ブラッド・デロング 「量的緩和:歩むと決めた道を口をつぐんで歩む?」(2016年2月19日)

歩むと決めた道を口をつぐんで歩むよりも、何を目指して歩んでいるのかを口に出しながら歩む方がいい時もある。
画像の出典:https://www.photo-ac.com/main/detail/958457

超切れ者のジョセフ・ギャニオン(Joseph Gagnon)が辛辣(しんらつ)になる一歩手前まで来ている。日本銀行がこれまでにやってきたことを称えようとしつつも、理想からは程遠いと何度も繰り返し強調しているのだ。

The Bank of Japan Is Moving Too Slowly in the Right Direction”(「日本銀行は正しい方向に歩み出している。ただし、あまりに遅いペースで」) by Joe Gagnon:

日本銀行の黒田総裁が先導している大胆な政策のおかげで・・・(略)・・・かなりの前進が果たされたが、「2年で2%」(2年以内に2%のインフレ目標を達成する)という目標からは程遠いのが現状だ。最後の大きなひと押しが必要とされているのだ。・・・(略)・・・安倍晋三首相は、日銀をサポートすることができる。例えば、公務員の給与を引き上げればいい。賃上げの実現に向けて色んな手を打てばいい。・・・(略)・・・しかしながら、日銀は、政府が何もやらないからといって、自分たちも何もせずにやり過ごす言い訳にしてはならない。

日銀は、納得いく結果が得られるまでさらに大胆な行動に乗り出す必要がある。・・・・(略)・・・超過準備の金利をマイナス0.75%にまで引き下げたり、・・・(略)・・・50兆円規模の株式購入プログラムに乗り出したりすればいいのだ。・・・(略)・・・量的緩和に潜むパラドックスは、(日銀やECBのように)初動が遅ければ遅いほど(量的緩和に乗り出したばかりの時の動きが鈍いほど)、後になって大胆に振る舞う必要性が高まることだ。・・・(略)・・・日銀が今すぐに大胆にならなければ、後になってもっと大胆にならなくてはならぬ羽目に陥るのだ。

ギャニオン軍団――ギャニオンと考えを同じくする面々。私もそのうちの一人――は、予想外のショックに向き合わねばならなくなっている。2010年がやって来て、「回復の夏」だの 「V字回復」だのと取り沙汰されていたのにその通りにならなかった時、ギャニオン軍団の目は再び1930年代に注がれた。ネヴィル・チェンバレン(イギリス)/フランクリン・ルーズベルト(アメリカ)/高橋是清(日本)/ヒャルマル・シャハト(ドイツ)がそれぞれの国で実施したリフレ政策は、「リフレーション」を実現するという約束を伴う量的緩和はうまくいくという大きな自信をギャニオン軍団の面々に与えてくれたのだった。1930年代のリフレ政策は、「大恐慌」(Great Depression)のような大惨事の最中であっても効果を上げたのだ。そうだとしたら、それを真似た政策が「大不況」(Great Recession)のような小惨事の最中に同じように効果を上げるのは当然じゃないか・・・とギャニオン軍団の面々には思えたのである。しかしながら、 「大不況」は「小恐慌」(Lesser Depression)と呼ばれるのが適当であるようになり、そのうち「長恐慌」(Longer Depression)と呼ばれるようになる可能性が高まっている。

FRBは、量的緩和の道を口をつぐんで歩いているようなものというのがナラヤナ・コチャラコタ(Narayana Kocherlakota)の考えだ――彼の考えを誤解していなければだが――。FRBは、金融政策の正常化に向けて政策金利をいつ引き上げる予定かについては「数年先」とずっと約束し続けているが、名目GDPや物価水準を2008年以前の趨勢にまで引き戻す(引き上げる)という約束をする気なんてさらさら無さそうだ。戯(たわむ)れに話題にすることさえないのだ。PCE(個人消費支出)デフレーターで測ったインフレ率が(目標である)2%を上回ったら、行動を起こす(金融引き締めに転じる)べき。その一方で、インフレ率が2%を下回っていても、様子見でいいんじゃないか――だって、放っておいてもそのうち自然と2%に達するだろうから――。FRBの高官の発言を聞いていると、そのような姿勢を貫いているように見えてくるのだ。

FRBとは対照的なのが、1930年代にイギリスで財務大臣を務めたネヴィル・チェンバレンだ [1]訳注;1930年代のイギリスのマクロ経済政策については、本サイトで訳出されている次の記事も参照されたい。 ●ニコラス・クラフツ … Continue reading。チェンバレンは、はっきりと自覚していた。イギリスが第一次世界大戦時に発行した国債をつつがなく償還していくためには税収を増やさなくてならず、そのためには物価水準を引き上げるのをイギリス政府の目標に据えねばならないことを。アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は、トータルで見ると自分が何をしているのかよくわかっていなかったが、アメリカ国内の生産者の懐に入る儲けを増やすためには物価(商品価格)を引き上げねばならないことに関しては疑いを持たなかった。日本の高橋是清にしても同じくである。彼らの別の共通点としては、財政当局が緊縮志向でもなければ敵対的でもなく、協力的だったことだ。

ところがである。金融政策は、予想を管理したり金融資産の量を管理したりする力を備えた強力な武器のはずではなかったか。金融政策は、景気の成り行きを左右できるはずではなかったか。景気の成り行きを「大きく」左右できるはずではなかったか。それなのに、現実はというと・・・。

以下の三通りの立場のどれかを取り得るだろう。

(1) 「流動性の罠」の下では、金融政策は何らの効果も上げない。あるいは、金融政策が何らかの効果を上げるのは稀(まれ)。マクロ経済政策がうまくいくためには、積極的な財政政策(大規模な財政出動)によるサポートが欠かせない。

(2) 「流動性の罠」の下でも、金融政策は効果を上げ得る。ただし、(「流動性の罠」の下でも)金融政策が効果を上げ得るのは、中央銀行と政府がインフレ率に関して積極的で首尾一貫した約束(目標)を明確に語り、その約束を果たすために必要とあらばレジーム転換に乗り出すのも辞さない場合に限られる。

(3) 全員がまったくの見当違いをしている。何か見落としていることがあって、現実に対する第一次近似としてまずまずと思っていたモデルが実はそうじゃなかった。

(1) と (2) の混合でいたいというのが私の今の立場だ――どちらかというと、(2) 寄りだ――。サマーズ(Lawrence Summers)は、紆余曲折があって今では (1) の立場に落ち着いているんだと思う。ところで、アベノミクスは、私が予想していたほどには日本経済に活を入れなかった。その事実を前にして、疑問が湧いてこないでもない。 一体どういう状況になったら、あらゆる可能性に心を開いて、(3) の可能性もゼロではないかもと結論付けるべきなんだろうか?


〔原文:“Quantitative Easing: Walking the Walk without Talking the Talk?”(Grasping Reality on TypePad, February 19, 2016)〕

References

References
1 訳注;1930年代のイギリスのマクロ経済政策については、本サイトで訳出されている次の記事も参照されたい。 ●ニコラス・クラフツ 「イギリス経済は『流動性の罠』からいかにして抜け出したのか ~1930年代のイギリスの経験に学ぶ~」(2013年5月12日)
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