ニック・ロウ 「下りのエスカレーターを歩いて上るな。駆け上がれ」(2010年6月5日)

下りのエスカレーターに乗っていて、突然上に戻りたいと思ったら、クルッと体の向きを変えて全速力で駆け上がる(あらん限りの力を振り絞って走って上まで戻る)だろう。それと同じように…
画像の出典:https://www.photo-ac.com/main/detail/25906539

下りのエスカレーターに乗っていて、突然上に戻りたいと思ったらどうするだろうか? そのまま立ち止まってなんかいないし、歩いて上に戻ろうともしないだろう。クルッと体の向きを変えて、全速力で駆け上がる(あらん限りの力を振り絞って走って上まで戻る)だろう。

1年以上前になるが、マーク・ソーマ(Mark Thoma)が「凍った丘」の比喩を使って財政刺激策の是非を云々(うんぬん)していた。いい比喩だなと思って、これまでずっと頭に残っていた。しかし、ちょっと引っかかるところもあった。「凍った丘」という比喩にどこかおかしなところがあるんじゃないかと感じられたのだ(凍った丘の中腹で車のアクセルペダルを思いっ切り踏むなんてことは誰もしないだろう。タイヤがクルクル空回りするだけだからだ)。ソーマの言い分を引用しておこう。

財政刺激策は、車で「凍った丘」を登るようなものだと思う。最初の勢いが十分じゃないと、車を丘の頂上にまで押し上げられるだけの「刺激」が加わらずに、丘の麓(ふもと)までズルズルと押し戻されてしまう可能性がある。押し戻されている最中に何かにぶつかったりして、「登ろうとするんじゃなかった」なんてことになるかもしれない。 押し戻されている最中にアクセルペダルを踏み込んで――車がスピンしない程度に――、車がそれ以上押し戻されるのを食い止めるのも不可能じゃないかもしれない。そして、そこから再び頂上を目指すのも可能かもしれない。しかしながら、丘の麓にいてこれからまさに登ろうとしている時に、途中でやり直すチャンスがあるかどうかに賭けたいとは思わない。車が頂上まで登り切れずに麓まで押し戻されて、その途中で何かにぶつかる可能性があるとなったら、麓から出発する時に十分に勢いをつけるようにしたい――しばらくしてさらに勢いをつけたい――と思うだろう。

「下りのエスカレーター」の比喩の方が同じことをもっとうまく伝えられるんじゃないかと思う。下向きの力というのは、デフレのおそれであり、将来的に所得が減るんじゃないかというおそれであり、貯金が底をつきつつある失業者の群れだ。下向きの力のどれもが望ましからぬ正のフィードバック効果を生み出して、不況の最中に総需要をさらに冷え込ませることになる。

下りのエスカレーターを歩いて上ろうとしたら、同じ場所でひたすら足踏みしてるだけになるかもしれない。(ソーマと私の二人の比喩を合体させて表現すると)「ガス欠」になるまで。財政政策が「ガス欠」になるのは、政府債務残高の対GDP比が「高くなり過ぎ」て放っておけなくなる時だ(政府債務残高の対GDP比が「高くなり過ぎ」て放っておけなくなるっていうのは具体的にどういう意味なのかについては、ここでは深く掘り下げないでおこう)。

ところで、金融政策は「ガス欠」になるだろうか? 紙が要る? インクが要る? とにかくお金を刷り続ければいいのだ!

(「サムナー×クルーグマン×ソーマ」の三人の論争に「下りのエスカレーター」の比喩を引っ提げて割り込むつもりだったが――そのために、それなりに長めのエントリーを書くつもりでいたが――、「下りのエスカレーター」の比喩についてだけでも完結させられると思って短めのエントリーにまとめてみた。三人の論争については、そのうち取り上げるつもりだ)。

追記:「下りのエスカレーターを歩いて上るな。駆け上がれ」というのは、カヌーで向かい風の中を進む時の教えとして耳にしたことがある比喩だったりする。あれこれと取り揃えられていて一息つける湾に着くまで、あらん限りの力を振り絞ってペダルを漕ぎまくるのだ。


〔原文:“Run, don’t walk, up the down escalator”(Worthwhile Canadian Initiative, June 5, 2010)〕

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