブルジョワジーは、最終的には平等な社会を産み出すことに失敗しましたし、彼らがどこまで平等化に貢献したかについてだと評価は様々でしょう。しかし、彼らは想定されていたよりも小さな貢献だったことが判明しています。そして、今や、大工場とそれに伴う労働組合を生み出した様々な条件が減退しているため、彼らが目的としていた平等主義的な世界を実現する目処は立っていないのです。

マヤ・アデレス:それを踏まえてですが、あなたは、グローバリゼーションを単一のプロセスとして捉えることに反対しています。また、グローバリゼーションは、国家の力を弱めていないとも主張しています。なぜ、国家はこれほどまでに存在感を増してきたのでしょう? また、国家の機能は、時代とともにどのように変化したのきたのでしょう?

マイケル・マン:国家が復権している理由ですが、複合的な要因が組み合わさっています。そのうちの1つは、無秩序よりも、秩序を求める人間の欲求です。秩序こそ、国家が行使できるものであり、国家の大きな魅力の一つとなっています。国家はまた、再分配を行うこともできます。公衆衛生や教育など、全生涯を通しての福祉を可能としています。なので、国家の衰退すはありえないでしょう。むろん、EUは少し例外です。しかしEUは、まだ発展途上にあるように思えます。現在、人々は、自身が国家的なアイデンティティを持っていると想定しているわけですが、そのアイデンティティを包括とするのに何を必要としているのかについては、様々な説が唱えられています。

気候変動は、こうした国家的アイデンティについての考え方を変える可能性があると思います。人の生存において、国家間での大規模な協力が不可欠となっているからです。むろん、それでも国家は重要なファクターであり続けるでしょう。これは、世界的なパンデミックでも観察されました。国家が重要視されたことで、ワクチンの供給不足等を引き起こし、世界中に多くの地域に損害を与えました。しかし、パンデミックへの対応は、国益に基づいて実現したことも事実です。気候変動を解決するには、国家間での相当の調整を必要としています。国家に、そうした調整を行う能力があるかは未知数です。それでも、実現が可能となれば、個々の国家の自立性がかなり弱くなったら世界を見ることができるかもしれません。

マヤ・アデレス:1980年代から1990年代にかけて行われた、いわゆる新自由主義への移行についてです。多くの人は、これを市場による国家の支配であり、場合によっては市場は国家に取って変わった事例だと見なしています。あなたは、これについてどう考えていますか?

マイケル・マン:国家は、新自由主義的な経済政策を後押しする主体であり続けてきました。例えば、金融市場の規制緩和を行ったのは国家です。なので、新自由主義を、純粋に外的な影響力の産物と考えるのは理にかなっていないと思いますね。多くの国家において政治当局者らは、さらなる経済成長として、支出削減と自由化が必要だと判断したわけです。これは、グローバリゼーションによる外圧の産物でしょうか? 私には、そうは思えません。政治当局者らがこうした政策を実施したのは、各国における権力者たちの自己利益に基づいていたためだと思います。私の親友、レスリー・スクレアは、「グローバルな資産家階級が存在している」と主張しています。ダボス会議のようなものを考えると、レスリーの主張にも幾分の真実はあるでしょう。ただ、最終的には利害関係は国家内での現象に留まっていると思いますね。

マヤ・アデレス:2003年のあなたの著作『論理なき帝国(Incoherent Empire)』では、アメリカの帝国主義的な力が不安定化していることを肯定的に評価していますよね。その後、多くの物事が変化しました。あなたが著作で強調した様々な矛盾点は、今でははるかに可視化されたと思います。アメリカ帝国はこれからどこに向かうのでしょう?

マイケル・マン:アメリカは1945年以降、重要な戦争に勝利していません。朝鮮戦争でも、ベトナムでも失敗しています。パナマやグレナダへの侵攻や、サダム・フセイン政権の転覆には成功しました。しかし、傀儡政権の樹立には失敗しています。『論理なき帝国(Incoherent Empire)』で、「帝国の時代は終わった」と私は述べました。なぜなら、〔帝国的統治を行おうにも〕支配に利用できる土着の傀儡勢力がもう存在しないからです(あるいは、存在していたとしても、その社会は民族的・宗教的に分断されています)。アメリカ帝国は、イギリスやフランスが行ったように直接的な支配を行う帝国ではありません。そして、アメリカは、明らかに今でもかなりのグローバル・パワーを保持しています。ただ、このグローバル・パワーは、自国民の死を受け入れることができないのです。世界中の様々な勢力がこの事実を知っており、この点ではアメリカを上回れると考えているのです。つまり、アメリカは戦争に勝利してきていないだけでなく、勝てる見込みすらないのです。

ウクライナでは、アメリカとNATOは限定的な影響力しか行使できていません。現在、中国は、チベット、台湾、南シナ海、インド国境等に至る中華帝国時代の国境線の再現を試みています。これら地域は、中国の観点では、すべて合法的な支配領域と見なされているのです。そして、ロシアは、ロシア語を話す人がいる場所を支配しようと、中国と同じような主張を展開しています。こうした国境を修正しようとする衝動は、歴史的に戦争を生み出す大きな原因となってきました。なので、アメリカは、中国の限定的な民主主義支持に相対しても、中国の台頭を受け入れざるをえなくなっています。私たちはある意味で、冷戦と呼ばれた時代に戻りつつあり、核兵器を再度受け入れつつあります。

マヤ・アデレス: 新著について教えていただけますか?

マイケル・マン:『様々な戦争論(On Wars)』と題された本です。クラウゼヴィッツの『戦争論(On War)』を念頭に置いて、それを翻案した内容となっています。クラウゼヴィッツは、ヨーロッパの特定時期の戦争に着目したのに対して、私は人類史を通じての戦争に着目しています。未知の戦争が大量に存在しているため、全戦争の定量的把握は困難となっています。しかし、私は、人類学や考古学の知見から、ローマ共和国、古代中国、中華帝国、日本、ヨーロッパ、アメリカ、植民地戦争までを調べました。一連の戦争は個別の紛争ではなく、全て繋がっているのです。近代になるにつれ定量的になっていく様々な資料に当たって、できる限りのデータを集めています。

新著では、戦争の原因、そして特定の目的に対応するには戦争がいかに合理的であるかの把握に努めました。本では、〔戦争の〕合理性を根本に置いた理論への反論も試みています。戦争のコストや便益についての計算は過去にはほとんど行われてきておらず、計算が行われていたとして歴史的な制約の中で行われているため、〔今回大規模に計算したことで〕ほとんどの戦争が、手段においても帰結においても合理的ではないことを示せたと信じています。戦争の帰結についてですが、大抵の国家は戦争によって崩壊します。現状の輝かしい戦争像は、ごく少数の生存者によって描かれたものです。しかし、ヨーロッパには約500の政体があった事実、日本には70以上の国家が存在していた事実、あるいは中国や地中海でも同様だった事実を踏まえれば、防衛的現実主義(defensive realism)とされる思想の少なくとも半分以上は、ほぼ根拠薄弱です。存在した国家のほとんどは消滅しており、その原因の多くは戦争です。戦争起こすように人間を誘うような遺伝的なプログラムは存在しませんが、理性・感情・イデオロギーが絡みあう人間の本質は、戦争を誘発する可能性を高くしています。

レオン・フェラーリ画『人々』1983年(León Ferrari, People, 1983
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