事前分配という言葉は、10年前に当時のイギリス労働党党首のエド・ミリバンドによって有名になった(BBC 2012)。彼は、学者のジェイコブ・ハッカー(2011)の著作に影響を受けている。事前分配という言葉は、再分配との対比を念頭に置いて提唱された。再分配とは、市場での所得の不平等を是正するために、税や所得移転の制度を用いる政策だ。事前分配とは、市場の所得において不均衡な分配を少なくし、事後的な再分配を不要とする処置である。ミリバンドを言葉を借りれば、「コールセンター、スーパーマーケット、老人ホームで働いている人を想像してください。再分配では、こうした人々の賃金に〔政府から〕上乗せが提供されます。事前分配は、これによりはるかに優れており、こうした人々は高い賃金で高スキル労働に従事するようになるのです」。こうした一般的な主張に沿うように、ピケティらも最近の研究(2022)で、「格差に関する政策議論は、税が適用される前の格差に影響を与える政策にもっと関心を払うべきであり、再分配だけに焦点を当てるべきではない」と主張している。
事前分配には、美辞麗句的な利点が多くある。富裕層をターゲットにした高い限界税率という階級闘争への関心をそらし、結果の平等より機会の平等という、政治的に魅力ある言説へと誘導する。この手の政策論争で頻繁に持ち出されるのが、所得格差を減らすには、累進課税を導入よりも、平等な公教育を提供して教育格差を減らせば、〔教育を受けた〕個人の努力によって〔結果的に〕所得の分配を実現できる、というものだ。こうした、教育格差の低減処置が、事前分配とされているものである。対称的に、高所得者への高い課税は再分配である。こうした議論では、再分配は課税の阻害効果によって非効率性を生み出す。一方で、事前分配による機会の平等化は、〔所得の〕帰結は個人の努力に基づいているため、再分配の結果によってもたらされる平等化よりも道徳的に優れているとされる。
事前分配は一見魅力的に見えるかもしれない。しかし、我々は最近の研究で、事前分配と再分配の区別は、必ずしも明確にできないと主張する(Haaparanta et. al. 2022)。事前分配には再分配が必要であり、再分配は事前分配を後押しする。この相互補完は、直感的には以下のように説明できる。教育の成果(質だけでなく量も含む)において、公的提供と親の投入の両方に依存している社会を考えてほしい。教育成果の格差と、そこから派生する所得格差は、教育への公的・私的な投入において両方の格差に依存することになる。公的投入の平等化、つまり事前分配は出発点だが、それは一要素にすぎない。公教育を平等に提供したとしても、親からの投入に格差があれば、事前分配には格差が存在したままとなる。そして、親からの投入格差を減らすには、親の所得格差を減らす、つまり再分配が必要なのである。これを裏からみれば、むろん、市場所得の再分配は、所得格差を減らすだけでなく、親の教育への投入格差を減らし、ひいては教育の不平等を減らすことになる。つまり、再分配は、事前分配を強化するである。
さらに、親による教育への投入が子どもの教育成果に影響を与えないとしても、公教育の提供は無償財ではない。つまり、財源を必要としているため、課税によって調達されねばならない。その場合〔事前分配を目的とする公教育の財源ため〕の税制度と累進性の水準には、〔再分配水準を巡る〕決定と議論を必要とするだろう。このように、事前分配は、再分配の問題を解消できるわけではない。公教育の提供と、そのための財源調達は、密接に絡み合っているのである。
ここでの形式的な分析は、ノーベル賞を受賞したマリーズ(1971)の古典的な貢献に基づいている。我々は、親は稼いだ所得の一部を子どもの教育に消費し、この親からの投入と平等な公教育の提供が、子どもの教育成果につながる格差社会を念頭に置いている。政府は、全体的な予算成約の下で、教育の公的提供と、課税手段を、自由な水準に設定できるものとする。こうした状況下では、政府は、これら手段をどのように選択すべきだろう? 答えはむろん、政府がどのような目的を採用しているかのよって左右される。人はより高い所得を得るには、より高い労働努力を必要としているため、親のウェルビーイング(幸福健康度)の適切な尺度は、所得そのものではなく、〔所得から産み出される〕効用である。マリーズの研究文献では、政府の目的として、公共料金の配分における政府の社会福祉機能が取り上げられている。この研究を転用し、子どもの教育のための投入は、親の労働・余暇・支出の最適な選択の結果にあるとして分析を行う。これは、マリーズ(1971)に倣って、古典的な「福祉国家」の定式化の問題として扱うことができる。この「福祉国家」では、政府の目的関数は、(この場合は親の)効用の帰結に依存し、それだけに依存する。
以上とは対称的に、「非福祉国家」は、政府が教育成果による分配だけに関心を持つものとして定式化される。これは、〔教育成果の分配〕は、次世代の所得獲得機会の分配となっているからである。親の効用関数は、政府の目的関数から直接の影響を受けず、〔親の〕効用や所得格差には関係しない。これは、ロールズ(1971)、ドウォーキン(1981)、セン(1985)へと系譜を持つ哲学的伝統に基づいており、さらにローマー(1998)による「環境」(個人でコントロールできない要因)と、「努力」(個人でコントロールできる要因)の区別する主張に倣っている。この見解では、格差において環境に起因するもののみが、政府の介入すべき正当な対象となる。
では、機会の平等をベースとするような目的の下では、累進課税の導入余地はまったく存在しないのだろうか? 答えはノーである。単純な直感に基づいた「福祉目的のための累進課税」か「機会の平等を目的とする公教育の平等な提供」といった議論は、誤った二項対立の提起となっていることを、我々の定式化は示している。政府が、結果(効用)の格差を重視する場合には、平等な教育の提供と累進課税の両方が用いられる。しかし、政府が教育成果の格差だけに関心がある場合、言い換えれば、事前分配と機会の格差だけに関心がある場合でも、その最適な戦略は、公教育の平等な提供と並行しての、累進課税を導入にある。累進課税は、教育成果の平等化を通じて機会の平等を実現する有力な手段となっている。つまり、事前分配には再分配が必要なのである。
さらに、「〔事前分配と再分配の〕2つの目的の下で累進課税を使い分けるとすると、それは何に基づくのか?」という問題を我々は提起する。我々は、2つのレジーム間の比較を用意にするために、最適な課税方程式をそれぞれ導出し提示した。教育成果が、公的に提供される場合と、親の投入に大きく依存する場合、これらをそれぞれ比較すると、おそらくだが逆説的に〔政府が〕機会の平等を目的とすると、累進課税は強化される傾向にある。つまり、再分配もまた、事前分配の強力なツールなのである。
我々の研究結果は、ローマー&ウンヴェレン(2016)の研究精神とも一致する。ローマー&ウンヴェレンは、現役世代が子供、つまり将来世代の教育について意志決定を下す世代間モデルを設計した。彼らは、機会の平等化のためのツールとして、教育の公的提供の提唱している。しかし、〔彼らのモデルでは〕税金は再分配のために使われず、公教育の財源としてのみ使われている。彼らの数値シミュレーションによると、教育の私的な提供が可能となっている場合には、国家による提供の意図が損なわれる可能性があることが示されている。
機会の平等は、公共政策の議論において主要な枠組みとして浮上している。「事前分配」は、これに関連して持ち出され、大抵の場合で「再分配」に変わる政策手段として提唱されている。我々の研究によると、「累進課税&再分配」と「事前分配&機会の平等」は、相互対立しないことを示している。今後の研究における喫緊の課題の一つは、〔再分配・事前分配による〕結果の定量的重要性の評価や、異なる社会福祉目的における累進性の水準についての比較を、推し進める必要性である。そのためには、私的な教育投資は、税率や公的に提供される教育にどのように依存しているのか、あるい公的・私的な投入が、どのように教育成果全体を生み出しているのかについて、新たな実証的な証拠も必要となるだろう。
参考文献
BBC (2012), “Ed Miliband unveils ‘predistribution’ plan to fix economy”, 6 September.
Dworkin, R (1981), “What is equality? Part 2: Equality of resources”, Philosophy and Public Policy 4(10): 283–345.
Haaparanta, P, R Kanbur, T Paukkeri, J Pirttila and M Tuomala (2022), “Promoting Education Under Distortionary Taxation: Equality of Opportunity Versus Welfarism”, Journal of Economic Inequality 20: 281–297.
Hacker, J (2011), “The institutional foundations of middle-class democracy”, Policy Network, 6 May.
Mirrlees, J A (1971), “An exploration in the theory of optimum income taxation”, Review of Economic Studies 38(114): 175–208.
Piketty, T, M Guillot, B Garbinti, J Goupille-Lebret and A Bozio (2022), “Pre-distribution versus redistribution: Evidence from France and the US”, VoxEU.org, 18 November.
Rawls, J (1971), A Theory of Justice, Cambridge: Harvard University Press.
Roemer, J E (1998), Equality of Opportunity, Harvard University Press.
Roemer, J E and B Unveren (2016), “Dynamic equality of opportunity”, Economica 84(334): 322–43.
Sen, A (1985), Commodities and Capabilities, Elsevier, Amsterdam.
〔Pre-distribution requires redistribution
On 14 Dec 2022
AUTHORS
Matti Tuomala
Professor (Emeritus) Tampere University
Jukka Pirttilä
Professor of Public Economics University of Helsinki
Ravi Kanbur
Research Fellow Centre for Economic Policy Research; T. H. Lee Professor of World Affairs, International Professor of Applied Economics and Management, Professor of Economics Cornell University
Tuuli Paukkeri
Senior Researcher VATT Institute for Economic Research
Pertti Haaparanta
Professor (emeritus) of International Economics, School of Business〕