これっていいかもしれないなという考えがある。題して「ワークバケーション/ワーケーション」(The Work Vacation)。異国情緒漂うどこかを休暇中の滞在先に選んで、ノートパソコンを持っていく。そして、いつものように本やブログを書く。たまに外に出て、あちこち見て回る。家事の手伝いをしたり家族の面倒を見る代わりに、あちこち見物するのが日常とは違うところだ。
個人的には魅力的な考えだと思う。ところで、多くの人は、そもそも休暇をそんなに楽しんでないんじゃなかろうか(「一体何のために休暇をとってるの?」という問いがロビン・ハンソンの声で脳内で再生される)。その理由は、いくつかあるだろう。休暇中だと、働いている時のフロー感(没入感)だとか達成感だとかが得られなくなる。旅先で配偶者と一日中ずっと一緒だと、口論になる機会がいつもよりも多くなる。休暇を海外で過ごすようだと、あれこれの手続きだとか、不慣れな言語でのコミュニケーションだとかでストレスが溜まる――ちなみに、私が休暇をそんなに楽しく感じない理由はただ一つ。働いている時のフロー感(没入感)だとか達成感だとかが得られないからだ。私にとっては、かなり手痛い損失なのだ――。
おそらく、多くの人は「社会的」な目的で休暇をとっているのだろう。配偶者の機嫌をとるためだとか、自分がどんな人間なのかをアピールするためだとか、思い出作りのため(休暇中の思い出を誰かに話して聞かせるため)だとか、世界中の国の名前が書き込まれているリストに訪問済みのチェックマークをつけるため(あっちこっちの国に行ったことを誰かに自慢するため)だとか。そういう目的のいくつかは「ワークバケーション」でも相当程度カバーできるだろう。
インドの都市は大好きなのだが、いかんせん空気が汚れているので、インドに滞在していても一日の大半を屋外を駆け回って過ごしたいとは思わない。インドには興味深くて有意義な場所がたくさんあるが、そういうところに限っていわゆる観光地はそんなに多くない。でも、ふらっと立ち寄ってみる価値は大いにある。
妻のナターシャは、「ワークバケーション」という考えがお気に召さないらしい。仕事が終わってないのに、休暇をとる口実になるじゃないかというのが一つ目の突っ込み。休暇に仕事を持ち込むのが許される風潮が生まれるじゃないかというのが二つ目の突っ込みだ。
「コースの定理」が説くように、きっとどこかでうまく折り合いがつくだろう。
〔原文:“The Work Vacation”(Marginal Revolution, June 10, 2006)〕