ダイアン・コイル 「別の世界を覗かせてくれる窓 ~『ヒルビリー・エレジー』を読んで~」(2018年6月26日)

●Diane Coyle, “The class window”(The Enlightened Economist, June 26, 2018)


長時間のフライト中に、J・D・ヴァンスの『Hillbilly Elegy:A Memoir of a Family and Culture in Crisis』(邦訳『ヒルビリー・エレジー:アメリカの繁栄から取り残された白人たち』)を読んだ。ブームに乗り遅れたのは重々承知しているし、書評もたんまりと寄せられていて屋上屋を架す感があるだろうが、私なりに感想を述べさせてもらうとしよう。本書には、繁栄から「取り残された」人々を取り巻く経済的・文化的な障壁――幾重にも重なる障壁――についての洞察が巧みな筆致でまとめられている。タイトルからも窺(うかが)い知れるように、米国内の衰退した地域――経済的に衰退しているだけでなく、アルコールや薬物への依存症が蔓延している地域――で暮らす白人労働者階級の実態に焦点が当てられているが、それなりの普遍性を備えた現象についても浮き彫りにされている。「(立身出世の)限られた機会」/「貧困」/独特の「社会規範」(お望みならば、「習慣」と言い換えてもいい)の間の相互作用がそれだ。地場産業が好景気に沸いている間は鳴りを潜めているが、地場産業の勢いに陰りが見えるや、悪循環のスイッチが入ることになる。そこから抜け出せるのは、やる気を失わないでいられるか、運に恵まれた一握りの者だけ――著者のヴァンスもそのうちの一人――。

個人的に深い共感を覚えたのは、ヴァンスがイェール大学のロー・スクール(法科大学院)で過ごした日々が回想されている章だ。ヴァンスは、上流階級の世界について知らないことばかりなのに気付かされるわけだが、かくいう私も同じような経験をしたことがある。17歳になってオックスフォード大学に進学することになったのだが、学友とディナーをはじめてともにした時のことは今でもよく覚えている。テーブルの上に並べられたナイフやフォークの数の多さにひたすら困惑させられたのだ(「一体全体、どうすりゃいいの? 皿の上にあるアーティチョークにどう手をつけりゃいいの?」)。労働者階級の家庭で育って、アイビー・リーグ(あるいは、オックスフォード大学)にやってきた若者であれば、誰もが何らかのかたちで強烈なカルチャーショックを味わうことになるのだ。

一読して決して損はない一冊だ。根本的な解決策が提示されているわけではないが、そもそもそんなのはどこを探したって見つからないだろう。本書は、読者の多くが身を置いたことのない世界の内側を覗かせてくれる窓のようなものだ。その窓を覗き込むだけでも貴重な体験になるだろう。

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