●Miles Kimball, “Scrooge and the Ethical Case for Consumption Taxation”(Confessions of a Supply-Side Liberal, December 24, 2012)
「税負担の公平性」をめぐる巷(ちまた)の議論の大半では、お金をいくら稼いでいるか(所得の多寡)に焦点が当てられがちだ。しかしながら、かねてから思っているのだが、「税負担の公平性」を含めた租税原則が適用されるべきなのは、人が社会に対して何らかの借りを作る時であり、それは即(すなわ)ち消費する(稼いだお金を支出する)時なんじゃなかろうか?
- 例えば、私が100億ドルを稼いだとしよう。そして、そのうちの10万ドルだけは自分で消費するために取って置いて、残りはすべて貧困者を助けるために寄付するなりしたとしよう。100億ドルのうちの大半はもう手元にないわけだが、稼いだお金である100億ドルに対して税金が課されるべきだろうか? それとも、自分で消費するために取って置いた10万ドルに対して税金が課されるべきだろうか? みんなが所得の一部を貧困者を助けるために寄付したりすれば、その分だけ政府の肩の荷も下りることになる。そうだとすると、政府が(貧困対策以外の)その他の任務を遂行するために必要なお金は、みんなの「消費」に対して課税するようにしても十分に集まるんじゃなかろうか?
- 稼いだ100億ドルを貯蓄したとしよう。その使い道は、まだ決まっていない。自分で消費するために使うかもしれないし、貧困者を助けるために寄付するかもしれない。政府は、貯蓄された100億ドルに対して税金を課すのではなく、私がその100億ドルをどのように使ったか(自分で消費したのか、それとも貧困者を助けるために寄付したのか)を見極めてから(私が「消費」に使った額に対して)税金を課すべきじゃなかろうか? さらに追加で指摘しておくと、私がお金を貯蓄したら(稼いだお金を使うのを先に延ばしたら)、そのおかげで工場を建てたりするために資源を利用できるようになって、雇用も生み出されるのだ [1] 訳注;貯蓄は、社会に対して(「借り」ではなく)「貸し」を作る行為であり、それゆえに貯蓄に税金を課すのは疑問、と言いたいのだろう。。
- 稼いだ100億ドルを我が子にそっくりあげた(譲り渡した)としよう。政府は、その100憶ドルに対して税金を課すのではなく、我が子がその100億ドルをどのように使ったか(自分で消費したのか、それとも貧困者を助けるために寄付したのか)を見極めてから(我が子が「消費」に使った額に対して)税金を課すべきじゃなかろうか?
私がお金を私用に供することになるのは、稼いだお金を自分で「消費」する場合だけに限られる。稼いだお金を自分で「消費」するまでは、使途がまだ決まっていない資源の管理人であるに過ぎないのだ。稼いだお金を我が子にそっくりあげた(譲り渡した)としても、そのお金が私用に供されるのは、我が子がそのお金を「消費」する場合だけに限られるのだ。
続きは、スティーヴン・ランズバーグ(Steven Landsburg)にお任せするとしよう。ランズバーグがスレート誌に寄稿している “What I Like About Scrooge: In Praise of Misers”(「スクルージの好きなところ:守銭奴を讃えて」)と題されたエッセイのほんの一部を以下に引用しておこう。
あなたが家を買わずに自分で家を建てたら、あなたを除くみんなは家一軒分だけ豊かになる。あなたが1ドルを稼いでそれを使わなかったら、あなたを除くみんなは1ドル分だけ豊かになる。みんなに1ドルの価値がある財を与えた(その見返りとして1ドルの稼ぎを得た)一方で、みんなからは財を一切受け取っていないからだ。
(追記)厄介な争点は、まだ残されている。その中でも筆頭は、「消費支出」をどう定義したらいいかという問題だ。とは言え、「所得」の方が「消費支出」よりも定義するのがずっと難しいというのが私の考えだ。
総需要に及ぼす影響との絡みで、もう一点だけ指摘しておこう。稼いだお金は遅かれ早かれ支出するつもりだとすれば、好景気の最中に支出するよりも、不景気の最中に支出する方が(総需要を下支えするのに役立つので)社会のためになるだろう。さらには、不景気の最中に支出するにしても、自分で使うよりも、貧困者を助けるために寄付する方が社会のためになるだろう(総需要を下支えするのに役立つだけでなく、貧困の苦しみを和らげるのにも役立つからだ)。それとは反対に、景気が過熱している(産出量が自然産出量ちょうどか上回っている)時には、総需要を増やしても社会のためにならない。総需要が増えたらインフレ圧力が高まるからだ。総需要が増えたおかげで誰かが職を得たとしても、インフレ圧力を打ち消すための措置 [2] 訳注;例えば、金融引き締め。が講じられて誰かが職を失うことになる。便益と損失が打ち消し合うことになるのだ。