●Alex Tabarrok, “Truth is Stranger than Fiction Department”(Marginal Revolution, October 2, 2004)
時は1958年。広島に投下された原爆の100倍以上もの威力を持つ核爆弾の一つが、ジョージア州の海岸付近に落っこちた。空軍の飛行訓練中に爆撃機から不意に落下してしまったのだ。何たることか! しかしながら、まだ続きがある。落下してからすぐに熱心な捜索が行われたが、数週間探しても見つからなかった。捜索活動がそろそろ切り上げられようとしていたまさにその時だ。サウスカロライナ州のフローレンス市近辺で別の爆弾がまたもや(爆撃機から)不意に落っこちたのだ。落下したのはやはり核爆弾だったが、幸いなことにその爆弾には核分裂性核種が搭載されていなかった(そのおかげで、落下時に核爆発が起きなかった)。しかしながら、落下の衝撃で通常の爆薬が爆発して、地表に大きなクレーターができただけでなく、近くに住む農民数名が怪我を負ってしまった。
ジョージア州の海岸付近で行方不明になった核爆弾だが、民間で放射線の専門家として働いている一人の人物によって発見されたかもしれないというニュースがつい最近になって飛び込んできた。核爆弾が落ちたとされている付近で放射線量を測定していたら、通常の放射線量の3000倍にあたる放射線を放っている地点を見つけたらしいのだ [1] 訳注;未だ見つかっていないようだ。。
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●Alex Tabarrok, “More Lost Nukes”(Marginal Revolution, October 3, 2004)
先日取り上げた「行方不明の核爆弾」ネタの続きだ。ジェラルド・ハナー(Gerald Hanner )から次のようなコメントが寄せられた。
サウスカロライナ州で起きた核兵器落下事故の関係者の一人とペアになって飛行機を操縦したことがあります。その人から聞いた話によると、B-47爆撃機でイギリスにある前方展開基地に向かおうとしていた最中の出来事だったそうです。離陸後にわかったそうですが、兵器――こちらの世界では、「爆弾」と呼ぶ人は誰もいません――が発射装置にちゃんと固定されていなくて、飛行中に何らかの緊急事態が起きたらすぐにも発射されかねない状態だったそうです。兵器には「ピット」が搭載されていなかったので、万一落下したとしても核爆発が起きる心配はありませんでした。無事に離陸した後に、安全ピンで兵器を発射装置に固定するために副操縦士が爆弾倉に向かったのですが、安全ピンが差し入れ口にうまく嵌(はま)らなかったそうです。地上にある基地に連絡して相談すると、基地にいる誰かが発射装置を少し揺らせば嵌(はま)るんじゃないかとアドバイスしたそうです。副操縦士がそのアドバイス通りにした直後に、基地に次のような声が届いたそうです。「しまった! 落っことした!」。発射装置から解き放たれた兵器は、爆弾倉のドアを突き破って落下していったそうです。当時の基準では、重量級の兵器だったそうです。その後の顛末(てんまつ)については、御存知の通りです。
ノースカロライナ州でも核爆弾が行方不明になっているようだ。デイヴ・ウォーカー(Dave Walker)のブログで、その詳細が紹介されている。
事件が起きたのは、1961年1月24日の深夜0時を過ぎた直後だ。ノースカロライナ州のファロ村の近くを飛行していたB-52G爆撃機(ストラトフォートレス)が空中分解したのである。右翼の故障が原因だった。機体には、2発の水素爆弾(マーク39)が搭載されていた。
空から地表に向けて放たれた2発の水素爆弾。そのうちの一発は、途中で落下傘が開いたおかげで、接地時の衝撃が和らげられて爆発しなかった。残りの一発は、地表へ一直線に落ちたが、落ちたところがぬかるんでいたおかげで爆発はしなかったが、一部が損壊した。爆弾の一部は、ぬかるみの奥深くに沈み込んでしまって、未だに見つかっていない。ウラニウムを含んでいるパーツも行方不明。ぬかるみを50フィート近く掘ってみたが、弾頭の残骸を残らず回収することはできなかった。爆弾の一部は、今でもそのぬかるみに埋まったままだ。
残骸を発掘するために放射線の測定も試みられたが、芳(かんば)しい結果は得られなかった。誰かが勝手に侵入して掘らないように、空軍がその周辺の土地の地役権を買い取っている。
References
↑1 | 訳注;未だ見つかっていないようだ。 |
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