マーク・ソーマ 「それぞれの国の経済政策は国境の枠に縛られるべきなのか?」(2007年6月24日)

●Mark Thoma, “Should U.S. Economic Policy Extend Beyond Our Borders?”(Economist’s View, June 24, 2007)


Fedの公式見解によると、Fedによる金融政策が他の国のインフレや失業やに及ぼす影響について気にかけるつもりはないという。アメリカ経済およびアメリカ国民のために最善を尽くすのがFedの任務だからだというのだ。「他の国々の経済状況を気にかけるのは、我々の仕事のうちに入りません。我々の政策が他の国々の経済状況に影響を及ぼして、その余波が――例えば、我が国からその国への輸出額が減るなどして――我が国にも及ぶようなら話は別です」というわけだ。

こういう姿勢が果たして正しいのかどうか確信が持てないでいる。金融政策だけに話を限る必要はない。移民政策だとか通商政策だとかだって同じだ。国境の内側だけでなく外側に住む人々にもその影響が及ぶ可能性がある政策であれば、どれであれ同じ問題を抱えているのだ。

私が言わんとすることを別様に表現すると、こうなるだろう。金融政策、移民政策、通商政策といった経済政策は、どんな目的関数を持つべき――何を目標とすべき――なのだろうか? アメリカの経済政策は、アメリカ国民の厚生だけに狙いを定めるべきなのだろうか? それとも、もっと広い範囲に目を向けるべきなのだろうか?

あり得る答えの一つは、こういうものだろう。国の政策は、「国家」と呼ばれる単位の内側でその内容を決め、「国家」のためだけに捧げられるべきである。議会や中央銀行が受け持つ政策は、国を富ませて国民の厚生を可能な限り高めるのを目標にすべきである。国境の内側の経済状況を改善するということこそが、国民の代表(選挙で選ばれた代表者)や中央銀行に課せられた任務なのだ。他の国のことは、その国の政策当局者に心配させておけばいい。

私としては、この答えに納得いかないところがある。大雑把な例だが、次のようなケースを考えてみよう。アメリカ国民はどんな決定をする場合でも、同胞(アメリカ国民)の厚生には0.75のウェイト(重み)をかけ、他の国民の厚生には0.25のウェイトをかけるとしよう [1] 訳注;同胞の厚生にかけるウェイトの値が大きいほど(最大値は1、最小値は0)、愛国的な選好の持ち主ということになる。。この場合、例えば、アメリカ政府が実施する移民政策は、同胞の厚生に及ぼす効果(の75%)だけでなく、その他の(おそらくは貧しい)国々の国民の厚生に及ぼす効果(の25%)も加味した上で、評価されることになるだろう。

国民が他の国の国民の厚生もいくらか気にかけるようなら、金融政策、財政政策、移民政策、通商政策といった一連の経済政策の中身は、国民の選好を反映して、他の国の国民に及ぼす効果も考慮に入れて決められるべきじゃないだろうか? アメリカの政策は、アメリカ国民の選好を反映すべきだと思える。アメリカ国民が異国の人々の境遇を気にかけているようであれば、アメリカ国民の選好を反映して、アメリカの政策当局者は他の国々に及ぼす影響も考慮に入れた上で政策の中身を決める必要があるだろう。例えば、移民政策、通商政策、金融政策がメキシコや中国、インドといった国々の貧困層に及ぼす影響を考慮に入れる必要があるだろう。しかしながら、Fedによる金融政策は現実にはそのようには決められていないし、移民や貿易をめぐる論争がこういう視点から繰り広げられることも滅多にない。

一国の政策当局者は、一体誰を代表すべきなのだろうか? アメリカの政策当局者は、アメリカ国民だけを代表すべきなのだろうか? 平均的なアメリカ人が国境の外側にいる人々の境遇も気にかける選好の持ち主だとしたら、国境の内側だけにとどまらずに、その外側も考慮に入れて政策の中身が決められるべきなんじゃなかろうか?

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1 訳注;同胞の厚生にかけるウェイトの値が大きいほど(最大値は1、最小値は0)、愛国的な選好の持ち主ということになる。
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