今日のトロント・スター誌に、地下鉄スパダイナ線の延伸開通の遅れに関する興味深い記事が掲載されている。この工事の遅れは、最終的には政府調達(procurement)の問題に帰着する。政府は普通、最低価格で入札した業者を選ばなければならないという規則があるが、今回の鉄道工事でも確実にそうだろう。つまり、政府が選んだ業者は「値段相応」の仕事をしているわけである。実はこれは、国民が選出公務員に様々な制約を課すことで合理的な公的支出が妨げられるという、お馴染みの光景だ(メディアがこの問題の大きな原因であるということには注意しておくべきだ。トロント・スター誌や他の地方メディアが、トロント交通局の結んだとある契約を攻撃していたのはつい昨年のことである。こうした批判は契約の手続きに関するものであって、契約の内容が公共利益に適わないと考える理由は全くなかった)。
それはさておき、今日の記事の内容を見てみよう。
「公共利益、そして税金の使途を真に気にかけるなら、最低入札者ではなく、最も賢明な選択肢を選ぶべきです」と述べるのは、市議会議員でトロント交通局の議長を務めるマリア・アウギメリ(Maria Augimeri)だ。
彼女のコメントは、地下鉄の延伸開通が、当初の予定では進まないということで2016年秋に延期され、さらにその目標よりも遅れるとの見込みであることを踏まえたものだ。プロジェクトの後退の原因として挙げられているのは、請負業者や下請け業者の問題である。
「最低入札制度の問題は、業者が仕事の真の(あるいは適正な)価値を提示しないことです。最低入札者は一番賢く効率的な業者だと考えられがちですが、実際にそうであるケースは稀です」とアウギメリは水曜日に述べた。
国内調達の規定を満たし、衛生・健康・安全の面で実績を残している企業を有利にする点数システムに基づいて契約を発注すべきだ、と彼女は主張する。
民間セクターでの調達の実際を知っている人なら、普通、最低入札者に契約が発注されることはないと知っているだろう。企業は供給業者や顧客と関係を築き、長い時間をかけて信頼関係を構築する。価格は様々な要素の一部に過ぎず、業者の信頼性やサービスの質といった要素も非常に重要だ。一方で公共セクターの場合、政治家や公務員が供給業者と関係を築くのは望ましくないとされる。汚職が生じるかもしれないからだ。民間企業は市場競争の規律に晒されているので、価格を無視〔して懇意の業者と取引〕するとしても限度がある。公共セクターの場合、市場競争に類する規律づけの仕組みはない。そのためかわりに、調達のやり方に厳しい制約が課されており、政治家や公務員が裁量判断を行使できる範囲は大きく制限されている。
この文脈で留意しておくべきは、政府の「無駄」を批判する論者こそがこの問題の大きな原因となっていることだ。政府の無駄や汚職への絶え間ない糾弾により、調達規則はますます厳しくなり、公務員の手を縛って、賢明な調達が難しくなるというダイナミクスを助長しているからだ。こうして「政府は非効率だ」という信念は自己成就的予言となる。
これは、ジェームズ・Q・ウィルソン(James Q Wilson)が『官僚制』“Bureaucracy”〔未邦訳〕という著書で大昔に指摘していた論点だ。ウィルソンの基本的な議論は次のようなものである。「レッドテープ」 [1]訳注:行政における煩雑な手続きや形式主義を指す。繁文縟礼とも。 は政府不信の結果(あるいは反動)だが、政府が「レッドテープ」に縛られれば縛られるほど、政府への信頼はさらに低下していき、死のスパイラルが生まれる。ウィルソンはこんな風には書いていないが、議論の内容は同じだ。いずれにせよウィルソンの調達に関する議論は、30年経った今でも傾聴に値する。ちょっとだけ引用してみよう。
「公正さ」の目標は、調達プロセスのほぼあらゆる局面に通底している。それは、アメリカ政府が公正さという抽象的な社会的目標に熱心に取り組んでいるからではなく、調達に関する意思決定が問題になったとき、その意思決定が「客観的」な基準に基づき「公正」になされたと示すことができれば、自己弁護しやすいからだ。調達規則が官僚にとって非常に重要であることを理解するのは、アメリカ国防兵站局の管理職の立場になって考えてみればよい。不適格な企業と契約したとか、質の低い製品を購入したとかと見なされ、自分の行った意思決定が問題になったとき、あなたならどんな応答をするだろうか? 「当該企業は信頼でき、よい取引だと私は判断しました」といった答えでは、敵対的な議会の委員会から「なぜ自分の判断がよいと思ったのですか」という質問が来るのを自ら招き寄せているに等しい。もっと安全な答えは「規則に従いました」だろう。そうした規則は、入札を募ったり契約を発注したりするやり方に曖昧な指針を与えてくれる(全業者を競争させ、価格という「客観的」な基準で発注する業者を決めよ)。
調達に関する意思決定を公の場で立法府に対して正当化しなければならないなら、合理的な公務員は、最も批判を受けにくい基準に基づいて意思決定しようとするだろう。その結果、目標の達成(ハンマーはちゃんと動いたか?)ではなく、(ハンマー選びにおける)より客観的で、定量化可能で、見えやすい制約に注意が向くようになる。こうしたプロセスはときに批判される。様々な批判者たちが指摘してきたのは、制約を重視した調達業務が、目標志向の調達業務にとっての敵となり得るということだ。だが政治的に上位にある人間からすると、目標が達成されたかよりも制約が遵守されたかの方が判断しやすい。こうした状況で事態を変化させる方法を見つけるのは非常に困難だ。(127-128)
ところで数年前、当時刊行されたばかりの調達に関する本を人に薦められたのだが、タイトルが思い出せず、ググっても出てきそうにない。「この本じゃないの?」というのがあればぜひ教えてほしい(ちなみにジャン・ティロールの本ではない。ティロールがノーベル経済学賞を受賞した今言うのもなんだが [2] … Continue reading 、頑張って彼の本を読み通す予定はない)。
[Joseph Heath, Procurement remains an unsolved problem, In Due Course, 2014/11/5.]References
↑1 | 訳注:行政における煩雑な手続きや形式主義を指す。繁文縟礼とも。 |
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↑2 | 訳注:ティロールは2014年10月にノーベル経済学賞を受賞した。次の記事でティロールの政府調達に関する議論が触れられている。タイラー・コーエン 「2014年度のノーベル経済学賞受賞者は・・・ジャン・ティロール!」 |