アダム・トゥーズ「キンドルバーガー、メーリング、そして件のノーベル賞について 」(2022年10月14日)

…経済学の主流派は、金融の本質的な重要性と現代世界における危険性に真正面から向き合う思想家をまともに取り上げることを執拗に拒んでいるが、ノーベル経済学賞はこれに異議を唱えるでもなく、むしろ主流派がそうした思想家を無視する傾向を誇示している。

Chartbook #160 Kindleberger, Mehrling and that Nobel Prize

Posted by Adam Tooze on Oct 14, 2022

ニュース速報:銀行への取り付け騒ぎは市場経済で実際に起こりうるし、そうなれば実体経済に損害ををもたらす。そう!経済学者たちは80年代、自分達が納得いくまでこのことを証明したのだ。1880年代ではなく、1980年代のことである。3人の知のパイオニアが、銀行と銀行破綻を主力の経済モデルに組み込む方法を発見し、銀行破綻が信用仲介コストを上昇させる経路を特定した瞬間だった。そして、このことが重要なのは、「周知のとおり」、貯蓄者と借り手の間を仲介するのが銀行の仕事であるためだ。

私とて普段から俗物主義に走るわけではない。知的活動やゲームは、それ自体が楽しいものだ。このような営みでは、自ら課した制限、ルールに基づく競技、限定されたモデルがどこまで通用するか、などはすべてその趣旨に含まれる。しかし、そのような活動の探求には、謙虚な目的意識を持ち、自分が従事している営みの限界を明確に認識する必要がある。

今年の「ノーベル」経済学賞が行ったことはその逆である。実際、同賞では厚かましくも現代のマクロ経済学的思考の最も脆弱な側面の一つを称えているのだ。その脆弱性とは、現代資本主義におけるマクロ金融の不安定性を把握する能力が極めて限られているという点である。経済学の主流派は、金融の本質的な重要性と現代世界における危険性に真正面から向き合う思想家をまともに取り上げることを執拗に拒んでいる。ノーベル経済学賞はこれに異議を唱えるでもなく、むしろ主流派がそうした思想家を無視する傾向を誇示している。

キャメロン・アバディと私は、今週の『ワンズ・アンド・トゥーズ』のポッドキャストで今回の受賞について議論している。

現実を無理にモデルに当てはめるのが非常に困難な学問分野にあって、今回の授与は、自己満足のための不当なものであるばかりか、時期尚早でもある。

ウォルフガング・ムンヒャウがやや不親切に言ったように、経済学賞は 「団塊マクロ 」の全盛期を回顧的に称えているようだ。1980 年代当時、ニューケインジアンによるマクロ経済学のミクロ的基礎付けとの統合は、銀行取り付け騒ぎが実際に起こりうること、そしてキャリアを築くことができることを、ついに自らの満足がいく形で証明した。同様にベン・バーナンキも、1930 年代の世界恐慌を新たに捉え直すことで、金融がマクロ経済学にとって重要である可能性を証明した。これらはすべてボルカー・ショック、S&L(貯蓄貸付組合)危機、ラテンアメリカの債務危機のさなかに行われたのである……まさにバック・トゥ・ザ・フューチャーだ!

ポッドキャストで私は、ノーベル賞委員会がハイマン・ミンスキーの研究について何も言及していないと言ったが、これはあまりフェアなコメントではなかったし、事実でもない。今回の受賞の科学的背景の説明では、脚注でミンスキーに触れ、ついでに本文でも一度、ミンスキー引用している。もっとも、これはあくまでミンスキーの考えが主流派にとっては取るに足らないことを強調するために参照しているだけだ。主流派の主張では、負債デフレーションの効果は、債務の実質価値を高めることによって債務者から債権者へ再分配することに過ぎず、よってマクロ経済には何の影響もない。ベン・バーナンキは、他の同僚たちが銀行破綻を真剣に受け止めてくれるよう、銀行破綻の真の意義を確立する必要があった。

ミンスキーと並んで、ノーベル賞委員会報告書の堂々たる脚注には、フレッド・ミシュキンの1978年の論文「家計のバランスシートと大恐慌」も(一応)引用されている(実際にはこの論文は参考文献一覧から漏れている)。委員会は、MITで国際経済学と経済史の教鞭をとったチャールズ・P・キンドルバーガーについても言及している。

キンドルバーガーが1973年に出版した『大不況下の世界――1929-1939』では、負債デフレのメカニズムが十分に強調されていた。この本は、1992年にバリー・アイケングリーンが『Golden Fetters(金の足枷)』を出版するまで、世界恐慌史の決定版だった。

偶然にも、「貨幣観」の大家である経済学者ペリー・メーリングが、チャールズ・P・キンドルバーガーの知的伝記を出版したばかりで、私は光栄にも『New Statesman』にその書評を載せる機会を得た。

アダム・トゥーズ『それは金(きん)と同様に良いものであるーー。
自国の危機にかかわらず、ドルはいかにしてグローバル経済を支配してきたか。』

スウェーデン・リクスバンク賞(アルフレッド・ノーベル記念経済科学部門)委員会が指摘したように、キンドルバーガーは、ミンスキーと同様に、貨幣の問題という明白な事実に立脚していたのである。そして、貨幣は国内だけの問題ではない。グローバル資本主義の経路を通じて、貨幣は世界的な問題となっているのである。

メーリングの伝記を読めば、キンドルバーガーは単に国際金融、国際収支、通貨、金本位制、そしてブレトンウッズを分析しただけではないことがわかる。彼の研究はもっと興味深いものだった。キンドルバーガーは、貨幣と銀行を、本来トランスナショナル(国境を越えた)なもの、コスモポリタン(世界市民的)なもの、帝国や国家の権力だけでなく、個人のバランスシートのネットワークに固定されたものとして理論化したのである。

メーリングによれば、貨幣を国際的(inter-national=国家間の)なものとして捉えると、方法論的ナショナリズムに陥ってしまう。これは、一つの島が他の島とつながっているように、国家単位を第一単位として、それを他の国家単位に関連付ける考え方だが、実際には、グローバルマネーは国境、通貨、バランスシートを越えて流通し、所有権、会計処理、管理は空間的に分散しているのである。

つまり、ドルの世界的な流通規模を計るのに、以下にまとめたグラフのようにグローバルな金融の流れを世界GDPのシェアなど国家経済の総体と比較しても、リンゴとオレンジを比較するようなものだ。

出典:Obstfeld and Zhou

このような比較は本質的に間違ってはいないが、その不自然さとその意味するところをはっきりさせておく必要がある。

ヒュンソン・シン(BIS経済顧問兼調査研究責任者)は、下記の鮮やかなプレゼンテーション(画像)でこの点を最も効果的に図解してくれている。国際(inter-national)経済学が示すのがアイランド・ビュー(島国的な見方)であるのに対し、キンドルバーガーのドル・システムに対するコスモポリタンな理解は、ネットワーク化されたマトリクス・ビュー(格子状の見方)である。

メーリングの本が示すとおり、キンドルバーガーが引退した後、MITの彼の後任に、(おそらく当時の傑出した国際経済学者となった)ルディガー・ドーンブッシュが就いたことは、キンドルバーガーの影響力のなさを示す悲しい記述であった。ドーンブッシュは大きな影響力を持つ思想家であったが、国際マクロ経済学者として、彼の世界経済に関する基本的な概念のアイランド・ビューは、キンドルバーガーのそれ(マトリクス・ビュー)とは根本的に対立していた。

メーリングの本は、繊細で興味深い知的歴史と概念的歴史が一体となったものである。歴史的な探求はもっと先に進むことができたはずだが、これはまた別の機会となろう。とはいえ、彼が提供するのが概略的なものであっても、その見返りは非常に大きい。メーリングが示唆するように、通貨を研究する当時のアメリカの経済学者世代にとって、独立したアメリカの国家通貨システムは、決して所与の存在ではなかった。キンドルバーガーは、おそらくそうした世代から知的鍛錬を積んでいたために、国民国家の枠組みを超えて貨幣を分析することができたのであろう。

国家単位としてのアメリカの金融システムは、実際には、19世紀後半から20世紀初頭にかけて生まれ、かつ国際情勢の影響下で生まれた。中でも注目すべきは第一次世界大戦の衝撃であり、これによりアメリカの国家金融システムは連邦準備制度理事会(FRB)の監督のもとに統合された。アメリカの国家中央銀行は、1913年に設立されたばかりである。

つまり、アメリカは、グローバルな金融ネットワークの中で、周縁的な立場から中心的な立場へと劇的なスピードで移行したのである。

もしメーリング/キンドルバーガー路線に従うならば、もしスウェーデン・リクスバンク賞委員会が、現代のグローバル金融システム(GFS)の力学と実体経済との相互関係を理解することを可能にした経済学者を実際に表彰しようとしたならば、ウィリアム・ホワイト時代から続くBISのチームとチームに携わる今日の学術経済学者(特に先のヒュンソン・シン)に賞を授与すべきだった。

信用というものがどのように世界的に創造されていくかを理解したいのであれば、〔バーナンキと共に受賞した〕ダイヤモンドとディビッグ(D&D)のモデルの中心にある家計の貯蓄者と借り手という新古典派の寓話から始めてはならない(もちろん、それで彼らD&Dの功績がなくなるわけではなく、彼らが説明するタイプの銀行取り付け騒ぎの力学が市場金融でも起きることは知っている!)。現代のシステムを理解するには、最近BISチームによって描かれた以下のような図から始めることだ。

これは、ドルの世界的な役割を支える市場ベースのグローバル金融ネットワークだ。このドルのネットワークがいかに複雑であるかを理解するには、同じくBISが作成した以下の非常に有益な図表を参照するといい。

表1:世界の米ドル資金調達市場の特徴〔翻訳割愛〕

この BIS の報告書は、ドル・システムの継続的な力学を支える諸力を非常に明確に捉えており、キンドルバーガーが見た世界を直接的に物語っているので、大々的に引用しないわけにはいかない。

ここ数年の世界の米ドル資金調達の成長は、主に市場性資金調達によってもたらされている。過去5年間、米ドルの国際的な資金調達の増加分の約4分の3は、銀行貸出ではなく市場性債券の形で調達されてきた。この間、米ドル建て国際債券のストックは世界GDP比で増加し、銀行貸出は世界GDP比で縮小して2000年代初頭の水準に近づいている(グラフ10、左図)〔グラフ10はBIS報告書のp.23に記載〕。その結果、10 年前には約 60%であった米ドル建て国際債が銀行融資を上回るようになった。20 市場性資金調達の重要性が高まった背景には様々な要因があるが、その一部は米ドルの活動に固有のものではない。前述のように、銀行はリスク管理の改善とバランスシートの修復に重点を置いてきたため、資産の増加は限定的であった。危機後の銀行規制は銀行システムの安全性と健全性を向上させたが、仲介コストの上昇は一部の活動を銀行セクターの外に移行させることも促した可能性がある。さらに、世界的な低金利の中で利回りを追求する機関投資家の運用資金が急増し、機関投資家の証券に対する需要は旺盛である。NBFI(ノンバンク金融仲介機関)も債券の発行体として重要性を増している(グラフ10右側の紺色の部分)。

グラフ11:ノンバンク金融機関や市場型金融の存在感が増している
出典:連邦準備制度理事会(FRB);金融安定理事会『ノンバンク金融仲介に関するグローバル・モニタリング・レポート2018』;財務省国際資本;CGFSワーキンググループの計算

米ドルの借り手と貸し手は、通常、仲介業者に依存する。国際的な米ドル資金調達市場の特徴は、何重もの仲介が介在し、長大かつ複雑な資金調達チェーンを形成し、これにより金融システムの相互接続性がほとんどの国内市場よりも高いことである。グラフ 17 は、米国の MMF (投資信託)が最終的な貸し手となり、米国以外の主体がドルの最終的な利用者となり、米国以外のレポ・ディーラー、FICC、中央銀行の外貨準備運用機関、国際銀行が仲介者として機能する例を示している。これらの資金調達チェーンは、法域やセクターをまたいでおり、複雑さを増している。さらに、チェーン全体やその相互接続性が見えないことも多い。

これは、キンドルバーガーのよく知る世界からは程遠いものであるが、彼のグローバル金融に対するコスモポリタンな(国際的とは反対の)ビジョンによる分析が完全に当てはまる世界である。メールリングが主張するように、この世界の構造は、「国民国家の枠を超えた触手のような貨幣の流れを理解する必要がある」とのキンドルバーガーの主張を回顧的に正当化するものだ。

キンドルバーガーは、市場性資金調達の最新世代を分析できるほど長くは生きられなかったかもしれない。しかし、1980年代の彼はずっと健在であった。実際、バーナンキが所属していたMITのマクロ経済学者仲間の多くは、キンドルバーガーの薫陶を受けている。新進気鋭のベン・バーナンキは、ノーベル賞委員会報告書に引用されている論文「Non-Monetary Effects of the Financial Crisis in the Propagation of the Great Depression(大恐慌の波及における金融危機の非貨幣的効果)」(1983年)のドラフトを作成した際、そのコピーをキンドルバーガーに送り、コメントを求めている。奇跡的にも、ペリー・メーリングは、キンドルバーガーの回答をアーカイブで見つけ、INET(Institute for New Economic Thinkinmg)のプラットフォームで公開している。

1982年5月1日

Stanford, CA 94305 スタンフォード大学経営大学院

ベン・バーナンキ博士

親愛なるバーナンキ博士

君の大恐慌に関する論文を送ってくれてありがとう。君はコメントを求めているが、これは単なる儀礼的なものではないだろう。実のところ、君は私のコメントを歓迎しないのではと思っている。

君は真の問題ではないものに対して、最も独創的な解決策を提示しているようだ。[1] 金融危機が生産に悪影響を及ぼすことを証明する必要が出てくるのは、レダー氏がJEL(Journal of Economic Literature)最新号で「tight priors(TP)」と呼んだものを持つシカゴ学派の学問領域だけだ。[2] 合理的期待、自然失業率、効率的市場、購買力平価為替レートを信じるなら、景気循環や金融危機について説明できることは少ない。シカゴ学派の人間にとって、完全市場の仮定から離れるのは勇気がいる。[3]

君は、ミンスキーや私が合理的な仮定から離れたという理由で私たちを振り払った。[4] 市場の各参加者が合理的であっても、合成の誤謬のために市場全体が不合理になりうることを君は認めないのだろうか。認めないというなら、どうやって…

引用文内の[]注については、こちらを参照。

…とキンドルバーガーの回答は、ここからさらに続くのである。

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