ノア・スミス「日本が移民を受け入れるようになった理由」(2024年12月31日)

Screen cap from a video by Noah Smith, Yoyogi Park, 2023

そして,キミの国もきっとそうするだろう理由

  • 日本論に関するノアの第一法則「アメリカでなにかの論議がしばらく続くと,そのうち誰かが自説の論拠に日本を持ち出してくる」
  • 日本論に関するノアの第二法則「そういう論拠の8割は間違っている」

どちらの法則も,高技能移民の受け入れをめぐる最近の論戦で大いに発動してる.テック系右派は,(正しく)こう指摘した――「技能のある移民の流入は,アメリカがハイテク産業で競争優位を維持するのに欠かせない.」 他方,移民排斥論をとる右派のなかには,こんな主張を試みる人たちもいた――「インドからの移民流入を禁止してもアメリカはいまと変わらずうまくやっていける.STEM系従業員の訓練にもっとリソースを振り向ければいい.」 これが馬鹿げた言い分なのが明らかになると(アメリカのテック系従業員たちはすでによく訓練されているけれど,アメリカは世界人口のわずか 4.4% しかいないわけで,国内の人材プールは限られている),移民排斥論をとる右派の一部は,新しい主張に切り替えた.「人種的な同質性に比べれば,経済の繁栄は重要じゃない.」

案の定,これがいい考えだという証拠に,日本が担ぎ出された:

なんで日本は移民受け入れを必要とせずにうまくやってるんだ? どうして西洋諸国だけでしか移民受け入れの話を耳にしないんだ?

1980年代に,日本は今日のアメリカとまったく同じ状況に直面していた.資産バブルに直面して,日本はそれをえんえんと続けて,国境を開放し,安上がりな労働力をじゃんじゃん迎え入れることもできた.そのかわりに,日本は国境を閉ざしたまま,日本人の賃金を保護し,20年の経済停滞(失われた世代)を受忍した.

アメリカのエリートが国中に安い外国人労働者をあふれかえさせている理由は,資産バブルを維持して GDP の数字をいつまでも上昇させ続けるためだ.アメリカのエリートには,血縁や人種の概念がない.そんなことよりも,資産バブルを守るために国を壊す方を選ぶのがあいつらだ.
アメリカのエリートには,日本がやったのと同じことをする勇気も知恵もない.20年続く経済停滞に向き合って,日本人という人種を保つようなことが,あいつらにはできない.

《平均的な西洋人よりはちょっぴり日本に詳しい奴》のプロとしては,こんな迷信が広められないように反駁しておく義務を感じる.この手の誤解がたいていそうであるように,「日本は人種的な純粋さを保ちつつも経済で成功し続けている」という考えには,ほんのわずかな事実が混じりつつも,だらしないステレオタイプと願望優先思考と時代遅れな情報が幾重にも分厚くまといついている.

ここあるわずかな事実は,以下の点だ:

  1. 大半の先進諸国よりも長い間にわたって,日本は移民受け入れをしぶってきた.
  2. 1990年代から2000年代にかけて日本は移民を多く受け入れなかったにも関わらず,暮らしやすい場所であり続けた.

他方で,移民排斥系の右派が日本について抱いている迷信を反駁する主要な事実を挙げると,次のとおりだ:

  1. 2010年代前半から,日本は大規模な移民受け入れに門戸を開いた.
  2. 日本は,長らく賃金と生活水準の停滞に苦しんできた.移民受け入れに転じた主な理由は,そこにある.

日本を理解する上での勘所は,実は日本が大半の面でごく普通の先進国だっていう点だ.独自の視覚的なスタイルや独特な癖のある文化面の特徴でそこを見落としちゃいけない.移民受け入れにいたった経緯は,アメリカやカナダやオーストラリアと似ていないけれど,おおまかに見れば多くのヨーロッパ諸国と似ている.

そのため,日本の移民受け入れ事情は複雑になっている.全体的な経済への影響はまだはっきりしていない.移民を受け入れるべきかどうかで,日本の意見は割れている.それにはもっともな理由がある.外国人たちが洪水のように入ってくれば――文化的に大きく違う地域から入ってくればなおさらに――秩序だっていることで有名な日本社会に負担がかかるのは間違いない.そうした負担は,ヨーロッパの場合とそっくり同じではないだろうけれど,おおよその輪郭は似通ったものになるだろう.

実は,ぼく個人としては,平均的な日本人よりもそうした変化に不安を覚えている.それでも,日本の政策・経済・人種的同質性について迷信を信じ込むわけにはいかない.幻想の日本と自分たちを比べてみたところで,現実のアメリカの将来を形づくる自分たちの能力を自分からそこなってしまう.

日本が移民受け入れに転じた経緯

ここでぜひ最初に理解すべき点は,これだ――日本は,「賃金を守った」わけじゃない.1990年代の中盤から終盤にかけて――だいたいアジア金融危機の頃に――日本の実質賃金は穏やかに下がりはじめた.大半の先進諸国では上がり続けていたにもかかわらず,だ.日経アジアの松尾洋平による2021年の記事から引用しよう:

経済協力開発機構 (OECD) のデータによれば,購買力平価で計算した日本の年間実質賃金は,2020年に約 39,000ドルだった.30年前に比べてわずか 4% の増加にとどまっている.同じ期間に,アメリカの賃金は約1.5倍増して 69,000ドルにまで大きく伸びている.また,OECD 平均は 約 1.3倍増して 49,000ドルに上がっている.(…)

日本の労働者賃金は横ばいを続けている

(…)日本の所得格差は他国ほどには大きくないものの,賃金データを見ると,豊かな人々も貧しい人々も生活水準が全体的に低下している.(…)

従業員の報酬を引き上げる圧力が企業にはかかっているが,その資金を調達する国内経済の成長がなければ,多くの企業にとって賃金引き上げは困難だ.(…)過去20年間に日本企業の海外部門の売上高は2倍以上も伸びている.他方で,国内売上高の伸びはわずか 7% にすぎない(…).持続的な賃金上昇が実現するには,自社の日本国内事業の価値を高める必要がある.

30年以上にわたる賃金停滞と合わさって,普通の日本人の生活水準も停滞した.これについては,最近の記事で書いた.

その記事で解説したように,生活水準停滞は,購買力が伸び悩むというかたちで現れたけれど,それだけでなく,人々の負担も増した.高齢化が進むにつれて,高齢者介護の重みが増した.また,日本では,働く人たちをドンと増やしている.

たとえば,女性がそうだ.働く女性の増加は2000年代に緩やかに始まったけれど,2012年の暮れに安倍晋三が政権をとると,その傾向はとても急速になった.就労は,日本の女性たち全体で当たり前になった.その規模は,前例がない:

男女平等の観点では,これは立派なことだ.でも,同時に,女性の仕事は前よりもずっと増える結果にもなっている.というのも,日本の性別役割分担では,育児や家事,そしてますます過酷になっている介護の負担は,いまだに女性にのしかかっているからだ.

それに,高齢者の多くも働きだした――2010年代前半にはじまった傾向で,今日まで続いている.ティーネイジャーや若い成人も同様だ――2003年から2023年の間に,15歳~24歳の失業率は 10% から 4% にまで低下している.

2000年代前半から,ぼくは日本をたびたび訪れていて,この変化を実感している――20年前には,個人的な充足や芸術や自己表現などを追求する余暇のある日本人は大勢いた.いまは,誰もがいつも働いている.ところが,こうして骨折りは増えたのに,物質的な観点で見た彼らの生活は,かつてと大差ない――かつてと大して違わない小さめで設備が貧弱な住居に暮らし,日々の食品や日用品をちまちまと節約しながら生活している.

その様子を見ていると悲しくなるけれど,おおよそ,日本が移民受け入れに向かった理由は,そこにはない――あるいは,少なくとも,政策担当者たちがこの問題について考えたこととは関わりがない.政策担当者たちが考えていたのは,生活水準でもなければ住宅設備でもなく,休暇でも芸術でも GDP でも「数値を上げる」ことでもなかった――彼らが考えていたのは,労働力不足のことだ.

90年代から2010年代前半まで,日本は猛烈な勢いで高齢化していった.1991年には,64歳以上の日本人一人に対して就労年齢の成人が4人以上いた.2023年までに,その数字は2人未満にまで下がった:

たんに,高齢者が増えただけではなく,日本の労働人口全体が1990年代後半にピークを迎えて減少しはじめたからだ.

高齢化が進むなかで,日本企業は自分たちの製品に対する一定量の需要は得ながらも,そうした製品をつくる働き盛りの男性たちは減っていく一方だった.1990年代から2000年代前半のニュースをいま読み返してもらえば,「人手不足」「労働力不足」がたくさん言及されているのがわかるはずだ.そうした不足が生じたのは農業分野や製造業分野にかぎられなかった――レジ係・看護師・タクシー運転手・高齢者介護労働者などなども,だんだん見つけにくくなっていった.

そういう「労働者不足」が経済学的な意味での本当の不足だったのかどうかは興味を引く細やかな問いではある [n.1].ただ,ここでの目的には大して関係がない.それよりもっと深い要点がある.それは,日本の就労年齢人口が減少したのにともなって,日本企業はこんな選択肢から選ばざるをえなくなった,という点だ.つまり――

  1. 事業を縮小して販売する製品を減らすか
  2. 利益率の低下を受け入れるか
  3. 海外生産(オフショア)を増やすか

この選択を余儀なくされた.

二番手・三番手の日本企業は,人口減少に対応してオフショアリングをたくさん進めた.それによって利益は増加したものの,格差拡大の一因にもなってしまった.というのも,そうした企業のオーナーたちは恩恵を得た一方で日本人の大半に恩恵はなかったからだ.

これによって,企業は板挟みにあった.日本での生産を増やしたいと思っても,それは困難だったからだ.たんに賃金を引き上げても,働き盛りの日本人男性たちをより多く引き寄せることにはならなかった.彼らのほぼ全員がすでに労働に従事していたからだ.自分たちの文化を変えて,女性や高齢者をより多く受け入れるやり方もあったけれど,企業はそれに及び腰だった.

そのかわりに,90年代に,日本企業は移民を受け入れるというアイディアを抱いていた.文化的になじむかどうかは確かに懸念点ではあった――より年配の世代は,はたして外国人が日本の秩序だった規則準拠の文化に統合されるかとても懸念していた.それに,より年配の世代では,少なくとも部分的に文化を人種の観点で考える傾向があったのは間違いない.

そこで,90年代に,日本企業は,ブラジルとペルーから日系人を採用してはどうかと考えた――日本の大企業と密接に連携している政府もこれに関与した.戦後まもない時期に多くの日本人がブラジルやペルーに移民していて,その子孫が多くいたからだ.こうして日本にやってきたブラジル系やペルー系の労働者たちは「出稼ぎ」と呼ばれるようになった.彼らが従事したのは,大半が肉体労働だった――農業や工場での労働だ.

これはうまくいかなかった.出稼ぎ労働者たちの見た目は日本人に似ていたけれど,文化的にあまり日本に合わなかった.2000年代後半になると,日本政府は彼らにお金を渡して大量に帰国させるようになった:

日本が提示した[帰国支援金]は,肉体労働に従事するラテンアメリカ系移民数十万人にまで拡大された.彼らの帰国を促すための新たな施策の一環として進められている.(…)これまでに,少なくとも100名の労働者とその家族が帰国に同意したと日本の当局は述べている.(…)同プログラムの対象は,ラテンアメリカ系のゲストワーカーに限定されている.ブラジルやその近隣国に1世紀前に移民した日本人の親や祖父母をもつ人々だ.(…)今月導入された緊急プログラムでは,さらに扶養家族1人につき 2,000ドルが提供される.(…)ただし,日本の資金で帰国する人々は,就労ビザを再申請できなくなる.この資格喪失にともなって,ほとんどの人々にとって日本の再入国がほぼ不可能となる.

公式には,こうした理由は経済的な事情とされている――出稼ぎのゲストワーカーたちが日本生まれの日本人たちと雇用で競合してしまう懸念があるための措置ということになっている.そして,たしかに,それも理由の一部ではあった.というのも,出稼ぎ労働者たちに帰国支援金を出すこのプログラムが実施されたのは,2008~9年の景気後退期だった.でも,非公式には,文化的理由と犯罪も理由に含まれていた [n.2].これはデータで証明できないけれど,帰国支援金が提示されたのはラテンアメリカ系のゲストワーカーだけだった点に,きっと読者も気づいたことだろう.

こうして,人種と文化はまるっきり別物だということを日本は発見した.

労働力不足は解決していなかった.景気後退から――そして2011年大地震の災害から――回復してきた頃,日本は「プランB」に向かった.安倍政権から圧力を受けて,日本企業は女性・高齢者・暇のある若年層を雇用しはじめた.そうなると,案の定,因習的で保守的な日本企業に多くの変化が必要になった.そうした変化は,ゆっくりと,ときに痛みを伴いながら進行している.

ただ,日本企業の労働力ニーズを満たすために安倍政権がやったことは他にもある――それは,移民流入に日本の門戸を開くことだ.日本にいる外国人労働者の人数は,安倍政権下で100万人以上も増えた.その後,パンデミックでの中断を挟みつつも,再び増加に転じている:

Source: Gearoid Reidy

「日本は人種的に均質で外から閉じられた社会なんだ」とどうしても思いたくてしかたない人たちは,こういう数字を見ても,まだこうわめき立てる.「大半の西洋諸国に比べれば,外国人の割合はまだまだ少ないじゃないか.」 そういう抗議で見落とされていることは,いくつかある.第一に,上記のグラフの数字は外国人労働者だけを表していて,学生・子供・働いていない配偶者・高齢者・障害者などが含まれていない.ところが,こういう人たちを合計すると,真の外国人人口の3分の1を占めている.第二に,この数字には帰化した日本の市民や国籍の異なる人どうしの婚姻で生まれた子供は含まれていない.第三に,これが最重要なんだけど,「外国人の割合がまだ少ない」という異論では,増加率が無視されている.

ジェラルド・レイディが事実を正している:

先週のデータをもっとよく見てみよう.1年前に比べて外国人数が11%増加して,総人口の 2.4%を占めるにいたっている.つまり,300万人まであと少しという人数になっていた.この数字は1月1日のものだから,300万人という節目はすでに超えている見込みが大きい.海外から入ってきた労働者の人数がこの10年だけで2倍以上に増えて,より広い外国人コミュニティ(学生・家族を含む)が 50% 増えている点は,あまり言及されない.(…)人口予測にもとづき,今から50年後に外国人が人口の 10% 以上を占める未来へと――ちょうど,アメリカ・イギリス・フランスと同等の水準になった未来へと――すでに議論の軸は移ってきている(…).

すでに,この変化ははっきりと感じとれる――東京その他の主要都市で,どこにでもあるコンビニを訪れるだけでいい.少し前までは,レジ係を外国人が務めているのは珍しかった.それが近頃では,日本人レジ係の方がむしろ珍しく感じられる.(…)

岸田文雄首相〔当時〕は,外国人労働者とその家族が無期限に日本に滞在できるビザを,建設業と造船業のわずか2つの産業から11産業に拡大した.これには,人員不足が非常に逼迫しているサービス業も含まれる.「外国人と私たちが共存する社会を考えねばなりません」と岸田は先月のスピーチで述べた(…).ホワイトカラー専門職については,高所得者向けに永住権取得までの迅速なルート整備を進める取り組みがなされている.また,日本政府は,どこででも生活して働ける人々を引き寄せるべく,「デジタルノマド」ビザ導入を検討している.他にも,パンデミック以前に30万人をわずかに下回っていた日本への外国人学生を2033年までに40万人に増やす目標も立てられている.そうした外国人学生の半数は日本国内に残って就職すると見込まれる.

(この記事は2023年のもので,当時は岸田がまだ首相だった.)

また,まだ安倍政権が続いていた2019年の時点で,ぼくはこう書いていた:

2018年時点で,東京で成人を迎えた若者の8人に1人は,日本生まれではなかった.ここには,日本生まれだけれど民族的に日本人でない人たちは数えられていない.たしかにニューヨーク市やロンドンほどの多人種メトロポリスに東京は近くないけれど,「均質」という単語は,もはや東京にふさわしくない(…)

近年,安倍政権が採用した大きな変更により,移民の流入はおそらく維持される.2017年に,日本は高技能労働者向けに永住権の迅速な取得をはかる制度を設けた.2018年には,ブルーカラー労働者ビザの件数も大幅に拡大し,さらに――ここが重要――そうした労働者が希望すれば永住権を取得できる経路を用意する法案を可決した.

こうした変化が指向しているのは,一時的ゲストワーカー政策ではない真の移民受け入れだ(ただし,こうした新しいビザの説明で「ゲストワーカー法」という言葉はよく使われている).これにともなって,いずれ日本の市民はいまより民族的に多様になるだろう.永住者は,5年後に日本国籍の申請が認められる.外国人のなかには,日本人と結婚する人たちもいて,その子供たちも同様に日本の市民になる.新しい法律では,ビザ保有者が家族を日本に連れてくることを許可していない.そのため,新しく日本にやってくる労働者の多くは配偶者を求める独身者の場合が多いはずで,彼らは地元の人々と結婚する見込みが大きい.

「日本は閉鎖的で均質な楽園だ」と想像したがっている人たちにとってなにがいちばん苛立たしいかといえば,日本人がおおむねこれを望んでいることだろう.世論調査が実施されるたびに,日本人は移民受け入れに対して世界でいちばん前向きな態度を示している――アメリカより前向きな場合すらよくある.2019年の調査を引用しよう:

Source: Pew

さらに,2024年の世論調査では,もっと外国人労働者を日本に引き寄せる政策がいっそう支持されている:

「さらに多くの外国人労働者を受け入れる政策についてどう思いますか?」Source: Asahi

『朝日新聞』の報道を引くと:

[もっと外国人労働者を受け入れることへの]賛成が,あらゆる年代で増えている.そうした増加は,より年配の回答者でとりわけ顕著となっている(…).2018年の調査では,60代の回答者の35パーセントしか,外国人労働者受け入れに賛成と答えていなかった.最新の調査では,その割合が 63パーセントにまで大幅に増えている.(…)70歳以上の回答者では,賛成の割合が 38パーセントから 62パーセントに増えている(…).移民受け入れ政策に関して,世代間の差はほぼ消えている(…).2018年の調査では,18歳~29歳の回答者の 60パーセントが賛成していた.この割合は,いま 66パーセントとなっている.

日本政府は外国人労働者の制度を改正し,様々な産業における労働力不足に対応すべく,入国を許可する人数を増やしている.また,制度改正によって,永住者ビザで外国人労働者とその家族がより長期にわたって日本に滞在できるようになる.(…)

回答者の 57パーセントは,「外国人労働者とその家族への永住権拡大」を支持している.他方,反対する回答は 33パーセントだった.

「それって,日本が自由で開放的で寛容な楽園だってこと?」 いや,そういうことじゃない.移民受け入れの増加にいまも反対している少数派もかなりの数にのぼる.それに,日本でも,人種的なアイデンティティや人口統計上の変化については,おきまりの意見対立や不安が出そろっている.黒人と日本人のハーフの女性が美人コンテストで優勝したときには,日本のソーシャルメディアで右派が憤慨して騒ぎ立った.するとリベラル派がその美人コンテスト優勝者を擁護して,文化戦争になった.ちょうど,ハリウッド映画で白人キャラクターが黒人キャラクターに置き換えられるたびにアメリカで起こるやつと同様だ.

その翌年に,今度はインド系ハーフの女性が優勝したときに起きた反発は,はるかに少なかった.ただ,日本の人口構成の変化をめぐる憤慨・恐怖は続いている.その点は,ヨーロッパやアメリカなど他のあらゆる場所とちがわない.だからといって,日本がまるごと外国人嫌いの国というわけでもない.外国人嫌いの少数派がいる一方で「ふつうの」人たちもいて,移民受け入れと多様性に関するその人たちの意見は,出来事に応じて変化できる.

実は,移民受け入れに関する日本の世論は,いずれもっと懐疑的な方向へ揺り戻すだろうとぼくは予想している.ぼくの友人に,アメリカ育ちで「日本はもっと外国人を受け入れるべき」とずっと唱えてる人がいる.その友人が,先日,モスクから聞こえてくる礼拝の声で近隣住民の平穏が乱されていると不満をもらしていた.2023年には,ガンビア出身のムスリム系住民が神戸の神社を荒らして日本人の参拝客にいやがらせをして「アッラー以外に神はいない」と宣言する事件があった.

こういう事件はこれから増えていくだろう.無法なアメリカだったら,こんなことも些細な事件でしかないけれど,穏やかで秩序正しい日本ではニュースになる.日本の知識人たちは,これを統計上の異常値として軽く見ようとしたり,あるいは多数派である民族的な日本人による差別への反応として描き出そうとしたりするだろう(出稼ぎ労働者たちの事例と同様に).ふつうの人たちは,おそらく移民受け入れにいっそう懐疑的になるだろう――どれくらい懐疑的になるのかは,こういう事件が起こる頻度と深刻度しだいだ.

いちばん打撃が大きいのは,移民による強姦・暴行・殺人などの耳目を集める暴力犯罪が連続して起こった場合だろう.日本社会は,治安がいいことで有名だ.子どもや女性でも,夜間の繁華街ですら恐怖を覚えずに出歩ける.移民によるセンセーショナルな路上犯罪でもいくつか続けて起これば,「治安が脅かされている」と人々の恐怖がかき立てられて,移民受け入れを制限すべきという声が強まっておかしくない.

実際にそうなる確率はそれなりにあると思うし,そのときの帰結を恐れてもいる.出来事の思い浮かべやすさを実際頻度と短絡させる可用性ヒューリスティックやメディアの扇情優先報道によるものであっても,「もう自分たちの国は安全じゃない」と日本の人たちが判断してしまったら,ひどい文化的な損失になるだろう.その結果として起こる移民受け入れに対する反発と揺り戻しも,日本のためにはならない.秩序正しくかつては同質だった北欧諸国で,そういうプロセスがまさに展開中だ.うるわしい光景ではないね.

そんなわけで,ぼく個人は平均的な日本人よりも,日本への移民受け入れに懐疑的だったりする.日本は,アメリカとはちがう――伝統的に移民の国としてみずからを定義してきた国ではないし,無法な人たちや暴力犯罪になれている国でもない.

だからこそ,日本政府は移民流入への対応に関してもっと先を見越して先手を打っていく必要があるとぼくは思っているーー単純にアメリカのリバタリアン的アプローチをそっくり真似るのは,最適なやり方ではないはずだ.もっと高技能移民に関心を絞る必要がある.というのも,いい仕事に就いてる人たちの方が,犯罪に手を染めにくいからだ.日本は,積極的な同化政策を実施する必要がある.たとえば,誰もが日本語を覚えて話せるようになる施策を打つ必要がある [n.3].また,すでに日本から文化的に距離が遠すぎなくなってる国々,たとえばベトナムなどに移民受け入れ制度を偏らせるべきだ.

実は,日本はすでに後者をやっている.近年,日本にやってきている移民は,ベトナムとフィリピンの人たちが大半を占めている.あとは,中国からもちょっぴり入ってきている:

Source: Wikimedia Commons

ベトナム系移民とは,わずかながらも小さな緊張関係が生まれているーーぼくの知り合いの日本人の一人が,「ベトナム人が鳩をつかまえて食っててさぁ」と不満をもらしていたーーけれど,全体的には,問題はほんのわずかだ.なぜかといえば,べつに人種的に日本人と似ているからじゃない(ブラジル系の場合と同様だ).というか,日本の人たちは民族的なちがいをごくあっさりと見つけられるし,ベトナム系の人たちを同じ人種だとも思っていない.理由は,文化の両立しやすさにある.この点は,アメリカよりも日本ではずっと心配する必要がある.

ただ,そうしたことをぜんぶ脇において言うと,こと移民受け入れに関しては,豊かな国々はどこもおおよそ同様の経過をたどっていくことが,日本の経験からわかるように思う.この問題の根本的な要因は,人口の高齢化だ.高齢化は世界中で起きている.貧しい国々ですら,高齢化が進んでいるーー出生率の低下は世界中で加速してきていて,まるで底が見えない.一部の報告によれば,人類の出生率はすでに人口を横ばいで置換するだけの水準に達しているそうだ.そして,いまのところ,その流れを止める方法は見つかっていない

うまくいく方法はさておき,うまくいかない方法なら,確実に一つある.それは,メディアで保守派が「もっと子どもを産め」とみんなにがなり立てることだ.もちろん,日本もこれをすでにやったことがあるーーかつて,2007年に,当時の厚労相が女性を「子供を産む機械」と呼んでもっと子供を産むようにと呼びかけ,これが大きな反発を受けたこともあった.アメリカの右派が X でアメリカ人女性にもっと子供を産むようにとどやしつけても,やっぱり同じようにうまくいかないだろう.

人口の高齢化にともなって,世間で実感されるほどの労働力不足が生じている――あらゆる企業その他の組織が,二択を迫られている.外国人を雇用するか,事業運営を縮小するか,どちらかを選ぶしかない.「とにかく賃金を上げればエエ」という人たちもいるけれど,それではこういう労働力不足の解決策にはならない.国内の就労人口をあらかた労働力に引き込んだあとでは――日本では2010年代にそうなった――もっと高い賃金を提示したところで,引っ張ってこれる未使用労働力プールは残っていないからだ.現地の人たちがみんな雇われてしまえば,残る労働力不足の解決策は移民受け入れしかない.

一般に,豊かな国々の人たちは,労働力不足に直面したら,衰退よりも移民受け入れの方を選ぶ.コンビニが減ったり看護師が減ったりする社会をただ受け入れるよりは,自分が育ってきたのとおおむね似ている社会の方を,彼らは選ぶ.自分の目にするコンビニ店員や看護師が外国人になるのはたしかに変化にちがいないけれど,衰退・縮小して死にゆく国に暮らすよりはまだしも変化が小さい.

そのため,何度も繰り返し,豊かな国々は労働力不足と衰退よりも移民受け入れを選んできた――どれほど同質であろうと,どれほど秩序だって整然としていようと,人種・文化についての態度がどうであろうと,それが豊かな国々の選択だった.日本もそうしたし,韓国もいまそうしつつある.中国は大きすぎて大した違いにはならないけれど,どのみち移民受け入れを試すだろう.そして,移民を受け入れれば,定番の各種問題・課題・論議・政治的分断・うれしくないトレードオフがついてくる.国や文化によって,そういうことの対応をさまざまで,どこの国でもうまくやっていけるわけでもない.

ともあれ,これが未来だ.誰であれ,21世紀はこういうものになる.人類の出生率低下を逆転させる術を誰かが見つけ出さないかぎり,世界のいたるところでこういうことが起き続ける.


原註

[n.1] 〔経済学での狭い意味で〕「これらは真の労働力不足だった」という主張とは,こういうものだ――「移民受け入れに対する政府の制限とともに,女性や高齢者の雇用を妨げる文化的規範によって,既存の賃金水準で市場が均衡するのが妨げられた.」 女性・高齢者の雇用の妨げを受け入れるかどうかは,差別を企業所有者に対する非金銭的報酬ととらえるか,それとも外的に押しつけられた政策ととらえるかによる.政府による移民制限〔によって市場の均衡が妨げられたという言い分〕はかなり明確に正しいけれど,そういう語り方を好んでするのはリバタリアンだけだ.

[n.2] 実際,日本の知識人・エリートたちはしばしばこれを「差別」という切り口で考える.ラテンアメリカ系ゲストワーカーに対する日本の多数派による差別というわけだ.ぼくらが考えたがるほどには,ウォークネスはアメリカ固有というわけではない.

[n.3] 皮肉にも,積極的な同化政策が日本に必要だという内容で『ブルームバーグ』にぼくが書いた記事は,Twitter の右派界隈で,「日本は移民受け入れを増やすべきだ」とぼくが論じている一例ということにされてしまった.おそらく,記事の見出しがすごく移民受け入れ支持っぽかったからだろうね.右派界隈はべつにすごく賢くはない.

[n.4] これは女性憎悪を駆り立てる侮辱ではなくて,理系秀才めかした比喩のつもりだったらしい.でも,これを女性憎悪の侮辱だと日本の女性たちが受け取ったのは間違いない.


[Noah Smith, “Why Japan opened itself up to immigration,” Noahpinion, December 31, 2024; translated by optical_frog]

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