アレックス・タバロック 「ヌードディール」(2009年1月12日)

ストリップ産業は、1930年代にニューディール政策の一環として設置された全国復興局(NRA)によって復興が図られた産業の一つだった。
画像の出典:https://www.photo-ac.com/main/detail/2614037

ポルノ産業の救済を求めるラリー・フリント(Larry Flynt)の嘆願に対して、あちこちから嘲り(あざけり)が寄せられている。ところで、ストリップ産業は、1930年代にニューディール政策の一環として設置された全国復興局(NRA)によって復興が図られた産業の一つだった。The Beaconブログで、 ジョナサン・ビーン(Jonathan Bean)がその辺の事情を詳(つまび)らかにしている

ニューディール政策による景気回復に向けた第一弾の試みが、全国復興局(NRA) の設置だった。全国復興局は、労使双方にとって得になるように、全産業に対して「公正競争規約」の締結を求めた。結果的に全部で700にも及ぶ数の規約が締結され、経済の管理が強化されたのだった。価格協定は消費者にとってよろしくないという古臭い迷信なんてなんのそので、実験が試みられた。賃金も価格も産業ごとに協定を通じて決めても構わなくなったのである。みんなが協定に参加する限り、万事うまくいくだろうというのである。しかしながら、最高裁はそのことに同意しなかった。1935年5月に違憲判決が下されて、全国復興局が廃止。実験を続けられなくなったのである。

「公正競争規約」の作成にはプラス面もあった。規約が作成されたおかげで、経済というのがいかに複雑であるかが露(あらわ)になったのである。ドッグフード産業(規約番号450)だけでなく、巻毛製造&馬のたてがみの手入れ産業(規約番号427)だとか、肩パッド製造産業(規約番号262)だとか、ストリップ産業(規約番号348)だとかでも規約が作成されたのである。ストリップ産業で締結された「公正競争規約」では、踊り子が舞台上で一夜のうちに脱いでもいい(裸になってもいい)回数が4回までに制限された。仕事を広く行き渡らせるというのが目的で、美女が脱ぐ回数が多いのは公正ではないと見なされたのである。


〔原文:“The Nude Deal”(Marginal Revolution, January 12, 2009)〕

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