●Paul Krugman, “Timid Analysis (Wonkish)”(The Conscience of a Liberal, March 21, 2014)
今日のコラム〔optical_frog氏による邦訳はこちら〕でも軽く触れたが、もうちょっと突っ込んだ話をしておこうと思う。
ブルッキングス研究所主催のパネルディスカッションから戻ってきたばかりだ。「アベノミクス」がテーマの論文についても報告があって、僕も含めて二人が討論者を務めた。もう一人の討論者は、ベン・バーナンキだとかいう名前だったと思う。個人的にずっと心配に思っていたことがあって、そのことについても語った。言いたいことを前よりもいくらかうまく整理できてると思うので、ここでも繰り返させてもらうとしよう。
僕が1998年に書いた論文(pdf)以降に大量に生み出された「ゼロ下限制約」に関する理論的な研究の山を眺めてみると、「流動性の罠」に陥るのは一時的なショックの結果であると見なされている。例外なくだ。何らかのショックが起こって――わかりやすい例だと、バブルが崩壊したりとか、信用ブームが終わってデレバレッジ(債務の圧縮)が強いられたりとか――、総需要が大きく落ち込む。金利をゼロ%にまで引き下げても完全雇用を実現できないくらいに。でも、そのショックもいつまでも続くわけじゃない。いつかは終わる。そうだとすると、抜け道があることになる。金融政策のレジームが変わったことをみんな(国民)に納得させればいいのだ。ゼロ下限制約に直面している状況で総需要を刺激してほどほどのインフレを起こしたければ、ショックが去って総需要が回復してからも中央銀行が金融緩和を続けるとみんなに信じ込ませればいいのだ。
ところで、日本でショックが去るのはいつになるんだろうか? 総需要が勢いを取り戻して、ゼロ下限制約に縛られる必要が無くなるのはいつになるんだろうか? アメリカについてすら長期停滞(secular stagnation)の可能性が真剣に取り沙汰されていて、金融政策が「正常」に戻るまでにかなり長い時間を要するかもしれないというのに。
それでもなお、景気に弾みをつけるのは依然として可能だ。中央銀行が高めのインフレ率の達成を目標に掲げて、そのことがみんなから信頼されるようなら、〔予想インフレ率が上昇するので〕実質金利が低下する。ところで、中央銀行が掲げるインフレ目標がみんなから信頼されるために必要なことって何だろう? 「自己実現的な予言」(self-fulfilling prophecy)が大いに絡んでくるに違いない。中央銀行が掲げる目標値にまでインフレ率が上昇するに違いないとみんなが信じて行動したら、その通りにならなくちゃいけないのだ。景気が刺激されて、インフレ率が目標値にまで上昇しなくちゃいけないのだ。
そのための必要条件がある(ただし、十分条件じゃない)。インフレ率の目標値がかなり高めに設定される必要があるのだ。みんなが信じて行動したら、ブームが起きるくらいの高さに設定される必要があるのだ。インフレ率の目標値がそんなに高くないようだと、みんなが信じて行動したとしてもその通りにならないだろう。景気もそこそこしか刺激されずに、そのせいでインフレ率も目標値に届かないだろう。そんなだと、そのうち誰も中央銀行が掲げるインフレ目標を信頼しなくなって、すべての努力が無駄になってしまうおそれがあるのだ。
今朝作成したばかりの図を使って、今の話を確認しておくとしよう。
黒い曲線は、フィリップスカーブを表わしている。仮想的なものではあるが、現実のフィリップスカーブとそう違わないと思う。インフレ率が産出量の水準に依存していて、資本設備の稼働率が高くなるほど(産出量の水準が高まるほど)傾きが急になっている。青い直線は、金利がゼロ%の場合の総需要曲線を表わしている。予想インフレ率が上昇すると、それと同じだけ実質金利が低下する。総需要曲線が右上がりになっているのは、そのためだ。上の図では、中央銀行がインフレ率の目標値を2%に設定するけど、インフレ率が2%にまで上昇しない状況が描かれている。インフレ率が2%にまで上昇するとみんなが信じて行動したとしても、その通りにならないのだ。そのうち誰も中央銀行が掲げるインフレ目標を信頼しなくなってしまうだろう。
僕の心配事というのは以上の通りだ。インフレ率の目標値を4%に設定する必要があるというのに、セントラルバンカーが次のように語ったとしよう。「4%ですか? ちょっと過激に思えますね。もうちょっと慎重になって、2%にしておきましょう」。慎重で分別があるようだけれど、そのせいで失敗してしまうかもしれないのだ。
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