ケンブリッジ(マサチューセッツ)の本屋でチャールズ・メイヤーの『リヴァイアサン2.0』を目にしたとき、当時近代国家の発展を学ぶ学生だった私は、当然のように興味をそそられた。
実際、『リヴァイアサン2.0』は、わざとらしくキャッチーでポップな歴史本的タイトルから受けた最初の印象よりも、はるかに独創的で専門的な本である。私が本書を重要だと考えている理由を、簡単にまとめさせてほしい(本書はこれまで、あまり注目を集めてこなかった)。本書はまさしく、1850年代から1950年代までの近代国家のグローバルヒストリーである。扱う範囲が野心的だと思われるかもしれないが、その通りである。しかしメイヤーの資料への理解力は高く、簡潔にまとめているため、結果として、専門家にとっても非専門家にとっても非常に読みやすく勉強になる本となっている。
近代国家の研究書はもう飽和状態なのに、なぜこの本を読むべきなのか?
近世ヨーロッパにおける国家の勃興について、読むべき本はたくさんある(私とノエル・ジョンソンの最近の論文は、そうした本の多くをサーヴェイしている)。20世紀中盤の全体主義国家についてもたくさんの文献があるし、ヨーロッパにおける第二次世界大戦後の福祉国家の興隆や、東アジアにおける発展国家も、たくさんの研究がなされてきた分野だ。メイヤーが提示しているのは、1850年から1950年という、非常に重要な100年間における国家の歴史だが、この時期については多くの研究がなされていながらも、通常は近代国家の形成より、帝国主義やグローバリゼーションといった視点から研究されることが多いのだ。本書は、歴史の専門家と地域の専門家が慣れ親しんでいる史料を繋ぎあわせ、この重要な100年間における国家の歴史について、一貫性のある考察を展開している。
この本について語るべきことはたくさんあるが、ここではいくつかの論点だけ取り出すだけに留めておきたい。
1.19世紀後半の国家建設は、グローバルな発展への応答だった。メイヤーの歴史学は、その扱う範囲において真にグローバルである。彼は、メキシコにおける国家建設を、日本や中国、アメリカ、ヨーロッパにおける発展と結び付けている。近代国家の建設期において、周縁部の国家もヨーロッパの国々と構造的に似通った問題に直面していたと論じることで、メイヤーは数多くのバラバラな一国史的説明を統合した独創的な歴史記述を提示している。
2.(経済と対置される)政治的近代化の出発点は、第一次産業革命よりも、第二次産業革命にあった。1850年という出発点を強調することで、この本は独創的な視点以上のものを獲得している。政府の統治能力を革命的に増大させたのは、鉄道や電信といった19世紀中盤のテクノロジーだった。さらに、20世紀の歴史文献の多くは19世紀を平和の時代と回顧している。しかし、19世紀中盤は、中国の太平天国の乱やアメリカの南北戦争といった大きな紛争の生じた激動の時期である。メイヤーは、こうした戦争が決定的に重要であり、近代国家はこうした紛争が突きつけた問題と要求への応答として築かれたと主張している。イギリスは、大規模な暴力なしに近代国家を築いた例外だった。アメリカや、ビスマルクのドイツ、統一運動期のイタリア、明治日本のような他の地域では、近代国家は戦争の中で生まれた。
3.メイヤーは、私的強制と公的強制という興味深い二分法も強調している。彼は、前近代は私的な強制と制約の世界であり、公的制約はほとんどなかったと論じている(ちなみにこの議論は、Noam YuchtmanとSuresh Naiduによる、19世紀中盤のイングランドの奴隷法を扱った素晴らしい論文の見解とも一致する)。対照的に、1850年より後に築かれた国家は、私的制約を公的制約に置き換えた。これによって最終的に、多くの場合で、少なくとも西欧と北米で生じたリベラルな国家においては、新設された国家に大っぴらに差別された人々(つまり、アメリカにおける黒人やアジア人、大英帝国における植民地出身者)を除いては、積極的自由の増大がもたらされた。
4.『リヴァイアサン2.0』のもう1つの有益な特徴は、メイヤーが、国家の力の増大がより一般化しつつあったたという当時の文脈下に、ファシズム体制と共産主義体制を位置付けていることだ。こうした体制は、(その残虐性において際立っているとはいえ)歴史推移における単なる逸脱ではなく、むしろ国家の発展の1つの経路を示していた。こうした体制は、私たちには歴史の袋小路として見える。しかし、当時の人々にとってはそうは見えなかったのだ。
5.メイヤーの仕事は、経済史研究者が1850年から1950年という重要な100年間における政治的発展にもっと注意を払うべきだということを示している。この時期についてはいくつかの研究が行われてきた。メリッサ・デルはメキシコ革命についてこうした研究を行っている(ここで読める)。そして私も、森口千晶、Tuan-Hwee Sngと、清朝中国と徳川時代の日本が19世紀後半の西洋の力の脅威にどう対応したかについて研究を行っている(ここで読める)。もっと明瞭にできることは多くある。
Reflections on Charles Maier’s Leviathan 2.0 Inventing Modern Statehood
Posted by Mark Koyama
Aug 7, 2016
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