マーク・ソーマ 「経済学を作ったのは誰?」(2013年11月27日)

経済学という同じ学問であるにもかかわらず、その内実は国によって――フランス、ドイツ、イギリス、アメリカの四カ国の間で――違いがある。そのような違いが生まれたのはいかにしてか?

ダニエル・リトル(Daniel Little)のブログエントリーより。

————————【引用ここから】—————————

Who made economics?” by Daniel Little:

経済学という学問は、社会科学の分野で高い地位を誇っている。「覇権」を握ってさえいる。とりわけ、アメリカの大学ではそうだ。さらには、核となるようなモデルや理論が取り揃えられていて、それらに照らして「良い」経済学と「悪い」経済学が峻別されるようになっている。これらの事実を踏まえると、探求してみる価値がありそうな二つの問いが浮かび上がってくる。かつて政治経済学と呼ばれていた学問が社会科学の分野で今日(こんにち)のように威厳ある地位にまで上り詰めたのは、いかにしてだったのか? あれやこれやのテクニックなり問題なり数理的な手法なり見本例となる理論的な論文なりの集まりが主流派の共有財産になったのは、いかにしてだったのか? 言い換えると、主流派が共有する専門図式(disciplinary matrix)はどのようにして発展し、どのようにしてこの(経済学という)学問領域を席巻するに至ったのか?

こういった問いについて興味深い研究を行っている一人が、マリオン・フォルカード(Marion Fourcade)である。彼女の『Economists and Societies:Discipline and Profession in the United States, Britain, and France, 1890s to 1990s』(『それぞれの経済学者とそれぞれの社会:アメリカ、イギリス、フランスにおける『学問としての経済学』と『職業としての経済学者』~1890年代から1990年代まで~』)については過去に取り上げたことがある[1]訳注;同書については、本サイトで訳出されている次のエントリーでも話題にされている。 ●タイラー・コーエン 「『Economists and Societies』 … Continue reading、彼女が2001年に物している論文――“Politics, Institutional Structures, and the Rise of Economics: A Comparative Study”(pdf)――で同書の先触れとなるような考えが表明されている。今回はこの論文に照らしながら、フォルカードの言い分を跡付けてみるとしよう。

経済学の変貌について、フォルカードは次のように述べている。

まとまりがなくて散漫で、他と区別できる明確な境界を持たない「場」であった経済学という学問領域が徹底的に「専門化された」営みへと変貌したのは、19世紀の半ば以降である。理路整然としていて形式化された枠組みに依拠して、行政やビジネスやメディアという外部に向けても実践的な発言をし出したのである。(pp. 397)

経済学が変貌を遂げる過程というのは、「よりよい」科学という高みに向けた過程という面もいくらかはあったものの、偶発的で経路依存的なところもあったという。

経済学は、国の違いを超えて共有される普遍的な科学であると想定されることが多い。しかしながら、そのような想定とは違って、(1)経済知識が制度化されるタイミングやその性質にしても、(2)職業としての経済学者の内実にしても、(3)その背後に潜んでいる知的な伝統にしても、 国によってかなりの違いがあるようなのだ。(pp. 398)

社会学者という立場をあくまでも貫くフォルカードは、経済学という学問領域における知識の創造と体系化に寄与した「制度的」ないしは「構造的」な要因を掴(つか)まえようと志す。

知識の生産(創造)を律する制度的な側面と知的な側面との関係を理解するためには、理路整然とした討論と実践を可能とする場がはじめて確立されたのはいかなる状況に置いてだったかについての歴史的な分析がまず何よりも必要とされる。(pp. 398)

経済学という同じ学問であるにもかかわらず、その内実は国によって――フランス、ドイツ、イギリス、アメリカの四カ国の間で――違いがある。そのような違いが生まれたのはいかにしてか、というのがこの論文(および『Economists and Societies』)で問題とされている主要な問いである。経済学者と国家との関係についての分析を通じて、その答えの核心が浮かび上がってくる。「 経済学者という職業がどのようなかたちで社会に根付くかは、経済学者とその国の政治制度(およびその国の文化)との関係によって深く規定されるということが、四カ国の比較を通じて示唆されているのである」(pp. 432)。すなわち、国ごとの(例えば、フランスとアメリカとの)経済学の内実の違いは、経済現象に分析を加えたり政策提言を行ったりする経済学者が国家との関係でどのように位置づけられているかの違いに求められるというわけである。

観念の歴史についてはその内部で完結したものとして扱う――「個々の観念から導かれる含意について専門家の間で合理的な討論が繰り返される結果として、観念の体系が形作られる」と見なす――ことも可能だし、外部からの圧力に重きを置く――「社会のその時々の要求なり、その時々の制度の有り様(ありよう)によって、観念の体系が形作られる」と見なす――ことも可能である。しかしながら、知識社会学の分野における一級の仕事は、そのような二分法を排する。それぞれの専門分野がその道の専門家同士の討論を通じて前進する可能性だけでなく、その時々に特有の社会構造なり制度なりによってその形態にも発展の方向にも重大な影響が及ぶ可能性も同時に視野に入れようとするのだ。フォルカードも二分法を排して、それぞれの時と場所において生起した(経済学者たちによって抱かれた)観念に真正面から向き合うと同時に、それぞれの観念を生み出すのに寄与した国ごとの制度的ないしは構造的な要因を探り当てようと試みている。

すなわち、フォルカードの仕事は、解像度の高い知識社会学の業績の一つと見なせるわけだ。フォルカードは、四カ国(ドイツ、イギリス、フランス、アメリカ)で「社会制度」がどのようなメカニズムを通じて知識の生産に影響を及ぼしたのかを見定めようと試みている。とは言え、フォルカードが示唆しようとしているのは、経済学には科学としての内容が伴っていないということでもなければ、経済学者たちの間で交わされる討論には合理的な議論に必須の要件が欠けているということでもない。経済学という学問のこれまでの姿は、合理的で科学的な進歩なり発見なりを通じてではなく、大学という機構なり社会のその時々の要求なりによって形作られたというのがフォルカードの言い分なのだ。

ところで、フォルカードの一連の研究は、別の謎を提起している。「知識社会学」という学問領域の発展に絡む謎だ。フォルカードがやっていることは、ブルデュー(Pierre Bourdieu)の「場の理論」の枠内でどうにかして独自性を打ち出そうとした試みであるように見える。実のところ、イギリス、ドイツ、アメリカにおける(大学を根城とする)経済学者たちの成否に影響を及ぼした制度的な要因についての彼女なりの分析のいくつかは、ブルデューの「場の理論」としっくり噛み合うのだ。ブルデューの『Homo Academicus』(邦訳『ホモ・アカデミクス』)がフランスで出版されたのは、1984年。英訳が出たのは、1988年。しかしながら、フランス語版が出版されてから17年後に書かれたフォルカードの2001年の論文では、ブルデューの考えが足場にされている形跡が微塵(みじん)もない。2009年に出版された『Economists and Societies』ではどうかというと、以下に引用するように、ブルデュー流のアプローチの一端に触れられている。

ブルデューが見出したように、その内部の階層化や権威の構造のあり方を左右する上で外部の要因がとりわけ重要な役割を果たしているという意味で、社会科学はあらゆる科学の中でも特異な位置を占めている。・・・(略)・・・それぞれの学問領域における一人ひとりの学者の主観的な(主体的な)位置と客観的な(構造的な)位置は、「相同的」である。言い換えると、「経済」資本と「文化」資本との対立関係がそれぞれの学問領域の内部でも再生産されて、主流と異端を分かつことになるのだ。(pp. 23)

フォルカードの2001年の論文でブルデューが無視されているのは、なぜなのだろうか? 2009年に出版された『Economists and Societies』になると打って変わってブルデューに言及されているのは、彼女なりに研鑽(けんさん)を積んだ結果に過ぎないのかもしれない。あるいは、1990年代と2000年代に知識社会学の分野でブルデューの影響力が高まったことを示す証左なのかもしれない。1984年からこれまでの間に、『ホモ・アカデミクス』の引用件数がどういう変遷を辿(たど)っているかを調べてみるのも面白いだろう。

(社会学の分野が対象になっているガブリエル・アベンド(Gabriel Abend)の研究も興味深い。アメリカとメキシコとでは、社会学の分野で支配的なパラダイムに違いがあるというのだ。)

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〔原文:“‘Who Made Economics?’”(Economist’s View, November 27, 2013)〕

References

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1 訳注;同書については、本サイトで訳出されている次のエントリーでも話題にされている。 ●タイラー・コーエン 「『Economists and Societies』 ~経済学の知識社会学~」(2009年4月5日)
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