・・・というのが、ブルームバーグに寄稿したばかりの記事で検討している問いだ。
明快な研究結果が出ている。アメリカ人は、かつてほど休日に寛容に振る舞わなくなっているようなのだ。とは言え、スクルージ〔チャールズ・ディケンズの小説『クリスマス・キャロル』に登場する守銭奴〕を彷彿(ほうふつ)させる・・・というほどではないし、必ずしも悪い知らせというわけでもない。
アンケート調査の結果によると、1999年の段階では、アメリカ人が休日に誰かに贈るプレゼントを購入するために費やしていた金額は年間で1300ドル(2020年の貨幣価値に換算した金額)に上(のぼ)っていた。しかし、2020年になると、その額はおよそ800ドルにとどまっている。 以上の数字はギャロップ社によるアンケート調査によるものだが、小売業の売上高のデータも概(おおむ)ね同じパターンを辿っている。1935年から2000年までの期間に関しては、可処分所得が増えると、それにつれてプレゼントの購入費も増える傾向にあった。しかしながら、2000年以降になると、可処分所得が増えてもプレゼントの購入費は減っているのである。
・・・(略)・・・アメリカ人はかつてほど寛容じゃなくなったというのが(「アメリカ人が休日に贈るプレゼントの購入費を減らしているのはなぜ?」という問いに対する)答えの候補の一つである。しかしながら、アメリカ人による慈善事業への寄付額は堅調に伸びている。となると、単に寛容じゃなくなったからという答えで済ませるわけにはいかなそうだ。
別の答えとしては、アメリカ人が豊かになりすぎてしまったせいで、プレゼントを贈る意義が薄れてしまったというのも考え得る。プレゼントに何を買ったらいいかを決めるのが難しいのは、プレゼントを贈る相手が億万長者の場合に限られない。その他大勢が相手の場合でもそうだ。あなたが友人にプレゼントを贈ろうと考えても、その友人は必要なものを既にあらかた所持しているかもしれない。その友人が意義を感じるものをもう一品プレゼントできるだろうか? もちろん、アメリカ人全員に当てはまる答えではないが、高所得層はプレゼントの購入費の総額(アメリカ全土で測った総額)に占める割合が高いだろうから、この答えは総額を押し下げる一因にはなっているだろう。
経済学者という限定された立場からして一番楽観的な答えは、プレゼントのやり取りは不毛に終わることが多いと気付かれ始めたというものだ。あなたと私がプレゼントをやり取りするとしても、お互いに相手が何を欲しいと思っているかを確実に突き止めることはできない。あなたにしても、私にしても、相手のために何かを買うよりも、自分のためにお金を使う方が高い満足を得られるかもしれないのだ。この線でいくと、アメリカ人は前よりも寛容じゃなくなっているのではなく、前よりも合理的になっているとの解釈が成り立つことになる。
「プレゼントのやり取りは、家族の絆だったり社会の絆だったりを強める働きをしている」と言われることがある。おそらくその通りなのだろうが、プレゼントのやり取りだけが家族の絆/社会の絆を強める手段というわけではない。電子メールだったり、テキストメッセージだったり、携帯電話だったりと、コミュニケーションの手段も増えていてその質も上がっている――それに加えて、過去20年の間にますます安価で扱うのが簡単になってもいる――が、そのせいもあってプレゼントのやり取りが家族の絆/社会の絆を強めるために欠かせない手段とは言えなくなっているのかもしれない。
「クリスマス精神」――その意味するところが何であれ――がアメリカ社会から失われてしまったという可能性もある。世の趨勢(すうせい)として世俗化が進んでおり、教会にもあまり通われなくなっている。キリスト教がアメリカ人の生活の中心に位置しているかというと、そうじゃなくなっている。言うまでもなかろうが、かような世の趨勢を良しとするか悪しとするかは、あなたの「ものの見方」次第だろう。
あなたなりに思い当たる答えってある?
〔原文:“Why are Americans spending less on holiday gifts?”(Marginal Revolution, December 21, 2022)〕